北村透谷私論(1)

 北村透谷が自殺してしまったのが25歳4ヶ月。早すぎる。その透谷を信奉して僕などはさらに20年近くの馬鈴を重ねてしまった。

 昔の人の書くことだから、なんて手を休める事は出来ない。彼の批評は時代の精神から出でてそれを彼の詩情へと濾過させる機能を持っていた。充分、現在でも機能する。

 透谷にあっては詩の実作をするより以上に批評の小文の方に於いて力を発揮したようだ。
 そこでは多くの問題意識をを持ち、それを特異な概念を以て独自な観念世界を表現している。

 例えば「想世界と実世界」「神性と人性」、「心機妙変」「各人心宮内の秘宮」「内部生命」などである。とくに「心宮」は「霊魂」「霊活」につながりまた、『人生に相渉るとは何の謂ぞ』にて透谷が発した「凡ての霊性的革命は此処を辞して去るべし」の一節など、強い主張の基盤にもなっている。

 また彼が仕切りにその登場を願って止まない「理想詩人」がある。その到来することを願って「理想詩人」と呼んでいるのであって、彼が活躍した当時「没理想論争」が文壇的には闘われでいたものの「写実か理想か」といった争いには深入りせず、上記の論争がハッキリと白黒つかぬ間に透谷は透谷で「理想詩人」また「理想派の詩人」と言った旗印を彼の流儀で押し立てたのである。

 (付言すれば、この論争はその後の自然主義をもたらすのかも知れない。そう考えると透谷は分が悪そうである。文学史上の評価と作家論的な評価で評価が分かれそうである。いかんせんちょっと調べたら分かること、書いて不勉強が露呈します。)


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