「100万円の女たち」リアリティのなさ
昨日、Netflix版「100万円の女たち」を観終わって、大満足。
多分、相方が「寝たいからいい加減に消して」って言わなかったら、12話でやめず、最初から最終話まで一気に見てた。それくらい面白かった。
ちなみに私の推しギャルは菜々香ちゃん。
他の人はどうかわからないけど、私は本なり、映画を見たあとは、数日間くらい頭の中で情景、セリフ、映像を再生させて楽しんでいる。
そんな時は、心に響いた場面ばかりでなく「あの場面、私ならこう書く」とか「ごまかしてるけど、あの脇役の行動は変だった」「あの行動をするのに、まだ感情描写が浅い」など生意気にアナライズもする。そして、今後の自分の物語に生かしたり。
そして、やはり気づいてしまった。
「100万円の女たち」のリアリティのなさに。
そのことに閃いた時の私の脳内映像、以下。
コロンボ刑事のお決まりのシーン。容疑者の家へ職質にいき、「ありがとうございました」と部屋を出かけて、葉巻を挟んだ指を軽く持ち上げ「あ、もう一ついいですか」と振り向く。これね。
それは、主人公道間慎の身に降りかかった奇妙な出来事(設定・構成)ではなく、
道間本人が作家をしているのは「小説が好きだから」と告白しているにもかかわらず、
道間慎の家には本が少なすぎる!!!!!!
以前雑誌で見た、あさのあつこさん、石田衣良さん、司馬遼太郎さん、彼らの部屋は本で溢れていた。念のためググれば夏目漱石先生のお部屋も同様。ちなみに、道間は携帯電話はおろか、ガジェットの類は一切持っておらず、原稿用紙に執筆である。つまり、電子書籍の利用もないと思われ。
もちろん、本棚にチョロチョロ程度はあった。(それも自身の著書)で、最後引っ越すのだけど、そこには本の気配は全くなかった。
うーん、本を読まない作家って、それもベストセラー作家になるくらいの人が、本読まないってどうなの。いや、世の中いろんな人がいるから、本読まずして本を書く天才ももちろん存在すると思うけど。
でも、道間は、そういうキャラじゃなかったしなあ。
最低でも、自分が作家になる前に感銘受けた本くらい家に置いておかないかしら。(失くしたら、また買ってでも*この辺りはネタバレなのでボヤかせておく)
そうじゃなかったら、私が演出家、監督だったら絶対に本で埋まった本棚ひとつくらい用意させるのに。
残念。面白いドラマだっただけに、ほんと、そこだけ残念。