異世界探索記27
旧ser.39(2022年5月16日公開)ser.40(5月30日)より抜粋
① 2022年4月27日①朝 「八咫鏡」
変成意識に入ると、自宅の自室?暗い。その場で「八咫鏡」を呼んだ。
すると仰向けになり、空中に浮かび、両腕を左右に伸ばし、両脚をOの形に曲げて広げ、足裏同士をくっつけた体勢になった。そして回転が始まったが、まずは頭を中心に時計回りの回転が始まったような気がした。しかし何かが違う。だんだんと公転のようになっていき、その軌道が広がっていった。つまりこれは仰向けで、時計回り回転方向の渦の回転だった。黄金比の渦。その回転をしながらフェイドアウト。
② 2022年4月27日②朝 「アンカア・ミンタカ」
再び変成意識。実家前の小道。かつて牛乳屋だった家の前の小道まで来て振り返った。空に注目。視野に枠のようなものが見えて、「ここで鳥に変身したい。ここから逃れなくてはならない」と思った。この枠は、まるで飛行機の操縦席にいるような気分にさせた。
最初に思いついた「アンカア」を呼んだが、数秒間何も起こらなかった。
それならばと次に「ミンタカ」を呼んだ。数秒何も起こらなかったので、他に呼ぼうと思ったとたん、上へ上へと上昇していった。いつの間にか、黒い格子状の四角い筒の中にいた。この長い長い格子状の四角柱(面積はそれほど大きくない)を、ぐんぐん上に上昇していった。これまでにないほどの距離。そしてある点でストップし、次は下降していった。下降の先で、地面が見えた。砂漠のように見える。着地の時に衝撃が来そうだと思ったが、普通に着地することができた。
砂漠のような場所だが、緩やかな岩山の斜面のような場所があり、私はそこをぐんぐん登っていった。やがてこの山は、何かの人工的な建物と融合しているような感じになり、どうも美術館のように見えた。そこにある作品は、洗練されておらず、近づいてみると小学生が作ったような作品が多かった。厚紙を使った大きな人形のようなものが目についた。
一番上まで来ると、比較的立派な作品があったが、それでも子どもが作ったもののように見えた。ふと、後ろから、小学校高学年の子どもたちが走ってきて、私を追い越していった。私はそれを追いかけようとしたが、そこでフェイドアウト。
⑧ 2022年5月16日早朝 「トゥバン」
実家2Fの中央の部屋だと思われるが自室かもしれない。自我意識が出てきて、予定していた通り、「トゥバン」を呼んだ。両腕はY字とT字の間ぐらいに上げていた。その姿勢のまま前向きに倒れていき、そのままベッドを貫いて床下に下降して行った。暗闇の中をぐんぐん下降して行くと、両足がグルグルと回転し始めた。そのまま下降して行ってフェイドアウト。
フェイドインすると、自室のベッドの上。この時、肉体次元だと思っていたが、変成意識だったと思われる。ほとんど見分けがつかなかった。ムラダーラ全体、前後に広くキューンという快感が走り続けていた。1分以上はこれを体験していたが、やがて終わり、フェイドアウトしていった。
フェイドインすると、自宅という設定の建物の屋根裏部屋にいた。たくさんのアート作品、石像、絵画などがあり、倉庫になっていた。全部、自分で集めたような感じにも思えた。頭の大きい恐竜の人形2体が、コマドリアニメのようにカクカクと動いていた。
そこに高校の時の同級生のNが現れ、その数に感嘆した。私は、「義理の母がアーティストだったからね」と言った。Nは私に、「卒業できるの?」と聞いた。どうも私は1つの単位を落とす可能性があるという設定だった。そしてそれはどうやら「家庭科」らしかった。私は考えて、「大丈夫だ」と言った。あと1年あるからと思っていた。
巨大なカエルを見た。泥の中から現れた。他の記憶がない。
さらに松村先生が現れ、何かを教えてくれた。1枚の絵を提示し、「こんな時には飛行機が現れる」と言った。その絵を見ると、その絵の世界に入り込んでいった。そこは緑の丘という感じで、すぐに前から5機かそれ以上の白黒の小さな飛行機が飛んできた。機械の鳥のようにも見えた。これが先生の言った飛行機のことだな、と思った。
