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拝啓、教授様






朝。
晴れている。
最近は窓から差し込む光が強くなって来た。
今日も良い天気になりそうだ。

ベッドから出る前にスマホに手を伸ばしSNSに目を通す。

政治、おもしろ動画、テレビ番組、芸能人、海外情勢、猫、スポーツ、ゲーム、朝の挨拶、飲料水の広告、旅行、何かの名言、〇〇すれば必ず儲かる、年収ン千万の僕が教える〇〇、ただのつぶやき、愚痴、推しのアイドル……

今日も人々は生きている。
世界は今日も運行しているようだ。

そろそろベッドから出ようと思った瞬間。
目にした誰かのニュース記事の引用。


なにがしかの数学の定理が遂に解明されたようだ。

いや、正確に言うとなにがし予想と言う超難問を証明したと言う数学者の論文が発表から7年半の検証期間を経てようやく専門誌に掲載される運びとなった…らしい。

だがまだその証明を理解出来る数学者は少なく、今後その証明の是非が広く世界で論じられるだろう、と言う様な内容らしかった。
おそらくたぶんそうだろう。

それ以上の理解を深める事は私には出来ない。
なぜなら朝の身支度をしなければならないからだ。
ベッドを出て洗面所に向かう。

その前にトイレに行こう。


そのナントカ予想とはなんなのか。
正直に言って何を言っているのかさっぱり分からない。
その予想が証明される事によって何の良い事があるのか。
それによって今行っている、明日もこれからも毎日行うであろう歯磨きと言う作業が、劇的に効率化され時間短縮されるのなら歓迎なのだが。

自分の理解の及ばない、ひいては自分の利にならない事に関しては「ふ~ん」と言う感想以上のものが浮かんではこない。
対岸の火事…と言う訳ではないのだろう、おそらく悪い事ではない。
対岸の開花、とでも言っておこうか。
対岸に花が咲いた。綺麗だね。


だが、である。
実はその数式だか定理だか予想だか分からないものが解き明かされるだか証明されるだか分からない事態になる事により享受出来るメリットが一つだけハッキリと存在しているのだ。
これは間違いない。
絶対なのだ。
そう予想出来る。

逆に言えば私のこの予想が証明されなければ、その数学者の証明式は誤りであると言っても良い。
まだ証明式は未完成なのだ。
慌てるんじゃない、まだ机上の空論の域を出て居ないぞと言っておく。

私はこれからそれを証明しに行く。

ベッドから起き出す前に時間を取り過ぎたせいで朝食もそこそこに、身支度を整え家を出る。


「おはよう」


背中から声をかけられる。
それは、あなた。

あなたは数式の美しさを知る人だ。
その美しさをなぜだか知らないが、それを理解出来ない私にいつも必死に、懸命に話してくる。

そう、だから例の数学者のうんたら予想のあれそれについてもあなたが私に話す事は容易に予想出来た。

あなたが口を開く。
私が耳を傾ける。

数式の美しさを語るあなたの笑顔。
私はそれが好きだ。

そこから導き出される答え。

私はあなたを愛しいと思っている。
私は今日もそれを実感する。

証明は完了した。



そう言えば名前をはっきりと調べておかなかった数学者先生。
いや、教授かもしれない。
貴方の証明が正しいと言う事は、少なくともまず私がここに宣言しておく。

ありがとう。














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