参院選を控え、都知事のゴタゴタで思うところ。

若者の政治への関心はいつの時代もあると思う。

選挙へ行こう!と呼びかけるムーブメントや平和を謳うアーティストたちの活動はいくらでもある。

20代前半、そういった理想に傾倒し、声を上げる若者はたくさんいる。私もその一人だった。

ただ、もっとも重要で、目をそむけてはいけない事実は、その理想を掲げて先頭を走っている者が、常に結果を出せないことである。

たとえデモに1万人集めても10万人集めても、何も変わらないのである。


政治は結果だ。

何十万票も票を集めて落選でもすれば、まさに最悪。

落選すればステージにすら上がれず、議席が少なければ何の意見も通らない。「主張している感」だけを残してありがとう!と叫ぶ。

叫ばれ続ける理想と、出し続けない結果に、若者は理解を深めながら年をとっていくのである。

故に理想を語る者の声は超若年層にしか響かない。変らない結果を見せられ続けた30歳にはその叫びはもはや価値がないのだ。

超現実的に国家のシステムを変えようとした橋下元大阪市長ですら大阪都構想という大仕事を成功に導けなかった。

またか...変わらない。


若い時の選挙は簡単だった。自分の理想に近い候補者に入れればいいだけだ。

自分の思いを込めて票を入れる。

30歳になるとそんなに簡単ではなくなる。デモもやったし募金も集めたし理想も語った。その経験が現実に目を向けさせる。

もちろん、そういったムーブメントや活動を否定はしない。経験者としても思うが、やっている本人たちにはとても価値のある行動なのだと思う。ただ、社会的な価値は全く感じない。


力なき正義は無力なのである。


何も考えず、選挙に行こう!と叫んでいることには私はもはや賛同できない。民主主義という名の多数決に、うんざりしながら、わざわざ白票を投じに時間を費やせ!と誰に対して言えよう。


感心がないから行かないのではない。

行きたくないのだ。意思である。


それでも理想主義は言うだろう。

行かないと、何も変わらない!自分の意思を示そう!

政権はぶくぶくに太ってこう言うのだ。

サイレントマジョリティーだと。


まるで、100m先のストライクゾーンに玉を投げているようだ。いつまでたってもフォアボールで点数だけを失う。

投票率が上がらないことを若者のせいにしてはダメだ。

今、政治は喪失感に満ちている。

突き抜けて、圧倒的に暗い!

バカバカしい!

子どものオママゴトのようだ!


投票以外で意思を政治に反映することは可能なのか?

成熟した社会で次のシステムが問われている気がする。


参院選直前に30歳を迎え、それでも投票所へ向かうであろう僕にエールをここめて          

川田 諭

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