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パパゲーノ

ほぼほぼ自殺したいとかは既に考えなくはなりました。子どもの頃は死ねば養育費浮くかな、とかは思いながら生きてました。

大人になって成人になれて裁量権をもって楽しみをたくさん覚えてからとある一言でいつしか死にたいとかは思わなくなりました。

PMSもメソメソより殺意が出るタイプです。

それから年月が経ち、たまに私は前世では相手より先に死んだのではないかと思うようになりました。
死んだのか殺されたのかはわかりませんが。年月の間に不思議だった現世での出逢いが必然的であるのだと認識するにつれ。

たまにごく稀に死んでもいいのではないか、と思うようになったのです。元々私は自殺肯定派ですし、生きるか死ぬかは本人に与えられた最大の自由だとも思っています。

理不尽な事件に巻き込まれるのはイヤだけど気に入った人や事柄の為なら死を選んでもいいかな、とかは漠然と思うことはあります。

ただ、今はたまに死を思っても死ねないのです。表題のパパゲーノ、今先程知りましたが私の今の留め金はこの現象です😅
どーしても今死ねないというか死んだら現世のことなぞ気にする必要ないのに一つの見栄というか矜持が留めにくるのです。

それをつくったのも留めているのも、過去に私を生かすようにしてくれた本人からの影響を再びつよくうけているようです。厳しい道を用意してくれます。全てからの自立の道です。応援も邪魔も自分用に微調整を私に加えるのも相手です。

仕方ありません。私に現代的に動ける自由はありつつも結局は相手のGARDENの中での出来事なのです。庇護があるので絶対的な庭の中での出来事なのです。そう、子どもが自分の庭で遊ぶように。圧倒的に目覚めて起きている相手の方がどういうわけか強いのです。私がまだまだ起きてないのか前世からやられた穴が開いて風穴となっているのでしょうか。

前世で私を殺害した事の名残りが現代法にうまく沿う形。もしかしたら片割れの相手も無意識のカルマに縛られてるのではないか、と思うのです。あまりにも屈折している。

誤解か事故か、逃げようとしたら殺されたのでしょうか。少なくとも私の思う前世、では魂は既に分かれていた中で出逢えていたようです。

私に自分を認識させてばかりいないで少しは世界進行させてよ、とツインレイに対して思うのです。

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