前にはたくさんの子どもたちがいて、円を組んでバレーボールの練習をしていた。私も仲間にどうぞと誘われたので、入ることにした。そこでお客が来たようで、丘の下のほうにある格子戸に向かって、その子どもたちを世話している大人が走っていった。
「はじめに」に代えて(ser.40)
これを書いている今日は、2022年5月27日。久しぶりに、丸一日の休暇をもらいました。12時間くらい寝て、午後からカフェに行きました。寝不足だったので、かなりスッキリしました。松村先生のnote記事で、買っていたけれどもまだ読めていなかった作品がいくつかあり、それらを読みました。
サビアンシンボルと恒星の位置を組み合わせること、起点とした恒星から他の恒星を見ることによって、関係性が変化すること。この解説に感動しました。ギリシャ神話を例にした解説がすごかったです。神話の修復作業について、youtube動画での解説がありましたが、その方法論の1つを見せていただいたと思います。
この日、27日の午前深夜、先生が現れて、何か質問はないか?と聞かれました。Ser.39でも書きましたように、「とりあえずトゥバンを牡羊座1度に設定し、アンタレスが蟹座3度になり、この呼吸運動が自分にとって重要だと思います」と私は言いました。そしてさらに、ここから十字形を取り(つまり山羊座1度付近、天秤座1度付近の恒星で十字形を設定する)、それをぐるぐる回すように、中心となる自我を使っていくということについて、質問しようとしたところでフェイドアウトし、強い快感に貫かれました。
その日その後に呼んだ「冥想と夢見⑷」で、安心感のある恒星を4ハウスあるいは蟹座に設定し、そこから90度前の天体を起点の恒星として見るというやり方が解説されていました。これはまさに私がアンタレスを蟹座とし、トゥバンを起点としてみるということの試みと同じことのように感じました。体脱した先はほとんどが実家であり、その実家であちこちに飛び回っているからです。
一方、安心感という意味では、これまで最も安心感を覚えたのは、快感初体験のアケルナルであり、この時にはハートのチャクラ(背中側)が開き、多幸感と深い安らぎを体験したことを報告済みです。このアケルナルを蟹座に設定してみます。トロピカルではアケルナルは魚座16度で、アンタレスは射手座の11度付近で、95度の差です。私は「アンタレスが恒星自我の有力候補」と繰り返してきましたが、アンタレスを牡羊座1度に設定すると、アケルナルは蟹座の6度付近になります(多分、6度だと思います)
アケルナルとアルゴルはちょっと似ている気がしますが、火山の噴火のように、クンダリニ―が上がってくると考えれば、アンタレスが作った通路に対して、アケルナルがエネルギーを上昇させるという組み合わせになるのではないかと思います。
なんとなくですが、トゥバン、アンタレス、アケルナルのTスクエアの組み合わせがあると見なすことができると思います。
トゥバンとアケルナルは188度差くらいです。トゥバンを起点(牡羊座1度)にすると、アケルナルは天秤座の8度「荒廃した家の中で燃え盛る暖炉」で、「いつでも更生できるための場所」です。私が初めて体験した恒星快感体験はアケルナルであり、肉体次元に閉じ込められた私が、恒星界に復活するための初めての体験の恒星として選ばれたこととシンクロしてきます。恒星の更生(笑)。物質世界に脱落した存在の更生ですね。
他にもアケルナル付近には、私にとって気になる恒星があります。それはフォーマルハウトとデネブです。デネブ学園という言葉を先生がよくつかわれていますが、私の夢には学校がよく出てきます。実家と学校が舞台になることが多いです。出てくる人物も同級生ばかり。フォーマルハウトは報告してきたように、私にとって近しい恒星の1つである可能性が高いです。子ども、学園といったイメージですね。フォーマルハウトもデネブも、トロピカルで見たらそれぞれ魚座の5度と6度であり、トゥバンやアンタレスとTスクエアを形成する配置に入ってきます。
