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砂岩魂(仮)

2万人の声援が響くスタジアムのテクニカルエリアでその男は、声を張り上げ選手たちを鼓舞した。このクラブの改革には彼の手腕が問われる。

「Hola!(オラ!)」彼は欧州、サッカー先進国であるスペインからやってきた。ルイスカレーラスフェレール、凛々しい眉毛に短く刈り上げた髪型、「サポーターが誇りに思えるクラブにする」というコメントが好印象だった。
サッカーの名門、あの「FCバルセロナ」に所属していたという事実は男を大きく見せるらしい。

サガン鳥栖FCは佐賀県鳥栖市にあるJリーグ1部に属するサッカークラブだ。小さな町にあるそのクラブはたくさんの苦難を乗り越え8年もの間、J1に居続けている。「逆境は好物」と言わんばかりに応援しているサポーターもどこか誇らしげだ。
そのサガン鳥栖は2019年シーズンの指揮官にルイスを選んだ。昨夏、電撃加入した元スペイン代表フェルナンドトーレスと過去に共にプレーしたことも選考の要因だったのかもしれない。そのため「新指揮官はトーレスのお友達」という見出しの記事も出た。選手や監督は気にしなかっただろうが、サポーターである我々にはなにか新しく買った洋服を汚されてしまった時のような感情が胸に広がった。

昨シーズンのサガン鳥栖は2016年からチームを託していたイタリア人指揮官マッシモフィッカデンティの3季目のシーズンだった。だが結果は鳴かず飛ばず。クラブワーストとなる7連敗を喫するなど1部残留も危ぶまれる苦しいシーズンを過ごした。
チームはシーズンの途中に指揮官の交代を計り、後任に就いたのはサガン鳥栖ユースの監督、金明輝監督だった。
「みんなが笑えるシーズンにしたい」就任後無敗でチームを残留に導いた金監督をはじめ、シーズン報告会での選手たちの雰囲気は新シーズンに向けて希望をのぞかせた。

金監督のおかげで得たサガン鳥栖のJ1リーグ8年目を託されたのがルイスということになる。
だが彼の経歴を見て不安を抱かない鳥栖サポーターは少なかった。
スペイン2部や海外クラブを数ヶ月で解雇になっている経歴はサポーターに赤字の家計簿を見せつけているようなものだ。「また今年も残留争いか…」サポーターの頭に昨シーズンの記憶が過ぎる。ただある男の加入は厚い雨雲の隙から見える光のように思えた。

ルイスの「コネ」のようなものが活きたのかは定かではないが、大物選手の加入にサポーターは沸いた。
180cm近くある高身長にアシンメトリーな髪型、蓄えた無精髭に貫禄をのぞかせた。
イサック・クエンカ。カンテラ(下部組織)からトップチームまで「FCバルセロナ」で過ごしたスター選手がフェルナンドトーレスに続き、サガン鳥栖に加入することとなった。ルイスが目指すサッカーにおいて重要な存在であった。

サガン鳥栖は例年通り、沖縄県読谷村での開幕キャンプ後に香港で行われた賀歳盃に出場した。アジアチャンピオンズリーグ(ACL)の常連である中国の山東魯能や香港選抜と試合を行った。
そこで活躍を見せたのは新加入の樋口雄太だった。鳥栖の下部組織から鹿屋体育大を経て戻ってきた若武者は中盤を広範囲に動き回り、まるでチームのタービンのようにボールを長短に渡って供給し続けた。ゴールが見えれば足を振り抜き、運動量も豊富で守備でも当たり負けしない。昨シーズンから同ポジションの主力としてチームを引っ張っていた大学の先輩にあたる福田晃斗は胸にざわめきを感じたことだろう。エース、フェルナンドトーレスにも開幕前からゴールも決まり順調な船出のように思えた。

ルイスが目指していたサッカーは「FCバルセロナ」のようなポジショナルサッカーだ。常に選手個々人が適正なポジションを取り続けることでボールを支配しゴールに向かう。ボールロストすれば高い位置でボール奪取に向かう。ボールの保持が大前提だ。
そのため、ルイスの練習ではボールをポゼッションするための練習が多かった。チーム全体でルイスが中に入り指示をしながらボールを回させる
「君がここに動いた結果、3つあったパスコースが2つに変わった」通訳を介して指示が飛ぶ。
他にもクロスの導入部分やショートコーナーの練習もあった。
トレーニングマッチでも目に見える結果が着いてくる中、2019年シーズンの開幕戦、名古屋グランパス戦に向けての準備は万端見えた。しかし、予想外のことが連続して起きる。

