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私が占星術に求めること

私が占星術を学び始めたきっかけは、初めて鑑定してもらった時の驚きと感動だった。私は心理学系の学びをしていたのだが、出生情報から、さまざまな心理テスト以上のことが分かることに不思議な思いにもなり、これを学べばさらに自分のことを理解できるかもしれないという希望が生まれたのである。私は、もっと自分のことや世界について知りたいと、真実に飢えていた。

私には鑑定士になりたいという欲求はほとんど無かったのだが、ちょっとした小遣い稼ぎにはできるな、という気持ちはあった。誰かのために占星術を用いるなら、教える方向でいきたいと思っているし、今でもそれは変わらない。しかし今のところ、鑑定の仕事の方が多い状況だ。なかには、鑑定の時間を利用してマンツーマンの学習に充てるというクライアントもいて、割にそれは自分にあっているな、と思う。

たった数十分の鑑定により、クライアントの人生を指図したり、提案したりするというのは、私の素直な感覚として、かなり無謀なことをしているように思う。だから私としては、あまり具体的なことを追求していくよりも、全体的な局面を眺めたり、巨視的に自分と人生を把握してもらうほうがよいのではないかと思うのだ。

自分で言うのも何だが、出生図の鑑定では、ほとんどの方に感動してもらっていると思う。星で自分のことを説明されることで、何か開放的な気持ちになるようだ。これは、目に見える世界だけが全てではないことに向き合える数少ない機会の1つになっているからだと思う。

それに私は、どんなにハードなチャートだとしても、そこに何か可能性があるはずだという立場で鑑定を行なっているので、厳し目の人生になりがちなことを冷静に受け止めてもらった上で、前向きになってもらうような鑑定をしているというのも、感動してもらえる要因になっていると思う。

面白いことに私の感想として、小さな自分に沈み込んでいる人ほどに、私の出生図の鑑定を退屈に聞いている。しかも事の性質上、(自分の性質に無自覚なので)、ピンとこないのだ。「私の聞きたいことは、そのようなことではない」というわけだ。恋愛がうまくいくのか、いつ結婚できるのか、仕事は成功するのか、などの具体的なことのみに入り込んでいく。私はそれらを鑑定するのは良くないとは言わないけれども、そこに入っていく前に、出生図を理解し、受け止める必要があると思う。そうでなくては、自分の個性や拘りに無自覚なままで話が進んでいくので、星回りを利用して、一時的によい成果が出たとしても、あっという間にその星周りの期間は過ぎて、元の木阿弥か、あるいは状況が悪化するということにもなりかねないからだ。

出生図天体に、トランジット土星以遠の天体がスクエアなどのハードアスペクトの時に、困難な状況になりがちだと思うが、そのようなときの反応として3通りを想定できると思う。

①なぜこんな目にあうのか分からず、運命を呪うかのような状態になり、他人や自分を責めることに囚われる。

②自分には何か自覚できていないところがあり、それが何か探ろうとする。

③事態は想定済みであり、ことさら驚くこともなく、困難な星回りを有効活用することを試みる。

自分が理解していないサインがある場合、それが死角になるが、①は、自分には死角がないと思っている状態、②は自分に死角はあることは認めているが、それを把握できていない状態、③は死角がなくなり全てのサインを理解している状態である。

占星術を学ぶ大きなメリットの1つは、死角をなくしていき、どんな星回りでも対応可能になっていくことだと私は思うので、①の状態を強化してしまうような対応、つまり星周りだけを説明して、何も身につかないという方向性は、できるだけやりたくない仕事である。星回りを鑑定する場合には、全体性への理解へと誘っていくように、私は出来る限り、巨視的に星回りを解説するように試みているつもりではいる。

占星術はマクロコスモスとミクロコスモスが連動していることを前提とした体系であるから、そこを押さえないままに話を進めるのは、単なる妄想の世界にはまり込んでいく可能性を高めると思う。それは占星術の意味もわからず、把握できない運命の流れに身を任せて翻弄されるだけの人生に誘導してしまうだろう。

私としては、出生図を通して、自分の傾向と偏りを知り、死角を埋めていくためのメソッドとして、占星術を利用するのが良いと思う。そしてそこには感動が伴うと思っている。本当のことを思い出すことに繋がるからだ。

そのように考えると、出生図にハードアスペクトの多いチャートの持ち主の方が、人生はきつく思えるかもしれないけれども、影を常に意識させられる分だけ、全体性を捉えることが容易になるのでは、となんとなく思える。しかし中には、ハードな状況に埋もれて、如何ともし難いと思い込んでいる人もいるのようなので、絶対にというわけでもない。

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