「プログレッシヴ・ロック」の真実 (2004.03.10)

ブラフォードとホールズワースがその後どうなったか、を書こうと思ったがその前に、プログレとは何だったのかについて述べておこう。

全ての音楽ジャンル名がそうであるように、「プログレッシヴ・ロック」もどこかの非音楽家によって名付けられたものであり、明確な定義は存在しないし、全ての音楽ジャンルがそうであるように、プログレと非プログレの境目はあいまいである。しかしながら、お決まりの「聴く人がプログレだと思えばいいんじゃーん?べつに。」という、受け手オリエンテッドな恣意化・個別化は、本質の探究を妨げ、思考停止を招く。白黒はっきりつけたいことに関して人一倍な私は、ここで敢えて、プログレの本質を明らかにしておく。

結論から言おう。「プログレッシヴ・ロック」とは・・・

'60年代末〜'70年代のイギリスにおいて、従来の「ロック」の意味を、他ジャンルの音楽から手法を導入することにより、以下の5つの方法で音楽的に拡張しようとしたロック:

   1. 和声/旋律の拡張
   2. ビート/タイムの拡張
   3. 楽曲構成の拡張
   4. 楽器編成の拡張
   5. 詞の意義の拡張

・・・であーる!!では1.〜5.の各々について、より詳しく説明しよう。

1. 和声/旋律の拡張・・・平たく言えば、「セブンスコードががが、ラドレミソラーばっかじゃなくて、もっといろいろやってみようよ」ってことだ。ディミニッシュ/オーグメント/オルタード系コードおよびノート、モーダルアプローチ、多調や無調などの導入が試みられた。導入元は、クラシック、現代音楽やジャズである。

2. ビート/タイムの拡張・・・平たく言えば、「8ビートどどたどどどたどばっかじゃなくて、もっといろいろやってみようよ」ってことだ。混合拍子や変拍子、無拍子の導入が試みられた。導入元は、現代音楽や民俗音楽である。

3. 楽曲構成の拡張・・・平たく言えば、「イントロがあってAメロBメロサビがあって間奏があってーみたいなんばっかじゃなくて、もっといろいろやってみようよ」ってことだ。この試みはさらに、以下のふたつに分けられる:

   a) ひとつの楽曲を構成する各部分が深化・拡張された、長大な構成が試みられた。またアルバムを構成する各楽曲を、ひとつの作品の構成要素と捉え、いわばアルバム1枚で1曲、といった構成も試みられた。導入元は、クラシックや現代音楽である。

   b) 従来、単に各コーラスを繋ぐ楽器演奏部分であった「間奏」を拡張し、即興演奏の導入が試みられた。相対的に演奏力への比重が上がり、歌唱力への比重が下がった。導入元は、現代音楽やジャズである。

4. 楽器編成の拡張・・・平たく言えば、「ギター+ベース+ドラムス+キーボード+ヴォーカル、みたいな編成ばっかじゃなくて、もっといろいろやってみようよ」ってことだ。当時最新の電子楽器が積極的に導入され、また弦楽器や管楽器なども編成に加えられた。導入元は、クラシック、現代音楽、ジャズである。

5. 詞の意義の拡張・・・平たく言えば、「アイラブユーベイベーとかばっかじゃなくて、もっといろいろやってみようよ」ってことだ。3. による楽曲の長大化とも相まって、哲学的/概念的な歌詞が試みられた。導入元は、文学である。

これらに加えてもうひとつ重要なこと。それは、これら五つの試みを、あくまでもロックという土壌に片脚を置いた上で実現する必要があった、ということだ。クラシックや現代音楽、ジャズなどで既に実践されている手法を徹底しようとするなら、クラシックや現代音楽、ジャズを演ればよい。あるいはそれらが融合した音楽を演ればよい。しかしながら、「プログレ」が目指したのは、ロックからの「脱却」ではなく、「拡張」だったのだ。つまり、 Progressive Rock とは、 Expansive Rock でもあったのである。


