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過去がなければ道はない。

 

彼はかつて自分でデザインした空手着を着て稽古をしていた。だが、結局のところ「体重百六十キロの相手に殴り殺されそうになったら、銃で撃てばいい」と考えてやめてしまった。

『トレイルズ「道」と歩くことの哲学』
ロバート•ムーア 著 岩崎晋也 訳

  おお、なんと過激な。

 これは、歴史家ラマー•マーシャルにまつわるエピソード。彼は罠猟師時代を経て、その後チェロキー族の主要な歩道をつなぎ合わせて地図を作成している。

 はっきりとは書かれていないが体重百六十キロの相手とは熊だろうか。確かに、熊相手に素手で戦うのは無謀である。でもなんか、その、すごいアグレッシブな歴史家やな、ラマーさん。

 ところで、チェロキー族とは、現在のジョージア州にかつて国家を築いていたインディアンだ。インディアンと聞けば、彼らの辿った道は想像できるだろう。

 ただ、チェロキーは他のインディアンとは違い、白人文化を積極的に取り入れた。ミッション系の学校をつくり、新聞も刊行した。そして他のインディアンと白人による戦いの時は、白人に味方した。

 それにもかかわらず、ジョージア州知事とジャクソン大統領はチェロキーが持つ金鉱に目が眩み、チェロキーを追い出す法律を次々とつくり出していった。

 裏切られたチェロキーは激昂し、抵抗した。有名な弁護士を雇い、合衆国最高裁まで持ち込んだ。だが、ジャクソン大統領の背後による政治的圧力は強かった。

 最終的にチェロキーは強制的に移住を命じられ、一八三七年、チェロキー国家は幕を閉じた。

 猛吹雪のなか、一六〇〇キロにもおよぶ道をほとんど食事も与えられず徒歩で移動を余儀なくされたチェロキー族。この旅路の際、彼らの四人に一人が命を落とした。

彼らは、かつてアパラチアの峡谷に群れていたバッファローや、エルクとおなじ運命をたどった。昔、リョコウバト(乱獲により一九一四年に絶滅)は、南から北へ、また北から南へと、川伝いのルートを大群で渡り、そのたびに空が暗くなったと言われる。そのリョコウバトも、チェロキーも、今はいない。ワヤ(オオカミ)のように、クリの木のように、チェロキーもジョージアの山から消えた。
今はただ、名前だけが残っている。

『そして名前だけが残ったチェロキー・インディアン涙の旅路』
アレックス・W・ビーラー 著 片岡しのぶ 訳


 

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