トゥバンを起点とすると、フォーマルハウトは乙女座27度、デネブは乙女座28度で、乙女座(視覚)から天秤座(触感)への解放のためのトレーニングの場としての学園に見えてきます。
アンタレスを起点にすると、フォーマルハウトは双子座25度、デネブは双子座26度。フォーマルハウトはアンタレスの目的に対して無駄なものを削ぎ落したり、転落させない力として働いたりするということに見えます。私はフォーマルハウトに関係する場所に行ったとき、そこで出会った少年は「ずっと会いたかったよ!」と私に言って、さらに「この世界に大人が入り込んでしまったんだ」と嘆いていました。大人たちは、地上的な価値観を好意で押し付ける人物たちでした。地上的価値観に陥らないようにするという働きによって、アンタレスが作り出す大通りが袋小路(狭すぎる支流)に入らないようにするということになるのかなと思いました。フォーマルハウトに馴染むことで、それができるということかと思います。大人・地上の常識を追い出すのです。
私の夢の中の学園生活では、卒業できるかどうかという問題が、よく出てきます。(学園にいて「卒業しました」という夢は、今、思い出せる限りでは2度ありました)双子座を学校と見立てると、蟹座が社会で、双子座終盤は卒業試験から卒業式へという流れに見立てられます。このデネブは、つまりトゥバンに動機があって、たくさんの恒星について卒業を意識しながら学び続ける「囲い」としてのイメージになると思います。このケースの「デネブ学園が舞台の夢」では、いつまでたっても「もうすぐ卒業試験」が舞台になってしまうのではないかと思いました。
① 2022年5月18日①早朝 「トゥバン」
変成意識に入るために呼吸法。脊椎を精妙なエネルギーが貫き、清々しさを感じた。真ん中に戻ったという感覚になり、そのまま入眠。
変成意識に入ると、実家2Fの玄関側の部屋。薄暗い。私は予定していた通り「トゥバン」を呼んだ。勢いのある声。自動運動が始まり、腕が左右にまっすぐに伸び、うつ伏せになって下降していった。つまりT字あるいは頭を入れると十字形で、うつ伏せで床下に下降していった。濃いグレーの空間を下へ下へ沈んでいき、スムーズに着地する感覚になった。
起き上がると、実家2Fの中央の部屋で、ベッドの上。明るくクリアだったので、肉体次元と勘違いしたが、変成意識だと気づいた。声を出すと、響く音声だったので確信した。
② 2022年5月18日②早朝 「りゅう座」
その後、実家2Fの中央の部屋のベッドから立ち上がり、りゅう座の恒星を呼ぼうと思ったが、ラスタバンしか知らず、これは前に接触したので、「りゅう座」を呼んだ。トゥバンと全く同じ勢いのある声。
自動運動が始まり、うつ伏せになり、暗闇を下降して行った。両腕を頭方向に伸ばし、手をつなぎ、両脚も閉じて、まっすぐな棒のような体勢になった。私は「竜のカタドリを体現しているのだろう」と思った。両足首の前方部分に、下降しているのにも関わらず、何かに引っかかっている感触があった。私は両足先を外に広げることによってそれを外し、より円滑に下降して行った。
すると、仰向けになるようにごろんと身体が回転していき、その後、ゴロゴロと回転しながら下降を続けていった。結構、深くに沈んでいった感じ。
沈んでいくと、見知らぬ世界の上空に現れ、地面にまでたどり着いた。海が見える整備された道路で、夜。空には無数の星が瞬いていて、星座を確認しようとしても見定めることはできなかった。私は空を飛び、何かないか見回っていた。
着陸し、右手には噴水が見えて、ずっと向こうに大きなビルが並び立つイルミネーションが見えて、その向こうに夜の海が見えた。左手は丘のように盛り上がっていたが、なんとなく鉄道があるのではないかと感じていた。私は何故か「ああ、あそこか」と、この場所を、あるいはこの場所のカタドリと同じ地球の場所を知っているかのような感覚になった。なんとなく窮屈という感じがした。