さて、私は注意深く、「○○しようとした」「○○が試みられた」と書いた。これには大きな意味がある。なぜなら、上記1.〜5.の全ての導入をあまねく行い、それに成功したバンドはほとんどいないからである。

ただジャズ風クラシック風な楽器を加え、それ風なアレンジを施しただけの作品もあったし、ギターレスのオルガントリオという珍しい編成でクラシック曲をカヴァーしたりもしているが、やってることはただのロケンロー、というバンドもいたし、ジャズ風サウンドでインプロヴィゼーションもやるが、ジャズ演奏家の足元にも及ばない退屈でユルーいソロを延々垂れ流しているだけのバンドもあった。それでもそれなりに新しいそれらのサウンドは、ジャーナリストにはどれも似たように聞こえたらしく、十把ひと絡げで「プログレ」の範疇に入れられた。つまり、上記のうちのひとつかふたつだけを試みたバンドも、五つやろうとしたが中途半端にしか出来なかったバンドも、みんなまとめて「プログレ」だったのだ。上記3-a、4、5 は、比較的誰にでも容易に出来る。が、1、2、3-bを実践するには、技術が必要なのである。

もちろん、リスナーにとっては必ずしも上記五つの導入が全て成功裡に終わっている必要はなかっただろう。ひとつかふたつだけの導入、中途半端な導入、うわべだけの模倣、つまりは技術の不十分さが、結果的に「聴き易さ」を生み出し、リスナーに好意的に受け入れられることは、よくあることだ。好意的に受け入れられれば、それは商業的成功に結びつく。レコード会社は喜んだだろう。しかしながら、それは音楽的価値とは関係がない。「進歩」「拡張」を目的とし、それらを自らに課した音楽は、それを全うする義務があったのだ。プロコル・ハルム Procol Harum の “A Whiter Shade of Pale” (「青い影」)はJ.S.バッハ由来であったし、ムーディ・ブルース The Moody Blues はオーケストラを編曲に導入したし、キース・エマーソン&ザ・ナイス Keith Emerson & The Nice はクラシック曲を扱ったが、これらが「プログレッシヴ・ロック」とは呼ばれなかったこと、そしてこれらの作品とともに、ピンク・フロイド Pink Floyd のファーストアルバム “The Piper at the Gates of Dawn” が発表された1967年ではなく、キング・クリムゾン King Crimson のファーストアルバム “In the Court of the Crimson King” が発表された'69年を「プログレ誕生」の年とする説があること。これらの事実が、上に述べた「プログレの義務」を暗示している。


U.K.のファーストアルバム “U.K.” は、上記五つの試みに、全て成功している稀有な作品である。4人のメンバーそれぞれが、必要かつ十分な技術を供給し合っている。ジャズからの導入に関してはホールズワースが、クラシック/現代音楽に関してはジョブスンが、ビート/タイムに関してはブラフォード率いる全員が・・・。ただ取って付けた形式的な導入ではなく、極めて高いレベルで有機的に実現されている。加えて、ブラフォードとホールズワースは「俺達、べつにロックじゃなくてもいいもんねー」「うん。だって俺なんかトニー・ウィリアムスのバンドから来たし」だったわけだが、ウェットンとジョブスンがきちんと「ロックの土壌に片脚を置く」上での役割を果たしている。これも「プログレの音楽的義務」のひとつであり、追求すべきひとつである(ロックという音楽は、クラシック、現代音楽、ジャズに較べて商業的な優位性も持っているが、それは目的ではなく、あくまでも結果である)。自らに課した目的に自らを最適化し、融合が真に成功裡に果たされた時、そこに在るのは強固で安定した構築物であろうことは、当然の結果であると言えるだろう。

プログレの最終進化を終えてしまったU.K.は、分裂した。「俺達、べつにロックじゃなくてもいい」ふたりは、ロックの土壌に置かれた片脚を、切り離してしまったのだ。こうしてU.K.を離れたブラフォードとホールズワースは、翌年、新たな、とんでもないものを生み出すことになる。

(2004.03.10)


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