第三話「率先垂範」
風薫るって、風の香りが分かるほど年も食って無ければ、グルメでもないけど、それでも、新緑の生命力って言うか、夏に向かってるパワー見たいのを感じ出してきた頃だ。
イギリスのチャールズ皇太子と夫人のダイアナ妃が大阪空港に降り立った。新緑の京都をご視察とか言って、テレビが騒いでいる。
「ワイドショーで、ダイアナ妃見るから休みだそうです」
校舎裏で、2年の斎藤が緊張して報告する。
「なんだそりゃ、あいつ、連休の中日に来てから、その後ずっと休んでんじゃねーか」
宇田川健が不機嫌に言うものだから、報告に来た斎藤も恐縮してしまう。
「はいっ、パトカーから走って逃げたから休むって、一昨日に連絡した時は仰っていました」
「だから、その、オトトイの話を聞きてえんだよ、テメーは失神してたから、ボコボコの顔だけで、よく分かってねーんだろが、だいたい高階は捕まえたのかよ」宇田川が巻き舌で捲し立てる。
「すいません、まだです」斎藤が、気お付けで返答する。
「まだじゃねーよコノヤロウ」と、足で軽く小突いく。
「すいません、家にも行ってみたんですけど留守でした」
「帰って来ない訳ねーだろが、なめてんのかコノヤロウ」宇田川の声がどんどん、怒声になる。
「はいっ、連休に家族で泊りで出掛けてたそうです。今日の朝はもう学校行ったって聞いたんですけど、スイマセン」斎藤も、宇田川に併せて大きい声で返答する。
「多分ですが、南中の土井と一緒じゃないかと思います」続けて、大きな声で報告する。
「だから、そっから連れて来いっつってんだよ」宇田川が吠える。
斎藤には宇田川の顔が任王象のように見えて恐ろしかった、口を開き怒鳴っているさまの像は、阿だったか、吽だったかと、一瞬考えていたところに声がした。
「宇田川先輩、失礼します」「しゃす」2年の生徒が慌てて駆け寄ってくる。仲間が来たことに少しだけホッとするが、すぐに同情に変わる。
「なんだお前ら、高階見つけたんだろうな」
宇田川の機嫌の悪さにたじろぐけれど、意を決して話し出す。
「スイマセン。駅前で高階と会って、先輩の所に一緒に来ようとしてたんですけど」
「あぁ、けど、どうした」と、宇田川がイライラして話を急かす。
「スイマセン。途中で南中の3年だと思うんですけど、捕まって連れて行かれました」怒られると思い、ビビッて早口で伝える。
「何だと、コラっ」宇田川が立ち上がって声を荒げる。
「南中の今西って人が、カツアゲした金持って、室戸先輩に詫び入れに、『天が谷』に来いって」
「なんだとっ」怒りで顔が紅潮する。
2年生が、蹴られると思って身体を竦めるが、宇田川は横を向いて、校舎の壁に蹴りを入れた。
蹴られはしなかったが、壁に蹴りを入れる宇田川の肩が怒りで震えていて、壁を蹴った振動が地面から伝って来るので恐ろしかった。
「斎藤、室戸は」宇田川が声を殺して聞く。
「はいもう帰ったみたいですけど、探してきます」と、斎藤が慌てて走りだそうとする。
「バカ野郎、違うよ、アイツには絶対に言うなよ」
斎藤が呆気にとられ、「でもっ」と、言い淀む。
「あいつは、すぐ謝り行くんだよ、何も気にしねえでよ。こっちに非があるけどよ、うちの大将はそんなに安かねーんだ、俺が話しつける」
宇田川が、怒りを抑えて言い聞かせる。
「3年の先輩集めて来ます」斎藤が言う。
「話ししに行くんだ、いらねーよ」
斎藤は、いつも宇田川の事を、恐くて口煩い先輩だと思っていたけど、初めて、恐いけど格好良いと感じていた。ゆったりと歩いていく宇田川の後ろ姿に、「青野先輩は」と、声を掛ける。
「知るか、ほっとけ」
山田が声を掛けてきたのは、ほんの1か月前、高階伸二の家の前で自転車のパンクを直していた時だった。作業に夢中になっていて気付かなかった。
「自分ら、川名中だろ、1年って感じじゃないよな、2年?」
急に声を掛けられて驚き、声の方を向くと、坊主頭に剃り込みをいれた奴が不均等に口角を上げて微笑していた。それが山田弘だった。
思わず立ち上がって向かい合った。威圧感や敵意みたいなのも無かったし、別段、強そうには感じなかった。けれど嫌な笑顔だった。
「ちょっと、恐いなー、そんな睨むなよ」
斎藤は言われて、無意識に睨んでいた事に気付いた。本来、そんなに好戦的ではない。体格は小さい方ではないので、喧嘩をすれば2年生の中でなら強い方かも知れないけれど、好んで争う事はしない。
どちらかと言えば、高階の方が不良っぽくて憧れも強い。おしゃれ角刈りに細く整えた眉を寄せて睨む。
「何なの、お前」
山田は絡んでくる訳でもなく、高階の自転車を見回して、
「何、絞りハンかよコレ」
急に馴れ馴れしくしてくる。高階は悪い気はしない。
「悪い悪い、俺、そこの先の公園のトコに引っ越してきたんだけど、何、パンク?」
高階の家は古い住宅地の端の方で、一区画先は新しく造成されていて、住宅が疎らに建ちだしている。山田の家は区画整理の為にそこに換地して引っ越して来たらしい。
