【読後録】自動販売機の文化史
2021年度に入校したXデザイン学校のテーマが【自動販売機】に関連したテーマであったことを受け、日々自動販売機に意識を向ける日々を送っているのですが、その中で浮かんだ疑問をWebで調べてもイマイチ腹落ち感が足りなかったので、一度体系的(?)に知っておこうと思い、本を読んでみることにしました!
0.書籍紹介
■書籍名:自動販売機の文化史
■著者 :鷲巣 力
■出版社:集英社新書
■発行日:2003年3月19日
少し古いですが、調べた中では一番知りたいことが体系的に書かれていそうだったので、この本を読むことにしました!
1.自動販売機ってそもそもいつから普及したの?
まず、俯瞰的に自動販売機の変遷を整理すると以下の通りでした。
[1]離陸期:1950年代後半~1960年代前半 ※高度経済成長期前半
(参考:1964年時点の総自販機台数は約4万台)
[2]成長期:1960年代後半~1970年代前半 ※高度経済成長期後半
(参考:1970年時点の総自販機台数は約100万台)
[3]成熟期:1970年代後半~1980年代前半 ※第一次石油危機以降
(参考:1984年時点の総自販機台数は約500万台)
[4]飽和期:1980年代後半以降 ※バブルおよび崩壊、それ以降
(参考:台数は500~600万台間で推移)
そして、各時期の特徴やエッセンスを一部紹介します!
<離陸期>
単純なジュースやガム、タバコの自動販売機が発売され始めた時期。
牽引役は、星崎電機の「オアシス」というオレンジジュースの自動販売機。
コップ一杯10円で「10円ジュースブーム」が起こった。
ここまで日本人の清涼飲料水はサイダーとラムネしかなかったところに、オレンジジュースを加えたという点でも「オアシス」は画期的だったとのこと。なお、オレンジジュースの次に主役となったのはコカ・コーラ!
<成長期>
国鉄・私鉄が人件費削減を狙い自動券売機を導入。これにより鉄道に乗る人は老若男女問わず自動販売機を使うことになり、自動販売機の馴化が進む。
馴化に中において総台数の面では飲料自動販売機が牽引役となった。
缶携帯での自動販売機が普及し始めたのもこの時期。
飲料自動販売機は1967年から1973年までの7年間の間、生産台数は平均年率84%という驚異的な数字を残している。参考までに"1"に対して7回"84%"を累積すると71になります!凄いね!
<成熟期>
機械の高機能化、大型化、多セレクション化(同一機から多品種の商品を選べる)の方向に自動販売機が発達した時期。利用者が「対面販売」の必要性を感じなくなり始めた中で、自動販売機も普及していった。ホットとコールド両用の自動販売機が投入されたのもこの時期。
自動販売機を技術利用した「無人スーパー」が開業されるなどの取り組みも起こった(でも失敗)。普及に伴い未成年者の飲酒・喫煙、空き缶公害問題、資源環境問題がクローズアップされる様になる。
<飽和期>
台数は飽和状態となった一方で技術の進化は進む。例えば、自動販売機を情報端末として扱う様な取り組みなど。具体的なサービスとしては携帯電話認証を利用した会員制プリペイドサービスなど。
ただ、各サービス、対応する飲料メーカーや設置機器数が少なく利便性が高まらなかった様子。2000年頃には、印刷機が組み込まれている自動販売機なども生まれ、その自動販売機では周辺地図や飲食店のクーポン券を印刷することができたとのこと(マジ!?)。
なお、2003年発行の本著では、【日本の自動販売機の歴史】という観点では
「業界全体でICチップによる電子マネー方式を検討中!こうご期待!」
という形で締めくくられていました!
※今まさに僕たちが使ってますね!ありがとうございます!(笑)
★所感★
この様に日本での自動販売機の歴史を振り返ってですが、
「自動販売機の本質的な機能としては1980年代後半から変わらず、
各社付随機能をずっと試行錯誤中の状態なのかな?」
だからこそ、あらたな意味づけが求められており、Xデザイン学校のテーマにも上がったのかな?と感じました。
2.で、なぜ日本で自動販売機は普及したの?
一般的には「日本は治安がいいから」で語られることが多いですが、本著を読みながら「なるほど!」と思ったことを少しだけ、かいつまみながら紹介したいと思います!
[1]機械との共生に抵抗がない風土(下地)
(少し遡り)江戸幕府を引き継いだ明治政府は「脱亜入欧」のもと、西洋諸国からの科学技術を重視する政策に力を入れた。その中で、科学技術の具体物である機械に対して抵抗感がない風土が醸成されたいったとのこと。
それにより、世界有数の「自動化社会」に向けて邁進する中において、人々の中には「自動化製品」をよしとする観念が育っており、諸外国に比べて自動販売機が受け入れられやすい下地が出来上がった様子。
[2]大蔵省の通貨政策の後押し
大蔵省による世論調査結果を踏まえて、1982年春より500円硬貨が発行されたが、その理由が「自動販売機の普及に対処して、国民生活の利便性に資するため」と示される程、政策側の後押しがあったとのこと。
その際、硬貨の直径については自動販売機業界から「自動販売機の改造が大掛かりがならないものにして欲しい」という要望が出され、その要望を踏まえながら26.5mmに決定した様子。
(なお、100円通貨発行にも影響を与えたって!)
[3]そして、路上に設置できたから
"治安が良い"に近い部分がありますが、路上に24時間設置し続けることができた結果、企業側から見ても売り上げが立ちやすいビジネスモデルになったことが普及の大きな後押しになったとのこと。
(なお、ビジネスモデルという観点ではホット&コールド両用機の誕生により季節問わず売れる様になった事も大きな影響を与える様です!そりゃそうですよね!)
★所感★
明治政府からの国の政策が入り口となって、自動販売機が受け入れられやすい下地が作られていったというのは非常に新鮮でした!その中で、普及の最中、ボトルネックとなっていた"硬貨"に対するフォローが国からあったのも面白いなと思いました。
稚拙なたらればですが、「もし自動販売機が受け入れられない風土だったら、500円玉がなかったのかも?」とか想像してみると、日頃 目にする自動販売機の印象が少しだけ変わったりしませんか?笑
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最後までお読み頂きありがとうございました!
上記の内容は本著の内容を自分なりに整理したものです!
関心を持たれた方がいれば、こちら↓を読んでみてくださいね(笑)
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