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第十六章 鬱になる

7回目のウツになる

 バイト社員に急遽辞めてもらい、借金返済していた西日本銀行に、毎月の返済額の減額を申し出た。月50万円を15万円くらいにできないか。しかし「減額は出来ません」の一言に意気消沈し、交渉は1回で諦めた。気づけば、人生で何度目かの鬱状態に陥っていた。
(あとで知りましたが、この返済減額・リスケは交渉次第で可能です)

 ヤマハで営業ができずに9ヶ月でノイローゼ退社の時、リース会社で新入社員教育と仕事ができずに婚約破談の時、その後の長い失業者時代、最初の独立半年で実質廃業した時、2度目の起業で大仕事に行き詰まった時、あわない本屋廻りの営業をやったとき・・・・今回で7回目のウツだ。

 何とかせねば。仕事9割減で大幅な赤字になり、借金の返済もあり、仕事は増えない。お金はどんどん無くなる。でも、やる気が出ない。悩むだけで仕事してない。行動してないから何も好転するはずはない。

 それはわかっているが、このままでどうにかならないかと期待している。他力本願。自分に負けている。己に克つ。克己という自分の名前が恨めしい。



 気づけば、何もせずに悩んでばかりの姿を妻に見られるのが恥ずかしく、適当な時間に外に出て、図書館や公園でボーとすることが多くなった。人生の悩みや苦しみに関する本を読み、なるほどと思いながらも溜め息をつくばかり。

 日が傾き、夕暮れの頃の黄昏に包まれてくる街並みと人を眺めると、これで1日が終わるんだと、ホッとした気分になっていった。

 39歳の冬、預金残高はあと3カ月でゼロになるという時点で、虎の子の先祖代々の土地を投げ売りすることに決めた。今のままでは仕事で返済できる目途はない。バブル最後は坪2500万円の話もあった土地だが、7年後の実勢価格は300万円前後だった。

 不動産登記簿謄本には、その土地の過去の持ち主や担保状況、債権者、債務者、差し押さえなどの様々な履歴、土地の人生が書いてある。私の土地も酷い目に会ったが、周囲の土地もバブル崩壊後は滅茶苦茶な状態だった。持ち主は次々に変わり、最後は地主が軒並み破綻。銀行などの債権者が仕方なく管理していた。

 バブルは崩壊したが、また上がるのではないか?帰郷後も毎年、そんな淡い期待を持っていたが、結局、15年以上連続で不動産価格は下落を続けることになる。

 39歳の春、大名の土地のすぐ前にある不動産屋「地研ハウジング」経由で、近所の川口不動産で土地を物色していたブティックのオーナーと面会。

 坪300万円で売却する話で進んだが、いざ契約の段階で相手側が250万円と書いた契約書を突き出し怒り心頭。馬鹿にするなとその場を蹴ったが、最終的に300万円、17坪の土地を5100万円で売却することになった。

 借金の残債は3300万円ほどで、5100万円から相続税を差し引くと3500万円あまり。危機一髪で借金は帳消しとなり、これで33歳の時に発覚した連帯保証1億円事件の借金は39歳で終わった。全財産も無くなったが。土地の売却残200万円は弟と折半した。

 先祖の土地は自力で取り戻そうと思っていたが、結局、自力弁済は約1300万円で、残りの8700万円は土地と家と株券の売却で補った。親の借金1億円を被ったが、その大半の返済は親の財産処分で自分の力ではなかった。

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