見出し画像

【 聖なる犯罪者 】 感想vol.019 @京都シネマ② 21/1/23

19/波・仏/シネスコ/監督:ヤン・コマサ/脚本:マテウシュ・パツェヴィチ/撮影:ピョートル・ソボチンスキ Jr

体験なき者の言葉。経験なき者の行いは、清らかなれど、真実味からは遠い。しかし、それを想像によって補う行為が、信仰というものの正体か。

これは日記ではないので、その日の情景描写を記す事もないのだが、何とはなしに書き留めておく。
この日の京都は雨であった。通常であれば、鴨川の上を優雅に舞う鳶。しかし、ついぞその姿を目にする事はなかった。ひねもす巣籠りでもしていたんでしょうか。
世の中は2度目の緊急事態宣言中であり、本来であれば移動を辞さなければならなかったが、どうしても出かけたい事情があり、京都へ向かった。
そう、私は高校演劇が好きなのです。近畿大会が春秋座で開催されていたので、観劇すべく、傘をさし、雨音を聞きながら、とぼとぼと歩いていたのです。
雨の日に、決まって頭に浮かんでくるのは、高村光太郎『雨にうたるるカテドラル』の一節。特段好きな訳でもないのに、どうしてか口をついてしまう。おそらく小栗康平監督の『FOUJITA』の影響があるのかも知れない。
一向に、小栗監督からは新作の情報を聞かないが、お元気にしているのかしら。同郷人の誇りでありますよ。
雨の日つながりで言えば、ASKAの『はじまりはいつも雨』も知らず知らずに歌ってしまう。生来から、雨が好きなのかも知れない。

前置きが長くなって申し訳ないが、ここから映画の話。
この映画はポーランド映画。ポーランドといったら、ロマン・ポランスキー監督作品位しか思いつかない。なかなかお目にかかる機会は少ない様に思う。ポーランド語の響きも新鮮に感じる。

主演のバルトシュ・ビィエレニア。ああ、良い役者は土地土地にいるものだ。発見した喜びでいっぱい。
見た目はほぼ、クリストファー・ウォーケン!目のグリグリとギラギラが、印象的。『ディア・ハンター』のリメイク版を作るのであらば、是非彼にお願いしたいものだ。

ルックの作り方は、現代的。シネスコサイズで、フィックスをメインに、自然光を多用した、ややオーバーのソフトフォーカス。無理くりな画角や意表を突くような構図こそないが、ドラマを丁寧に見せるという点では、気になる所は特段なし。
録音に関しても、同様。ただ、今のポーランドの流行りなのか、劇中で使用される音楽がEDM、昔で言う所のユーロビートだったのが、妙にダサくて、おやっ?と思ってしまった。

ストーリーについて。実際にポーランドで起きた事件を元にしたドラマ。少年院に服役中の青年ダニエル。ならずものであったが、純粋な性格故か、神父の影響で熱心なキリスト教信徒となる。自分も神父と同じ様に、神の道を人々に説きたいと願うが、前科者は聖職に就く事が出来ず、悩ましい日々を送る。やがて仮釈放が決まり、田舎の製材所へと就職する事となった。不承の思いを抱きながらバスに揺られる。神父になるという夢が醒めないでいるのだ。製材所へ向かう道すがら、街の教会を目にする。そこで偶然に少女と出会い、自分は新任の司祭であると、冗談のつもりで言った言葉を彼女は信じてしまい、そのまま健康のすぐれない司祭の代役を任される事になってしまう。当然の事ながら、彼は司祭の経験はなく、真似事しか出来ない。告解も上手く対処出来ない。説教もままならない。しかし、その粗々しい言動や行動が、次第に街の人々の心を打ち、信頼を得る様になる。人々と交流を深めて行く内に、街全体を包む悲しい事故があった事を知る。残された家族を救済したいとあれこれ模索する彼の前に、彼の本当の姿を知る、同じ少年院にいた男が現れる。果たして彼は嘘を吐き通し、街の人々を騙し続ける事が出来るのか。

私にはキリスト教信仰はないが、興味は少なからずある。
余談でしかないが書かせてもらうと、かつて、学生時代に奈良の吉野に合宿をした事があった。その宿泊施設に簡易的な礼拝堂があり、明け方、一人で訪れた事があった。簡素で飾り気のない空間であったが、静逸な気持ちになれたのを覚えている。
その後、朝風呂に入りに行こうと思い、風呂場の暖簾をくぐった。すると耳にしたのは、女性の声。おや?と思い顔を上げると、洗面台の鏡越しに、こちらを見つめる女性と視線が合った。
しまった!女湯に入ってしまった!
宿泊施設などでは、日替わりで男女の浴場が入れ替わる所が多い。御多分にもれず、こちらの宿もそのシステムを採用していたのだ。
どうしようかと狼狽えていると、鏡越しの女性が、ふっと怪しげな笑みを浮かべた。その表情が何とも蠱惑的で、クラっとしたのを覚えている。そそくさと退散。しかし、その時彼女の事を、ちょっと好きになってしまったのかも知れない。
それももう、15年以上も前の話。今では何処で何をしているのでしょうか。どうかお元気で。

ああ、全然関係なかった…。まったく、何を書いているのでしょうか。
つまり、信仰とは重みの問題なのです。言葉や行動が、その人にとって重力を生み出せるものであれば、信仰を引き寄せる事は可能なのではないか。
私は「舐達麻」というヒップホップクルーが好きなのだが、彼らは事実しか歌わない。そのストイックな姿に、いたく痺れてしまっている。だがイリーガル礼賛ではないので、誤解なき様に願いたい。
アウトローな生活を送った事もないし、送る気もないが、虚飾のない真実は、それだけで美的価値が付随するものなのです。
現役の聖職者を批判するつもりは更々ないが、真に人の心を打つ言葉は、現実に苦労をした者からしか生まれない。いくら聖書を読み解こうとも。

良作でありました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?