障害者同士を比較するのはナンセンス?
自分は今、障害者。
一言で障害者と言っても、それぞれが置かれている立場はいろんな状況があり、それこそ障害者の数だけその状況があると言っても過言ではない。
生まれ付き難病を抱えてICUから出ることもなく生涯を閉じる人。運良く長生きできたとしても、話すこともできず食べることもできず、寝たきりのまま生涯を閉じる子供。生まれ付き障害を抱えながらも、遅進行性のためなんとか成人し、その日その日を精一杯生きている人。
健常者として生まれながら、後天性の難病で障害者になるひともいる。ある日突然不幸な事故に巻き込まれ、脊損になってしまう人もいる。
また、あまり詳しくはないけど、精神面で傷を負い、健常者のようなごく普通の当たり前の人間活動が困難な人もいるだろう。
自分自身は、先天性ミオパチーという名前の難病であるが、25歳くらいまでは病気が具現化しておらず、健常者として生きていた。
中学時代は郡山市で成績が一番だったこともあった。県下一の進学校に入学し、滅茶苦茶勉強して有名国立大学に現役合格。大学時代は充実してた。恋愛もたくさんした。修羅場もたくさん迎えた(笑)。男友達ともとにかくバカばかりやっていた。
超就職氷河期と言われた世代だが一部上場起業に就職も出来た。ここまでは完全に人生イージーモード。
ある日、会社の同期の女の子に「○○くんの歩き方、後ろから見ると変だよ」と言われた。自覚はあった。階段がを昇るのがツラい。全力疾走すると体がバラバラになりそうな感覚に陥る。
30歳目前にして、「先天性ミオパチー」との診断が下された。程なく母親が筋疾患が原因と思われる急性循環不全で、筋疾患の息子を心残りに55歳の若さで亡くなった。
30歳代は車イスと共に過ごした。30歳代前半は、まだ健常者にしがみついていた。自分が障害者だということが受け入れられずにいた。壁に手を掛けてトイレにも自力で行けたし、風呂にも一人で入れていた。クルマの運転も余裕でMT車を乗り回していた。
30代後半は恐怖との闘いだった。日々出来る事が減っていく恐怖。一人でトイレに行くのに30分かかるようになっていた。真冬に風呂場で転んで、7時間何も出来なかったときは流石に死を覚悟した。日々出来ることが減っていき、メンタル保つのもギリギリ一杯。いや、ギリギリアウトだった。
会社でも出世ルートから外されていた。障害が理由で昇格しないとはっきり告げられた。雪の日の朝は東京のタクシーはパンク状態で会社に定刻に行けなかった。評価はドンドン下げられた。他部署に左遷の誘いも受けた。くやしかったので自分はその場にとどまった。自然と会社は休職扱いとなった。
まさか自分がメンタルやられるなんて、想像もしていなかった。
40歳手前で自宅で呼吸困難で倒れ、それから自宅に戻ることは無くなった。病院に運ばれたときは、髪も延び放題に伸び、ひげもそらず、風呂にも入っておらず、完全な廃人だった。ドン底だった。何もかもがどうでもよかった。その時自分を見た看護師さんは、どこのロックンローラーがやって来たんだよと思ったらしい(笑)
それから気管切開をし、人工呼吸器を着け、声を失って、人生の終着駅の療養病棟にたどり着き、現在まで寝たきり生活をしている。たった15年で、人生イージーモードから超ハードモードに変わってしまった。
一昨年の秋に、Twitterで障害者垢を作り、先天性ミオパチーのコミュニティに入れさせてもらった。それまでは同じ病気の知り合いなんていなかったので、何か生きるヒントが見つけらればいいかなあと軽い気持ちだった。
入ってみて感じた事はまず一つ、自分は先天性ミオパチーの中でもかなり重度障害の部類にいたこと(声出せないのは自分くらいちゃうか?)、そして健常者から重度障害者になるまでのジェットコースター高度がかなり高かったこと。
(そろそろ本題、前置き長っ!)
ある時、自分が経験してきた自分自身の人生のQOL物差しで、軽度の頃は重度の今よりQOLは高かったと言った。しかしそれが曲解され、「軽度だって大変なんだよボケ」みたいな扱いをされ、自分が悪者扱いにされかけてしまった。
他人と比較したわけでもないのに、自分の中の物差しの話なのに、非難される。ああ、障害者間の格差の話って、すっげー根が深いんだなあと感じ、そっとそのコミュは抜けさせてもらった。そしてミオパチー垢は爆破した(笑)
軽度だって大変なのは知ってるよ。経験してるもん。
特に進行性疾患の場合は、病状が進むにつれて不安になり、メンタルが削られていくわけで、正直自分より重度の人と比べてまだましだよなと考えてメンタル保ってる人も多いと思う。あくまで個人的な考え。
最近脊損のキラキラ障害者が、自分はこれ以上悪化しないから、進行性疾患の人よりはまし、と発言していて、案の定進行性疾患の方から反感を買っていた。
どっちの言い分もアリだと思う。自分より上を見たらキリがない。自分より下を見てもキリがない。マクロレベルで物事(障害)を捉えれば、例えば障害者の障害レベルが1から1000まであるとして、233の人と234の人を比較してるようなものだなあと感じるようになった。
結局、自分は自分。私だけの私。
そうやって前を向いて生きて行くしかない。
自分は出来ることがもう少なくなって来ているので、時の流れに身を任せますがね。ケセラセラセラセラリンコ~
そして言わずもがな、健常者と障害者の間には高い高い壁が存在します。
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