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「ジャンケットバンク」から考えるマネジメント ◆ピーキー・ピッグ・パレス◆

週刊ヤングジャンプ掲載の「ジャンケットバンク」を購読しているのだが、『ピーキー・ピッグ・パレス』にて登場した言葉が、いちチームのマネジャーとして日々試行錯誤する今の自分に刺さるものばかりであったため、"少し丁寧に振り返りながら感じたことを書き残しておこう" と考えるに至った。結果として書き上がったのが本noteである。


1.「ジャンケットバンク」とは?

カジノ運営を行うとある銀行を舞台として繰り広げられるギャンブルバトルをテーマとしたマンガである。詳細は公式HPやWikipedia等を参照して貰えたらと思うが、主人公は類まれな計算能力を持つ青年行員 御手洗暉 (みたらい あきら) を始めとして多くの魅力的なキャラクターが登場する。

ちなみに、今回 "印象に残った言葉" を紹介するのは『ピーキー・ピッグ・パレス』というギャンブルバトル中で各登場人物から発せられた言葉である。

~ メモ:「ピーキー・ピッグ・パレス」というゲーム名称について ~
Peaky Pig Palace であり直訳すると 「やつれた豚の宮殿」である、"Peaky" 自体が複数の意味を持つ言葉であり、作者が意図した意味合いにあっているかは少し不明である。なお、ゲーム自体の題材は「3匹の子豚」である。

2.印象に残った言葉 と その背景

この『ピーキー・ピッグ・パレス』では "人の意思" が大きなテーマとなっていた (様にいち読者としては感じる)。その中において、大きく以下3つの言葉が印象に残った。少し刺激的なものも含むがここで紹介しながら、印象に残った背景を書き残したいと思う。


・その① 「頭の中で響く声に耳を傾ける」

適切な時に適切な行動を取れば、機械のように常に正しい答えが出ると思っている。だが所詮は人間のやること、歯車がきれいにハマることなどごく稀です。彼らをより高みへ昇らせるのは賢さではなく、歪んだ歯車を強引に回す単純な力だ。私は神を信じてはいませんが、頭の中で響く声には常に耳を傾けています。
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彼は自分が神様じゃないと分かった上で、自分を神様だと信じている。世界がどう見えるかを決めるのは、自分の意思だと知っているから。意思、常識、正義、矜持、希望、自信、、呼び方は何でもいいけど、自分が求めるモノを見つめろ。そう村雨さんに説いているんだよ。

「第139話 無言の人形」P11~P12、「第140 医者の仕事」P4~P5より 

仕事で置かれる状況が同じであっても「その状況に何を見い出すか?」はその状況を捉える人によって大きく変わる。一見絶望的に見える状況の中でも容易に希望を見出す人もいれば、その逆の場合もある。「知識量の差」によって、その様な状況を生じている場合も少なくはないが、一方で「属人的な差」があることも否定できないことを日々のマネジメントから感じる。

上記の言葉が印象に残ったのは、「属人的な差」を生んでいる存在の1つが『物事を見え方を決めているのは自分次第である』ということを理解しているか否か? である様に自分としても考えるからである。「どうせ最後には何とかなるはず」と物事を見ている人の目には希望が映るし、捉えた希望に対して時に強引なテコ入れを行いながら歯車を回すことで必要な成果を得る。

物事を客観的に冷静に捉えることも大切であるが、客観的かつ冷静を捉えるだけでは "人同士の噛み合わせ" である "仕事" を十分に回し切ることはできない。主観的は判断に基づく強引さも時に必要である。


・その② 「目的は意志によって生まれる」

最後の神託だ。手段は目的によって生まれ、目的は意思によって生まれる。人間は病気の塊ではなく、小さな過ちの集合体だ。
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私が意志を忘れていたから、世界はどんどん狂っていくのだ。ならば何も見逃すな。真実にはわけのわからんモノが付き纏うのだから!
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私は医者だ。不具合の出た人間に診断を下し、壊れた箇所に適切な手術を施す。論理こそが真実への最短の道であり、感情とはそれを邪魔するノイズに過ぎない。だが一つだけ発見があった。論理的に考えて、人から感情が消えることはない。たった今から私の診断は患者の気持ちも慮る。

