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脳なしバカは曝け出す

藤原華さんの「なぜ、私は書くのか」に参加します。

能ある鷹は爪を隠すものらしいけど、悲しいかな、能なしのバカは曝け出すしかないようです。

「なぜ、私は書くのか」このテーマを見て最初に思ったのはあの言葉だ。
私は、大きな怪我をしても尚、度が過ぎる程に山登りをライフワークにしてている。
だからやはり「なぜ山に登るのか」この言葉と重なってしまった。

「何故、登る」と尋ねられれば、酒を酌み交わしながら、高山植物の写真をツマミに、朝焼けの雲海の映像を見て、遭難のエピソードを挟みつつ、それこそ窓の外に現実の朝が押し寄せるまで語る事が出来るのだけど、それでも、結局は答えが出ないのを知っている。
答えが「分からない」のではない「出ない」のだ。

だから、先に言ってしまうと「何故、書く」と問われたら、答えは無い。

それを実際にやって見せるとしたら、椅子の背に凭れて腕を組む。
ゆっくり足を組み直そう。視線を右上に移して目を細める。
最後に小さく、フッと息をついて薄い笑みを浮かべよう。
それが今のところの答えだ。

山を引き合いに出したけれど、意外に重なる面がある。
どちらも自己満足の極致だけれど、試行錯誤で書き上げた時は、苦難の末にたどり着いた山頂のそれに匹敵するほどの達成感だ。
まあ、どちらも、好きでなければ、無理を強いてまでやる訳ないのだけど。

じゃあ「何故好きなのか」そう問われ、はて、「いつから」だろうかと、ちょっとしたルーツを辿ってみると、とんでもなく昔に遡ってしまう。

小学生の頃に夏休みの宿題に出された読書感想文の為に、さして興味もないのに読みだした本が発端だったと思う。
その頃は、ズッコケ三人組辺りは図書室で読んだ事はあったけれど、他は漫画付きの伝記くらいがいいとこで、それ以外は、国語の教科書でしか読書などした事無かったと思う。

当時は、本を読む時間があったらサッカーをしていた頃で、リーディングするよりも、リフティングを一回でも多く出来るようにと必死になっていた。
まあ、読書は苦手だった訳だけど。この場合の読書は、少年ジャンプを除くと付け足しておくべきだろう。

そんなサッカー少年が、どんな経緯かはおぼえていないけれど、読書感想文の為に文庫本を初めて買った。
図書館で借りるのではなく、買ったのだった。
今でも見掛ける夏のイベント的なアレで、読書感想文の為のおすすめ文庫の中から一つ選んだのが、井上ひさしの「ブンとフン」という本だった。

あの頃は、木村和司の事なら、どんなボールを蹴るかまで知っていたけど、井上ひさしの事は、どんな本を書くのかも知らなかった。
だから、その本を選んだのはまさに「ジャケ買い」
決め手は、難しくなさそうなタイトル。それと、厚さ。いや、薄さだった。

読書してみようと手に取る本は読み易くなければならない。
持つのも嫌になる程の分厚い本はとても読み切れずに、小さな本棚でコミックスと、当時は貴重なサッカー雑誌に奥へと追いやられて、再び目にするのは数年後とかに成り兼ねない。
また薄すぎても、読んでやったぜ感が得られない。漫画の様に気軽に手が出せる代物じゃないのだから、失敗する訳にはいかないと、そんな馬鹿々々しい事を必死に考えて選んだ一冊だったのだ。

それがまあ、当たりだった。

思ったよりも馬鹿々々しくて、愉快だった。
少年の私は、すぐに独特なその世界に入って行くことが出来た、作中の歌なんかは勝手に曲も付けていた程だった。

後で知ったのは、この作品が井上ひさしの小説デビュー作で、元々はラジオドラマだった物を小説化したもので、音楽劇と題した舞台は今も尚上演されているほどに皆に愛されていた作品だった。子供の頃はとてもそんな大それた作品とは思わなかったけど。

ともあれ、その引きの強さ?のおかげで、本を読む習慣を手に入れた。習慣というには、ハーフタイムの何十倍もインターバルがあるけれど、図書館で借りる事も増えたし、吟味していた厚みも次第に増していった。
読む本が無い時には、親がたまに読んでいた赤川次郎に手を出し、姉が持っていた良く知らないアイドルの本も読んでみた。完読しなかったものもあったけれど。
読みやすさからショートショートにハマった時期もあったし、太平記辺りの時代小説が気に入っていた事もあった。

サッカーが忙しくなって本を開く機会も減ってしまった時期もあったけれど、年を重ねる様に本を積み重ねていく事になる。

節操がないほどに色々なジャンルの本を読んだけれど、深く残っているものはそこまで多くない。それでも「人生観が変わる程の一冊」にも出会えた。
ここではタイトルは伏せるけど、自分で書いてみたいと思ったのは、間違いなくその一冊に出会ったのが大きい。

そんな読書遍歴の始まりが、井上ひさしの「ブンとフン」だった訳で、「いつから好きか」と辿ったら「ブンとフン」に出会ってからと言う事になった。

物語の面白さを知って、そんな小学生の頃に誰しも一度は通る自作漫画の辺りが、創作の始まりではないだろうか。
最初は四コマ漫画で、次第に1ページずつ増えていく、あの決して他人には見せられない自作漫画。実際は一人の友人には見せるのだけど。

そこまで行くと、その次は、オリジナル台本でのラジオ風をラジカセで録音したりして、これも誰にも聞かせられないけど、一人だけに聞かせて、お返しにそいつの自作ラジオが返ってくるという闇のループに入って行く。

どちらの自作も振り切れていれば、その道に進んで行けたのだろうけど、残念ながら誰しも通るはしか程度のものだった。思春期の万引きみたいなもので、誰しも通るけれど、通った誰もが大泥棒に成長する訳では無いのと同じだろう。

そんな辺りを踏まえて「いつから好きか」と考えたところ
「万引きを覚えた頃から」となった。

奇しくも、物語を好きになる切っ掛けの「ブンとフンは」は、売れない作家フンと、大泥棒ブンの話しだ。

大泥棒は目指さなかったから、作家を目指したのかも知れない。
サッカーも駄目だったから、作家にってね。


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