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真心込めて、審判を

「アメリカーノ〜」「ひとりよがり〜」と繋がっているようなお話。

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 家の奥で埃を被ったそれを見つけたのは、少年時代のほんの些細な冒険心と少しの寂しさのお陰だった。
 ボロボロのビニール袋を被らされて居心地の悪そうに縮こまっていたそれを引っ張り出し、テレビで見たように小脇に抱えて、右手を上から滑らせる。
 今思えば、ろくに手入れのされていない、狂いに狂った不協和音。それでも彼は、昔の俺は、その音に酷く惹かれたのだ。
 そうして俺は、音楽にのめり込んだ。

 そして今。

 俺はとんでもない選択肢の前に立たされている。

 遡る事一時間。
 今日は駅前での路上ライブの日で、相棒のエレアコを背負い、アンプを右手に、マイクケースを左手に抱え、てくてくてくてくと寒空の下を歩いていた。近づいてくるクリスマスに浮かれた街は、『お一人様』には余所余所しい。長期休み前にありとあらゆる教師という類の大人が発する言葉「学生の本分は学業にあり!」を盛大に無視して、『お連れ様』を作るでもなく、俺はこうして音楽に没頭しているというわけだ。まあ、頭は悪くないから安心して欲しい。
 おっと、話がどんどん脱線していくのが俺の悪い癖だ。ライブのMCが延びて延びて結局二曲だけ弾いてタイムオーバーになったことだってある。反省反省。まあなんだ、そんな取り止めもないことを考えながら、俺は今日の仕事場へ向かっていた。
 余所余所しさの渋滞する街に楽器をセッティングして音を鳴らす。アスリートがウォーミングアップを欠かさないように、ミュージシャンだってアップをする。ましてやこんな冷たい空気の中演奏する日には。少し派手なフレーズを弾けば、客がちょっとずつ寄って来るのも経験則。観客集めは収入の命だから、どんな小手先だけの狡い技だって繰り出すべきだ。
 そんなこんなで一曲目、これは自分の力量を十二分に発揮できる、『いつもの曲』。二曲目はノリの良いキャッチーでアップテンポな『盛り上げ曲』。有名曲のコピーとアレンジはお手の物だ。自分で言うのもなんだが、中々に稼ぎは上がる。
 タイムリミットが来たら、宣伝を織り交ぜつつ締めてお片付け。このタイミングで声を掛けてくれる人も多いし、片付けのスピードや順番は計算済みだ。なんてったって心理学部。会話術にも長けているし、人の心情を読み解くのもお手の物。

 と、思っていたのだけれど。

「ね、君」
 路上ライブ三点セットを手に持って、帰路についてしばらく後。声を掛けてきたのは、強面の茶髪の男だった。俺より五つほど歳上だろうか、ジーパンにTシャツというラフな出で立ちながら、どこか華のある佇まいが印象的だった。
「さっき、駅前で演奏してた子だよね?」
「へ?」
 我ながら間の抜けた声が出た。男は続ける。
「良い歌歌うなぁと思って。良かったらちょっと話さない?」

 そして、冒頭に至る。

 店へ向かう道すがら、まず男は自己紹介をした。こぢんまりとしたカフェを経営しているらしい。マスターと呼んでくれればいい、と彼は笑った。笑顔の可愛らしい人だ。驚いたことに、歳は俺より十も上。……俺の目が節穴だったのではなく、彼が若すぎるのだということにしておこう。そうしないと俺が悲しい。
 彼に倣って、俺も自己紹介をした。心理学部に通っていること、音楽が好きなこと、特に一昔前のブルースなんかが好きなこと(お陰で話は弾みに弾んだ)、などなど。マスターも学生時代に音楽をやっていたらしく、話の種が尽きることはなかった。コレは所謂ナンパというやつだろうか、いやいや、十も離れた男をナンパする道理はどこにあるんだ、とかなんとか、思うところは多分にあったけれど、なんだか妙に居心地が良くてそんな思考を頭の片隅に追いやる。
 しばらくして、俺たちはオシャレなカフェの前に辿り着いた。温かみのある木の扉はすべすべとした肌で日光を柔らかく受け止めていて、金色の枠に嵌め込まれたガラスの向こうにぼんやりと店内が見えた。後日調べたら、エッチングガラス、とかいうやつらしい。オシャレなフォントで店名が彫られたそれは、開放感とプライベート感を同時に演出するにもってこいなんだろう。
 俺が分析癖を遺憾無く発揮している間に、彼は扉を乱暴に引いた。ころころ、という丸い音が暗い店内に響く。あれ、さっきチラッと見えたプレートの文字はCLOSEだったと思うんだけど。戸惑っていると、カウンターの向こうからグラスを取り出した彼が二人掛けのテーブル席を示した。座れということだろう。この立ち居振る舞いを見るに、彼はこのカフェの店主らしい。さっき自分をマスターと言っていたし。軽やかな氷の音を立てながら、マスターが向かいの席に着いた。濃い茶色の液体に輪切りのレモンが浮かべられた、綺麗なガラス細工が俺の前に置かれる。ふわり、とコーヒーが鼻腔をくすぐった。
「今度メニューに追加しようと思ってる、レモン・コールドブリューってやつなんだけど」
 どうかな、と尋ねてくるその眉尻少し下がった。言われるがままに口に含む。さっぱりしたレモンの風味がコーヒーの苦味を包み込んで、爽やかな口当たり。すっきりと頭が覚醒するような心地になる。
「美味しい、です。さっぱりしてて」
「本当? 良かった」
 メニューに追加するにあたって、普通の人の意見も聞きたかったから、とマスターが表情を緩ませる。
「今日はお店、休みなんですか」
「うん。5の付く日はお休み」
 それでね、と、マスターが居住まいを正した。
「うちで働いてくれないかな、と思って」
「……は?」
 口から零れたのは間抜けな一音で、唐突な申し出に目をぱちくりさせることしかできない。え、今の唐突だったよね? 巧妙に隠された伏線とか、あったっけ。思考があらぬ方向に飛んでいく。コレはもう仕方がない、許してほしい。だって。

 君の歌、すごく感動したから、うちで演奏して欲しいな、なんて。

 吐く息が震える。体が熱い。顔は多分真っ赤だ。それほどまでに、こんなにも真っ直ぐな好意を向けられたのは初めてで、いつもなら笑顔の裏に隠せてしまえるのに、今し方言われた言葉がぐるぐると頭を巡って。

 お願いします、と絞り出した言葉に、目の前の彼が破顔した。

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