「第142話 人間-感情=現実」P10~P11、「第143話 紙束の願望」P13~P14、P17~P18より

ここではシンプルに「何をしたいのか?」という "意思" がないところには "目的" も "手段" も生まれないということに触れているが、この言葉に触れながらにマネジメントの文脈における自身としての考えを一言だけ添えるなら 『 "目的" も "手段" もないところに存在するのは、ただの【作業】のみ』ということである。

極論ではあるが、仕事では現場担当者の "意志" も "目的" も "手段" も置いてけぼりにして、直近で取り組む必要がある【作業】だけを現場に降ろしていくこともできる。その様な仕事の振り分け方は短期的には非常に楽であるし、その様な対応によっても組織として必要な実務が一定程度成り立ってしまうのが実情である。

しかし、その状況を良しとせずに 現場担当者の中に "意志" を育み "目的" を共有し "手段" を創出することによって、現場から【作業】を根絶すること がマネジャーに与えられた1つの役割なのではないかと考える。


・その③ 「得ているからこそ注目できる」

もしも誰かが憧れの鞄を手に入れ、それを持って街へ出かけたとすれば、他人の鞄が目に留まり街はたちまち鞄で溢れ、新品の自転車に乗って行けば走る自転車の多さに驚くだろう。

人は自分が得たモノに目が留まり、得ているからこそ注目できる。たとえそれば意志という形のないモノだったとしても。

「第146話 掛け違う価値」P1~P2より

マネジメントを行う中ではメンバーそれぞれにおける仕事と私生活へのバランスにも一定の配慮を行う必要があるが、その配慮の前提として「それぞれのメンバーが私生活の中で大切する一コマについて理解できること」が必要である様に思う。理解がなければ、マネジャー側が取る対応はマネジャーの自己満足的な内容に留まってしまうかもしれない。

会話することや見ることによっても物事ヘの理解は一定程度深めることができるが、より深く明確に捉えるためにはやはり "自分も得たことがあって、触れたことがあって、経験したことがある" が望ましい。チームメンバーと期末や期初の面談等を通して、その様なことを考える中であったからこそ上記の言葉は特に印象に残ったのだと思う。

この言葉を通じ、「 "自分が知らないもの/得ていないもの" には本当の意味で着目することが出来ないのかもしれない」ということを頭の片隅に改めて楔として打ち込みつつ、メンバーと向き合うことを考える次第であった。

3.全体を通して

"人の意思" とは何か?について考えさせられる内容であった。日々の仕事を確からしい形で回すためには、まず土台としては 客観的なアプローチによる材料集め が不可欠であるが、材料を集めただけでは仕事は前に進まない。

「その集まった材料群を "どのように解釈" するか?」
「解釈の結果を踏まえて "どのような判断" を下すか?」
「判断の末の実行を "意味のある手段" として捉えられるか?」

が重要であり、そこには "人の意思" の存在が大きく関わっている。その一方で、"人の意志" はそれぞれ固有で独自性が強く否定的な対応をし難いからこそ、日々のマネジメントの場面では 多様性という言葉に甘えて【許容】という名の【不干渉】に転がり込みたくなる 場面も少なくない。

ただ、やはり重要な局面では常に "人の意思"  が大切になるからこそ、チームを束ねるマネジャーはメンバーそれぞれが持つ "血の通った意志" に真正面から向き合い、時にはぶつかりつつも互いに研鑽し合う必要があるのだと「ジャンケットバンク」を読みながら少し真面目に考える次第であった。

【参考資料】

~ 余談:他の方のnoteをオススメ ~
上記の「ピーキー・ピッグ・パレスに関する哲学的考察」が非常に面白いnoteでした。『道徳感情論』『国富論』を絡めながら考察されており、読みごたえがありました。ジャンケットバンク読者の方にはオススメです。
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