木と暮らす町、井波。
地域ものがたるアンバサダー富山、木彫の町井波旅。
バスを降りて八日町通りを歩き始めた途端、どこからともなくやってくる香気と、ミノで木を打つやわらかな音色に包まれ、町を取り巻く独特の気配にはっと意識が冴える。
香りの正体はさまざまな種類の木の香りで、まるで山から木霊が降りてきて集まり、かたちを成してゆくことの喜びに満ちているよう。
この町の様子はただごとではないなと歩き始め、出会ったのが宮彫刻師三代目南部白雲さんです。祖父の代から120年にわたる宗教美術の木彫専門家。
欄間や仏像はもちろん、厨子、唐戸、隅龍、神鏡台、天蓋など日本全国の社寺仏閣からの依頼で制作をされています。
現在依頼されているいくつかの仕事の資料を見せてくださったのですが、まずは依頼にまつわる文献や資料探しからはじまり、サイズに合わせた設計デザインのスケッチを何度も何度もやり直し、墨で清書。同時に材料になる木を探し、彫り始めるまでに数年かかることもざらなんだそう。
貝や石が必要となるとそれらを見つけに地方を訪ね、仕事によっては大工や左官職人、銅器や鉄を扱う職人さんとの連携を取りながらしかも、自分が理想とするものを作るための方向性が同じ職人であることが重要。
高野山奥之院の生身供で使われる「唐櫃」奉納プロジェクトでは、百年後の国宝とするべく日本全国26名の職人(鋳物師、金箔師、建具師、屋根葺き、彩色師、螺鈿師、漆塗師など)の方々と、今持てる最高の技術で最高峰のものを作るという、制作期間3年にわたるチャレンジをされたそうです。
「ものそのものではなくそれを作る技術こそが伝統」
人の技術は使わなくなれば錆び、やがて消える。
案内してくださった工房では、新湊の放生津八幡宮からの依頼で、枯れてしまった神木の松を使ってゆかりの大伴家持像を制作しておられる最中でした。
こちらも倒れた松を乾かすのに3年、構想に1年、ようやく彫り始めることができているのだそうです。粘土で出来た「原型」や実物大の設計図も貼られ、工房内にはそのほか人体解剖図や大伴家持関連の本のページも開かれていて、ひとつの木彫作品に膨大な知識と時間を費やしていることが窺われます。
また、カメラが設置されており、制作の過程を弟子の方々が参照できるように映像も残しているのだそうです。
蔵には三代に渡って残されてきた設計デザイン画がぎっしり。そして片隅にあったアイヌの木彫刻は、明治時代に北海道へ技術指導に渡った祖父が、交流のお礼にとキップベツのアイヌの方から贈られたもの。
所謂アイヌのお土産の木彫り熊の原型になったのだそうです。
写真の美しい仏像も実は「原型」。実際はこの3倍の大きさのものを制作して納品したらしいのですが、この緻密さ。
木が育つのに100年、
生み出されたものが次の時代へと100年。
町に到着した時に感じた木霊たちは、人びとがじっくり木と対話し、
丁寧に扱っているから喜びに来ていたのですね。
そしてこの工房でも、一度は枯れたはずの松の神木が夢のように香気を放ちながら、神聖なものが生まれでる気配に満ちていました。
井波という土地は時間体感が面白い。
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