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いつか

晴天の予報だったのにどしゃ降りの雨が降っていた。

冠婚葬祭用のスーツを引っ張り出し、覚束ない手つきでネクタイをしめる。いつもはホックがついている取り外しが簡単なネクタイを使うのに、今日に限って見当たらない。
10分ほど格闘して諦めた。
会場にいる誰かに締めてもらうことにする。

タクシーから降りて会場に入り、控室に向かう。
数人がすでに集まっており、彼の親族へ挨拶をした。
友人代表のスピーチを確認していたら本人が現れた。

「あれ、ネクタイ忘れたの?」
「いえ、なかなかうまくできなくて誰かにしてもらおうかと」
「俺がやってあげるよ」
「そうですか?すみません。今日の主役に。」
「どういたしまして」
ネクタイを渡すと、背後に回り込んできた。
「さすがに対面ではわかんなくなるからいつも自分がしてる方向から締めさせてね」
「はい」
後ろから手が伸びてネクタイを器用に結ぶ。
自分でも見て次回の参考にしようと思ったけど、近すぎて見ることができなかった。

「できたよ」
「ありがとうございます」

振り返ると、つやつやでピカピカの笑顔があった。
こんなに元気な表情は久しぶりに見た気がする。
幸せそうだ。

「なんか、へんな感じですね」
「え?うまくできてなかった?」
「いえ、ネクタイはうまく結べたんですけど、これから私はどうしようかなと思って。やっぱり多少気を使ったほうがいいですかね?」
「別にどうもしなくていいよ。今まで通り一緒に仕事頑張っていこうよ」
「できますか?」
「できるよ」
「死が二人を分かつまで?」
「死でも俺たちを分けられないみたいだよ」

顔が近づき、唇と唇が触れる。
同時に彼は目の前から煙のように消えてしまった。

皺だらけの手で唇を撫でると、かさかさしていたのでなにか塗っておくべきだったなと少し後悔した。

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