北村透谷私論(5)
〈昭和〜平成六・没後一〇〇年前後〉
•佐藤善也
既に多くの研究論文において透谷論を発表しており、また『日本近代文学大系9 北村透谷•徳富蘆花集』(昭47 角川書店)における透谷注解の業績もあった。氏の昭47〜平6までの論考が『北村透谷ーその創造的営為』(平6 翰林書房)にまとめられ、中でも「Ⅳ三つの座標軸」では「恋愛観の構築」「劇的人生把握」「天涯の歴史と人間の歴史」としてそれぞれ『厭世詩家と女性』『満足』『一夕観』におけるコールリッジ・エマーソン・カーライルからの影響を比較文学的方法で論証している(『国語と国文学』平7 槙林滉二氏書評より)。
・北村透谷研究会
平成三(91)秋に発足し佐藤泰正を会長とする。このことからも、九〇年代の研究推進力が透谷のキリスト教思想・形而上的思念を中核とする分野にあることを思わせる(中山和子氏)。透谷論集『透谷と近代日本』(平6 翰林書房)を刊行した。
※なお、東郷克美氏の整理がなされた時点で、「小田切氏の「内部生命論」的透谷像(平岡氏)、笹淵氏のキリスト教的透谷像、平岡氏の「明治文学管見」的透谷像、桶谷氏の反近代的透谷像、色川氏の自由民権の「地下水」的透谷像」などの名称が代表的な研究に対して与えられていたが、このことに関して、黒古一夫により、「それまでの透谷論を類別して△△的とか○○型とか言うこと自体、透谷は論者の恣意によって把えて構わないということに」なる(『北村透谷論』冬樹社)との批判がなされている。この批判の当否は措いても、私の研究では、透谷思想の中心がどこにあったかを示すことではなく、透谷の個別的思想がどのような構造を形成して機能しているのか示すことを、主眼としたい。
※この文章は私の卒論の中間発表のレジュメを元に作成したものである。したがって内容をアップデートするべき点もやや目立つ。北村透谷研究会により『北村透谷とは何か』(2004年5月16日)などの書籍も出ている。だがここではとりあえず、ここまでとする。
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