菫 1
20XX年 某月
国民の幸福度向上のためのヤンデレ及びメンヘラ等に代表される従来の倫理観の枠に捉われない幸福追求の法的保障に関する特別措置法 公布
科学の発展により、懸念されていた環境汚染に対する解決策も次々と生み出された。医療の進歩により、生活習慣で不健康になるリスクや病気で命を落とす事も減った。テクノロジーは、そんな人間たちを高速に、大量に、世界中でつなげてみせた。
しかしその結果、多くの価値観への共感や共有と同時に拒絶や排斥が起こった。人間に最後に残された脅威は、自分たち人間自身だった。つまりは人間関係である。
受け入れられなければ近寄らなければ良い。けれど異質なものを遠ざけようとする人の心理か、そうした相容れぬ価値観を持った者同士の軋轢は深まるばかり。名誉棄損や脅迫に留まらず、実際の傷害、殺傷事件にまで発展するケースが相次ぎ、国民は不安を募らせていった。
そんな中、政府はある実験に関する提言を行った。
SM、露出、小児性愛などの一般的にはいわゆる変態趣味(厳密には性的倒錯障害)と呼ばれるものは元より、従来の分類上、障害に類する事が難しい、一般的には理解しがたい行動原理で恋愛をする人間たちを集め、彼らが最も幸福と思える行動を追求できる住環境を整え、幸福になる権利を保障しようと言うのだ。
全ての人間がつながるが、互いを正確に理解し合う必要はない。また必要以上に攻撃し合う必要もない。ただお互いを理解し合える仲間たちが集まるコミュニティ同士が浸食し合わないよう隣接するだけで良い。適度な関心と、適切な無関心。それこそが互いに敵対せず共存していく道なのだと、政府は示した。
俗にヤメ法、或いは病み(闇)法と呼ばれる特別法は、こうして公布される運びとなった。
20XX年 某月
国家戦略的幸福保障特別区域 創設
国はヤメ法公布後、地方自治体と連携し、開発事業等によって長期空洞化してしまった市街地を整備し、特区を創設した。特区居住者は、最低限度の文化的生活が送れるよう給付が受けられ、生活の為の収入を心配する事なく自らの幸福追求に専念出来る。そんな謳い文句で、政府はこの実験への参加希望者を募った。
各地方自治体も特区の為の土地を提供する事で補助金が入る為、町おこし的な側面も考慮され、経済的に停滞していた地域の積極的な再開発に乗り出し、各地に特区が作られていった。
ただし、この特区の最大の特色はそれとは別のところにあった。
従来の倫理観に捉われない、つまり従来の倫理観に反する行動を伴う幸福追求を保証する為、政府は、特区内において居住者同士が起こすあらゆる犯罪行為を罪に問わないと宣言した。
とは言え、犯罪行為を容認するのだから当然、その自由は大幅に制限される事となる。具体的には特区外への移動の制限、インターネット利用に際する情報検閲などだ。
他の自由と引き換えにしてでも自身の幸福を追求したいと願う者の参加を、政府は呼び掛けた。
この特区構想は、人々をたいそう賑わせた。特区はユートピアなのか、ディストピアなのか、と。
―――人に迷惑しか与えない生産性のないヤツらに俺たちの税金を使うな
―――何考えてるのか分からない危ない奴らを一か所に閉じ込めておけるんだから良いんじゃね?
―――自分は特区行きたい。今の漫然な暮らしが死ぬまで続くなんて絶対にイヤだ。自分らしく生きたい
―――体の良い事言っておいて、適当な理由を付けて特区ごと異常者たちを処分するつもりなんじゃ…
―――そんな事しなくてもアイツら勝手に自滅するかもな。……最初からそれ狙い?
特区の是非については、どの立場で物を見て聞くかによって答えは変わってくるだろう。では特区の中、居住者の立場から見た場合、それはどう映り、どう判断されるものだろうか。
以降はその、一つの例である。
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