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「わたし」がいない100年先へ〜立山という神に会いに。part2 立山開闢伝承の地室堂玉殿の岩屋

夢のような弥陀ヶ原湿原からさらにバスでのぼり、立山登拝の拠点になる室堂(標高2450m)へ到着。

part1はこちら↓


この頃には小雨が降り始め、美女平の時と同じようにガスが出て周りは真っ白になり、何も見えない状態になっていました。雨のせいもあって肌寒く、10月下旬並みの気温。夏とはいえダウン必須です。

本来ならこの向こうに雄大な山の景色が見えるはずなのですが霧で何も見えず。
旅ではまず土地の水を体に入れる。
室堂の湧水ポイント、
霊山雄山直下より湧出する地下水です。
滞在中は何度もここへ水を汲みにきました。
遠くの景色は何も見えないので、
足元の道と立て看板を目当てに歩く。

この日の宿は立山室堂山荘。
1726年に立山信仰の登拝者のための宿泊所として建てられた日本最古の山小屋で、重要文化財として室堂小屋南室が復元修復され現存しています。

重要文化財の室堂山荘。
現在は資料室になっていて、
宿泊はこの向こう側の新しい建物で。
山荘前の地蔵堂。

視界が悪い中ようやく山小屋に到着、重たい旅の荷物を下ろして、立山信仰開闢神話の地「玉殿の岩屋」へ明日の雄山登拝の安全祈願へ向かいました。
この頃には風雨が強くなり、明日の雄山登拝への不安も。

狭い山道と小さな崖を降りるとひとつ目の洞窟。
立山の溶岩の噴出時にできた板状岩盤
さらに降りると二つ目の洞窟が。

これらの玉殿の岩屋と呼ばれる2つの洞窟が立山開山神話の場所とされています。中には古い石仏が立ち並び、歴史の深さを窺うことができました。

「平安末期に越中守・佐伯有若宿禰が鷹狩りのために山に入ったところ鷹が逃げてしまい、鷹を探しに山中に入っていくと熊が現れ襲ってきたので、矢を射かけた。熊は矢を受けたまま山中に逃げたので追っていくと、熊とみえたのは阿弥陀如来で、その身には有若が射た矢が刺さっていた。これを見た有若は菩提心を発し、弓を折り髪を切り沙弥となり、慈興と名乗った」立山開闢神話

山頂の雄山神社ではこの縁起による鷹と熊が神札になっています。

トリカブト群生。

玉殿岩屋の崖途中にはトリカブトの花が群生していました。雨が強くなってきてしまったので一旦小屋に戻って明日に備えます。
いよいよ明日は雄山登拝。視界が悪く足元が見えないと危険なため、天候が気になるところです。

part3へ。

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