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連載 「山懐の巫女たち」

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詩人・正津勉による連載エッセイ。山を歩き、山を描く女性の文筆家たち。自然災害の時代につづる、山野に抱かれる者たちの文学史。
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記事一覧

「山懐の女たち」 第3回「山窩との交歓 吉野せい」 正津勉

 吉野せい(明治三二・一八八九年~昭和五二・一九七七年)。福島県石城郡小名浜町(以下、現・いわき市)生まれ。少女時代から文学に親しみ、雑誌や新聞に短歌や短編を投稿する。尋常高等小学校高等科を卒業後、独学で小学校准教員検定に合格し、小学校に勤務。当時、平で牧師をしていた山村暮鳥に出会う。また鹿島村の考古学者、八代義定の書斎「静観室」に通い多くの書を読む。  一九二一(大正一〇)年、二二歳、三月、暮鳥に兄事する詩人の三野混沌(本名・吉野義也)と結婚、好間村北好間の菊竹山で一町六反

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「山懐の女たち」 第2回 「草鞋縦走 村井米子」 正津勉

 前回、「鳶山崩れ 幸田文」を書いた。「正味五十二キロ」の瘦躯を、案内者に負われて崩壊地を登る老婆。文、明治三七(一九〇四)年生まれ。その姿を偲ぶにつけ、胸を奮わされた。明治生まれの女は、いやほんと、並大抵でなく凄い。  このとき拙稿に向かいながら思い出される女人の詩があった。当方偏愛、指折りの詩人・永瀬清子。明治三九年生まれ。じつはその代表作とされる「だまして下さい言葉やさしく」という一篇がそれだ。これがつぎのようにも男衆殿にたいしてやんわりと、「だまして下さい……」そうし

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「山懐の女たち」 第1回 「鳶山崩れ 幸田文」 正津勉

※連載「山懐の巫女たち」の第1回を全文無料で公開します(編集部)  幸田文(こうだあや)(一九〇四~九〇)。昭和五一(一九七六)年、文、七〇歳を越えての山登りの途に、静岡市の大谷(おおや)崩れを見て、つよい衝撃を受ける。以来、老躯をおして全国の大きな崩壊現場を訪ね歩く。日本三大崩れ。そんな有難くない番付がある。これは前記の大谷崩れ、長野県小谷(おたり)村の稗田山(ひえだやま)崩れ、富山県立山町の鳶山(とんびやま)崩れをいう。文、この三大崩れに、日光男体山の崩れ、北海道有珠山