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「療育」って…#2


私の勤務していた肢体不自由児施設には、整形外科に通う外来児、5つの病棟の入所児(170人くらい)、通園児(30人くらい),母と子が一緒に2ヶ月入所する母子棟児(7組くらい)の、合計200人以上の子どもたちを対象としていました。通園と母子棟児は毎日、入所児は週に2.3.回、外来が毎週1回というような訓練回数だったように思います。ひとりの訓練士が、20人くらいの担当児を持っていました。

対象のこどもたちは、脳性麻痺の子どもさんが一番多く、他には精神や運動発達の遅れている子(ダウン症とかの染色体異常、てんかん)事故の後遺症、筋ジストロフィー症、その他の整形外科の疾患など,多岐にわたります。
歩ける子、車椅子の子,手や足に装具をつけてる子、寝たきりの子、喋れる子、しゃべれない子など,症状もバラバラです。てんかんの発作があったり,脳性麻痺の子どもさんたち独特の筋肉の発作のようなものがあったり、日々,時間によって状態も変わります。脳性麻痺の場合は、世界的にたくさんの患者さんがいたので、いくつかの訓練方法を編み出されましたが、それ以外の疾患の訓練は、すべて担当する訓練士に任されていました。当然,技量やコミュニケーション能力が試されますよね。人気のある先生ランキングができていきます。子どもたちが大好きな先生、おかあさんから人気のある先生…とか

子どものリハビリテーションは、チーム医療です。メンバーは、整形外科、精神科,内科,歯科などの医師、看護師、指導員,保育士,そしてわたしたち訓練士。
昭和53年に勤務したので、当時の訓練士とは、理学療法士や作業療法士などは少なく鍼灸や整体などの資格の方々も一緒でした。言語聴覚士も制度化されておらず音楽療法士が言語訓練を担当していました。

医師からの指示書には、短期目標と,長期目標が書かれています。整形外科の手術もあるので術後の訓練は,特に期間が決まっていました。

入所児は、定期的にケース会議が開かれ、担当のチームメンバーが集まります。就学児の場合は教師も参加する事もありましたし、併設している学校のケース会議にも参加することもありました。
手術前にも、会議が開かれそれぞれの意見を述べることができました。

外来や,通園,母子棟の保護者さんには,常に会っているので,その場で話ができます。話をしながら訓練をしていました。家庭での様子、
就学のことなど、また兄弟も一緒についてくるのでその子たちの様子を見ることもできました。おもしろいことに、兄弟たちは将来リハビリの仕事につくことが多いです。保護者会もあったので、お母さん方も積極的に動いていましたし、お互いにとても仲が良かったように思います。

また、施設なりのいろいろなイベントもあって,運動会やバス旅行,キャンプ、夏祭り,花火大会,クリスマス会など、家族も一緒に参加,地域の人も遊びに来ます。

これが30年ほど前の療育です。(思い出しました!就職した頃は、療育課ではなかったかもしれません。数年後、療育課に変わりましたね。「訓練」という言葉のイメージが悪かったのかもしれませんね。)



しかし、この幸せな形は次第に変わっていきます。

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