天候は晴れ。日陰ではまだ寒さを感じるが試合の時間には暖かい日差しで額に汗をかくほどの気温だった。
待ちに待った2019年シーズンの開幕戦、スタジアムの外装も青とピンクに染まり名前も親しまれた「ベストアメニティスタジアム」から生まれ変わった「駅前不動産スタジアム」の周りでは鳥栖のサポーターや名古屋のサポーターの熱気で沸いていた。いよいよ始まる。だが「バス待ち」を終え、スマートフォンを見ながらスタジアムに戻る鳥栖サポーターの顔色が曇った。

GKは新加入の大久保択生、DFに高橋祐治、藤田優人、カルロブルチッチ、ニノガロヴィッチのクロアチアコンビに、新潟から加入した原輝綺。中盤には高橋秀人、高橋義希。前線にフェルナンドトーレス、金崎夢生、原川力が入った。3-4-3システム。ただ、期待のイサッククエンカ、昨シーズンからチームを引っ張ってきた福田晃斗の名前はベンチメンバーのリストにも入っていなかった。

山本雄大主審のホイッスルがキックオフを告げ、90分後のスタジアムにはなにか呆気に取られたような鳥栖サポーターだけが取り残されていた。結果は0-4の大敗。「まだ34分の1を落としただけ」「次は勝とう!」とポジティブに捉えてる人は少なかった。開幕戦を落とすということの重大さを再認識したことよりも1点も奪えず4失点。目に見える収穫がなにもなかった開幕戦の大敗にサポーターの胸にポッカリと空いてしまった穴を誰もなにも埋めることが出来なかったのだ。

スーツ姿にメガネ、色白で整った顔立ち。どこにでもいそうなサラリーマン風の男。今シーズンからサガン鳥栖にはCRO、チーフラップオフィサーというものが就いた。あのDOTAMAさんだ。
「名古屋グランパス、マジで待っとけよ」
チームをラップで盛り上げる。初手にしてはなかなか攻めた内容だった。それでいて大敗したのだから彼に噛みつかないものはいない。

サガン鳥栖の第2戦はアウェイでヴィッセル神戸との試合となった。いきなりのビッグマッチだ。
ヴィッセル神戸にはあの元スペイン代表、トーレスとEURO、ワールドカップの優勝を共にしてきたイニエスタやビジャ。元ドイツ代表のポドルスキと錚々たるビッグネームが揃っている。両クラブ陣営ともに特別気合が入る一戦となった。入場者数は25,172人。ノエビアスタジアム神戸を埋め尽くす多くの神戸サポーターの歓声は後半54分にピークに達する。山口蛍のロングフィードに頭でクリアに行った鳥栖DF高橋祐治のボールは味方DF谷口の足にあたり神戸FWビジャの前へ。GK大久保択生と1対1となったビジャは冷静に左のコースをつき得点する。これがヴィッセル神戸の2019シーズン初得点なのだから盛り上がりもひとしおであった。
4失点した開幕戦からの改善「最小失点」に抑えたサガン鳥栖だが選手、サポーターの足取りは重い。開幕2連敗という事実は紛れもないものだ。
この試合で「世界」を肌で感じた17歳の青年が1年の間にチームの中心選手になると信じた鳥栖サポーターは何人いたのだろう。

開幕2連敗を喫したサガン鳥栖は波に乗れるわけもなく。続くホームでのルヴァンカップ初戦ベガルタ仙台戦では新加入DFカルロブルチッチの連携ミスから3失点敗北。東京へ乗り込んだアウェイFC東京戦では終了間際にDF三丸拡のオウンゴール、アディショナルタイムにダメ押し点を食らうなど「スタートダッシュ」という言葉の対義語が有ればそれに当たるような状況に陥っていた。

その状況から少しだけ光を見せたのはルヴァンカップ柏レイソル戦だった。この試合あの男の右足が唸った。後半49分に得たフリーキックをMF原川力が直接ゴールネットに突き刺した。サガン鳥栖はこの試合GK高丘陽平の活躍もありついに今シーズン初勝利を掴んだ。
「メッシ級だ!」指揮官も手放しにバルセロナの選手のフリーキックに例えるほどの素晴らしいフリーキックだった。彼の活躍は次の試合でも劇的な展開を創り出した。

3月17日天候は晴れ、すっかり春の陽気というような暖かいお昼13時キックオフ、ジュビロ磐田との第4節、スタジアムは14624人とたくさんの観客で埋まった

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