アジャイルリーダーシップ読書感想文

リーダーシップ論はだいぶ前に流行したビジネス書カテゴリであり、リーダーシップとは「職務」ではなく全員が持ちうる、またビジネスの現場では全員が持った方が良いマインドセットである、とされる。だが、今のところ、職務に「リーダー」が付いて、初めてその責務を意識するのが普通だ。職責の上のポジションからのメッセージも「視座を高く持て」とか「経営者視点を持て」とか、職務に結びついたものになってしまっている。未だ、このリーダーシップを正しく理解して、各人がそれを発揮している組織を作るのは難しいようだ。

アジャイルリーダシップも、アジャイル関連の書籍のような顔をしながらも、比重はリーダーシップにあって、いわゆるアジャイルプロセスの話は書かれていない。

アジャイルの文脈での肝は「適応性」であって、リーダーシップと結びつくことで、適応性のマインドセットの話になる。私はこのアジャイル文脈の適応性の話を、「最終決定なんてものは存在しない」と考えることと認識している。人には、憂いを少なくするため、考えることを少なくするため、決めることがたくさんあったら、それを少しでも早く決めて楽になりたいという思いがある。そして一度決めたことは、覆されたくないという思いも芽生える。アジャイルはこの自然な人間の欲求に抗うマインドセットである。アジャイルがさも自然なことで、アジャイル以前のソフトウェア開発が不自然だったというようなことを語り、なぜ、こんな自然な考えを取り入れないのか嘆く人たちがいるかも知れないが、この「最終決定は存在しない」マインドはどう考えても自然なものではないだろう。「アジャイル」は自然なことではなくトレーニングによって獲得するマインドセットだと思う。適応できないものは淘汰されるのが自然界の掟だが、「自然淘汰」で生き残った我々こそが生存者バイアスそのものであって、淘汰されるスパンでものを考えることが少ないので、開発の現場では適応できない考えや動きが普通だ。

「自分が変わろう」「他人を変化に巻き込もう」リーダーシップの書籍ともなれば、そういう表記にならざるを得ないかも知れない。これも自己啓発的なワードと捉えると、当書が薄っぺらいものに感じてしまう。たゆまなく変わり続ける事業環境に適応するために「アジャイル」だとたいそうに考えなくても、チームメンバーの脱退、加入、成長などによって、チームの状況は絶えず変わり続ける。昨日までは不慣れだった手順も今日からは必要ないかもしれないし、ハイコンテキストなやり取りで成立していたプロセスが、新しく加入した人にはそのパフォーマンス下げるだけの装置になっているかもしれない。こういうのを一度決めたから、慣習的にそれでやれているからと、そのままにしておくのか、適応させにいくのかの違い、後者のように考え行動することをアジャイルリーダーシップと呼ぶのだ、と受け取った。

大上段に「変化に適応しよう」「私は変わる、あなたも変わろう」みたいに構えるのではなく、「昨日決めたことは今日の現状にはそぐわなくなっていることがあるかもしれない。その時には見て見ぬふりじゃなくて、決めたことをひっくり返す勇気を持とう」というくらいの心持ちでいると良い。そんなマインドセットを獲得するための第一歩として、このアジャイルリーダーシップを手に取ると良いのかもしれない。


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