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生成AIを活用するかどうか

こんばんは。文学サークル「ペンシルビバップ」の川和真之です。

今日の朝、芥川賞の発表がありましたね。この発表を受けて、自分自身の執筆において、生成AIを活用するかどうか、改めて考えてみました。

たぶん、プロアマ問わず、今回の受賞を受けて、多くの人が考えたんじゃないかなぁと思ったので。

僕は高校教諭なんですけどね、このニュースを見て、コロナ禍になった頃に、学校に大量のICT機器が導入されたのを思い出しました。クラスルームっていうグーグルのシステムを本格的に使うことになったんですね。

「驚くほど便利で、これを使ったら、もう使わない生活に戻れないだろうな」

当時、僕は強くそう思いました。そして、使うか、使わないかの選択肢は用意されていませんでした。あれから4年経ち、導入された便利なICT機器は、まったく違和感なく共存しています。

生成AIも同じようなものかな、と思っています。どう考えても、後戻りすることはなさそうです。思っていたよりも、早かったなぁ、とは感じましたけれど。

小説の執筆に際しては、生成AIを使うかどうかは、プロアマ問わずに、自分自身で選択できそうな気はします。だから、どちらでもよいと思うし、どちらにもメリットはありそうな気がします。

僕は、使わないことにします。

例えるならば、生成AIとはドラクエでいうところの「メタルキングの剣」的な、とても高い攻撃力の武器な気がして、装備すると、強いモンスターをやっつけることができそうな気はするのですが、自分自身が強くなったと勘違いしそうな気がするんですね。

僕はまだ、自分の文体を持てている自信はないです。じっくりと、自分自身と向き合う時間も圧倒的に足りていない気がします。装備する武器に頼らず、自分自身そのものを鍛える必要があります。だからこそ、毎日執筆を続ける、これを徹底してこだわっていきたいです。

それと、生成AIを使うことは、ポケモンに秘伝マシーンを使うようなものな気もするんですね(ゲームの例え多い)。覚えたら、忘れられないワザってことです。使いだしたら、もう使わない生活に戻れないでしょうから。ここからさらに、便利で、合理的で、効率的なものになっていくだろうから。

話題を変えます。世間では、そこまでの関心ごとになっていないのだな、と感じました。某芸人のニュースと比較したら、全然話題になっていないですし、紅白のけん玉お兄さんのヤフーニュースの方がよほど注目されていましたね。

自分自身が国語科教諭で、小説を執筆しているから気になっていますが、まぁ、別にどっちでもいいのでは、と思っている人も多そうです。

僕自身、日経新聞を読んでいるから生成AIという文字を見る機会はかなり多いです。あらゆる業界で生成AIの活用を検討している現状を鑑みると、今回の芥川賞の受賞に関しては、界隈の人にとっては大きなニュースであるけれど、それ以外の人たちにとっては、ふーんそうなんだ、程度のものなのかな、なんてことも思いました。

最後に、生成AIと共存していくであろう物書きの世界において、自分自身はどういう立ち位置で何を目指していくのか、についてです。

予想するに、生成AIと共存する以前の世界の人(つまり僕自身やいまの大人たち)からは、使用することに対する批判や、拒絶する気持ちなどが割とうまれる気がするのですが、いまの小学生が大人になったときに、果たしてその世代が生成AIとの共存を拒否するだろうか、と考えると、割とすんなりと受け入れるのだろうな、と言える気がします。

時代を追うごとに、受け入れる人は増えるだろうし、使う人も増えますよね。まあ、あたりまえな気もしますけれど。

そうなったときに、生成AIを活用しないで書かれた文章を読みたいというニーズには、大方は「過去の作品」がそれに応えるんじゃないかなぁと思うんですね。生成AIがない時代の作品ですね。芥川龍之介とか、夏目漱石とか、村上春樹とか、生成AI活用してないですしね。

一方で、現役の商業作家の方々は、ビジネスの世界で利益を生み出すシステムの中にいるので、基本的には、最先端の合理的な科学と無縁でいることはできないと思うんですよね。生成AIを利用するにせよ、しないにせよ、常に心の片隅に置いておかないいけない感じになりそう。

いずれにせよ、生成AIを活用しない現役作家は、いまよりはかなり減るんじゃないかと思うんですね。

そうすると、このままでい続けることが、希少価値になる可能性って、あるんじゃないかなって気がします。みんながみんな生成AIを利用していけば、ライバルが減る、みたいな。

一種の博打的な話です。時代に乗り遅れた作家には活躍の場が一切ない、なんて可能性もありますからね。でも、僕はこのスタンスがしっくりくるし、プロアマ関わらず、同じ立場をとろうとする人も、少なからずいる気がするのですが、どうでしょうか。

世の中どうなっていくかはわからないのですが、取り急ぎ、僕はこんな気持ちで書くことを続けていこうかなぁと思います。

いやぁ、今日はダラダラと書いてしまいました。ここまで読んでくださった方、ほんとうにありがとうございます。

蛇足ついでの話です。今日は国語の授業で、百人一首をやったんですね。合計400首も音読したんです。音読して思うのは、和歌の音の響きが大変美しいということです。

素晴らしいものは、時代をこえていますね。今日は科学のない時代に作られた作品を、しみじみと味わってきました。

科学の発達した時代に、どう作品を手がけていくのか。

一つの正解はなさそうなので、自分自身の考えを信じて、創作を続けていきたいですね。

最後までお読みいただきありがとうございます。

明日も負けない心でいきましょう!

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