「やっぱ、タメかよ」
同い年だと分かると、更にくだけてすっかり和んで、3人で座り込んで喋っていた。
「じゃあ、今は南中まで通ってんの?」
「いちいち、駅までバスで出て、またバス乗り換えて行くんだぜ、かったるくてよー」
「へー、ウチなんか学校すぐそこだぜ」
「近すぎんのも嫌だな」
すっかり笑い合って話している。
「二学期からは、川名中通う事になるからよ、よろしく頼むわ」
山田が口の端を歪ませて引きつる様に笑う。嫌な笑い方だけれど、悪意のある笑いではないのだと思った。だとしたら、悪意がある時は、どんな笑い方をするのだろうか。
それからは、高階の所に頻繁に寄るようになり、川名の連中ともツルむようになった。
反発するかと思ったが、意外と高階と気が合ったようだった。
ある時、八幡神社に屯っている所に、山田が南中の奴らを連れて来た。
概ね友好的な面子だったけれど、土井という奴は違った。一人ずつ値踏みする様にねちっこく、下から上へと視線を這わせる。敵意と言うよりも端から見下している。
「おい土井、人のツレ威嚇してんじゃねーよ」
山田が笑って文句を言う。本気で窘めるつもりなど無い。
「いやー、山田の転校先の人達がーどんなモンなんだか、気になっちゃってよー」
短めのリーゼント風に流したサイドを撫でつけながら、ゆっくり身体を揺らして、顔を近づけてくる。
こういう時は、最初が肝心とよく言うけれど、土井の仕掛けは結構な効果があり、川名の連中は完全に飲まれていた。
「おい、何のつもりだよ、お前」
高階だけは違っていて、土井が寄って来ると、前に出た。
顔を近づけて向かい合う。土井は笑っているが、高階はきつく睨む。
「おいおい、こえーなー、お前が高階だろ、聞いてるよー、川名にも使えるのがいるってよー」土井は顔を歪ませて大きく笑い、わざとゆっくり喋る。神経を逆撫でる様な喋り方だ。
「使えるってえのはどういう事だよ。山田、お前かよ言ったの」
高階が声を荒げるが、土井には響かず、ヘラヘラと言う。
「そんないきり立つなよ、褒めてんだからよー。なあ山田」
「高階よー、お前から見て土井は使えるか?南中にとってお前らが使えるって事は、お前らにとっても南中が使えるって事だろ、そういう関係がベストじゃねえの?」山田が珍しく真面目に話す。
「え、お互い様って事かよ、対等つうの?」
「たまたま、俺が隣りの学校に転校する事になったからよ、せっかくなら、その方がいいんじゃねーか、大原さんは別格としても、上の代に負けてらんねーだろ、ちったー名前売ってかねーとよ。そう思わねー」
斎藤は、名前を売ってくだなんて考えた事も無かった。上の代の先輩は、歳は一つしか変わらない筈だけど、ものすごく上の人の様に思っていた。自分たちがそこに近づくだなんて、想像して、身体の中を震えが走った。
高階も、実感が無いようで「おお・・・」とだけ答えた。
「ただよー対等通にはちっと、足りねー気はするぜー」土井が悪戯に挟んでくる。
「まあ、言われても仕方ねえ所もあるよなあ、斎藤」
山田に急に振られ、焦って「はぁ」と言うつもりが喉がひっ付いて「ひゃっ」と返事をしてしまう。
ひゃまだは斎藤に近づいて肩に手を回してくる。
「まあまあガタイもあるし、喧嘩も強いんでしょ?」挑発するような言い方だ。
「なのに、イマイチ気合足ねえって言うか、締まらねえっていうか、そういう所は高階まかせなトコはどうなのよ?」
そう言って軽く身体を揺すってくる。
「高階の次は斎藤がビッとしねーと、他の奴らも続けねーじゃんよ、なんて言うんだ、そっせん?すいはん?ってヤツだよ」
言っている事は良く分かる。気にした事も無い訳じゃない。
「お前らもそうだぜ」川名の面々を煽る。
「そろそろ気合い見せるトコじゃねーのー」と、焚きつける。
斎藤よりも、他の鈴木達の方が響いたようで、「おーっ」と、手を上げて返事をしそうな程、顔付が変わっていた。乗せられてる様にも見えた。
土井がまた、ニヤけてゆっくり話し出す。
「川名によー、やって欲し事があんだよー。川名の気合い見せてくれよ」
どこかで聞いたような言葉が、静かな神社に浮き上がり、まんざらでもない奴らの秘めた決意みたいなモノを、こっそり春の風が冷やした。
山田は「金には困ってねえよ」と、カツアゲには係らなかった。そんな事の為に横で連んだんじゃねーと言っていた。けれど、川名を煽って躍らせたのは山田の言葉だった。
結局、カツアゲは高階と斎藤がやる事になった。鈴木や他の連中にまでやらせなくって済んだのは幸いだろう。ただ、土井たちが、先輩の名前を使ってやっていたのは知らなかった。
信じられないほど身の程知らずの行為だ。昨日、トイレに連れ込まれて初めて知ったのだ。
斎藤は、罪悪感に潰れそうでも何も出来ない。宇田川に「ほっとけ」と言われたが、青野を探しに走り出した。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?