突然、誰かと会話できないかと思っていると、背が低く、キャップ帽をかぶった若い女性が歩いてくるのが見えた。私は彼女に近づき、「お話しできますか?」と聞いた。彼女は目を合わせることはなかったけれども、「します」と言った。しかし、私を無視するかのように、どんどん歩いて行った。帰宅しているように見えた。私は「お話したいのですが」と、もう一度背中越しに声をかけると、彼女は「します。『一年の夏』にお話します」と言った。彼女を追いかけていこうとしたところで、気を失い、フェイドアウトした。
③ 2022年5月18日③ 「何かを受け継いで地上に下ろす」
その後、入眠しても変成意識が続いていた。いろいろと見たと思うけれども、インパクトのあることがなく、忘れてしまった。しかし最後の1つだけは覚えている。
縦に伸びる長い巻物のようなものが見えて、上から下へと見ていく感じ。風景画のような抽象画のような、不思議な絵が描かれていた。
すると女性っぽい声というかテレパシーが届き、「あなたのおかげで〇〇〇を土にまで降ろすことができました」というもので、感謝の気持ちが伝わってきた。さらに「私たちは水にまで降ろしていました。その成果が出て嬉しい」という感じのメッセージが届いた。その時、絵巻物には海のような水のような絵が見えて、その下に大地のような土のような絵が見えた。彼女たちが降ろしてきたものを私が引き継いで、底にまで持って行ったということらしかったが、何を運んだのかは、うまく聞き取れなかった。
④ 2022年5月19日朝 「快感がミゾオチまで上がる」
呼吸法をした後に、二度寝。フォーカス10になった。会陰後方から前方にかけて、強い快感があった。私は、アケルナルとかアンカーとかだろうかとか思いつつ、7つの階層を思い出していた。そして何故か「三次元」と言った。気持ちとしては、地上世界から解放されていきたいという気持ちだったが、何故かその言葉が出た。
すると快感が広がっていき、腹に拡大し、ミゾオチにまで達した。それと同時に、エネルギー体の人間の形、下半身が崩れていくのを感じ、頭が爆発するかのような感覚を覚えた。私はこのまま広がりたいと思ったが、それと同時に、個体をとどめたいという衝動がやってくるのを感じた。心臓に達するかどうかというところでフェイドアウトし、肉体的に目を覚ました。
⑤ 2022年5月21日朝 「青い光の円盤型宇宙船」
朝、エネルギーに包まれるイメージをしながら二度寝していたら、いつの間にかフォーカス12の状態になっていた。暗闇の中で体脱状態のような感じ。
エネルギー玉を丹田の前辺りで、両手で作っていると、たくさんのエネルギーに包まれるのが分かった。やがてエネルギーが下半身から胸のあたりに広がっていき、自分が拡大する感覚になった。胸からエネルギーが広がって、人の姿がなくなったような気もした。しかし自分がどんな状態かは分からなかった。
すると、エネルギーの身体が上昇をはじめ、ぐんぐんと垂直に暗闇の中を上がっていった。すると何も見えないのに、ふと、「円盤型の宇宙船がいる」と思った。直感で分かるのだ。そして目の前に、青い光の粒子の円盤型宇宙船のようなものが見えた。しだいにフェイドアウトしていった。
気が付くと、都会の道路にいた。明るい景色だが、やや黄色っぽい。上には高速道路が走っているように思えた。私はまたそこで、エネルギーを自分に集めたような気がする。私はその場でジャンプし始めた。ジャンプの回数を重ねるごとに、高くジャンプできた。私はもっともっとジャンプしたいと思っていたが、やがてフェイドアウトしていった。
⑥ 2022年5月24日① 「トゥバンからアルシオンへ。鍵の綴り」
背中と胸部、つまりアナハタにエネルギーを集めつつ二度寝。気が付くと、実家2Fの中央の部屋だったと思われる。
予定していた通り「トゥバン」を呼んだ。前は勢いのある声だったが、今回は普通の声だった。腕も上げていない。まっすぐな姿勢でうつ伏せになり、床下に下降して行った。下降しながら、なんとなく自分がトカゲのような存在になったような気がした。そして下降ではなく、暗闇をくねくねと飛び回るような感じになった。
左手を見ると、手の甲側で、五本指のうち1本が曲がっていた。私がその指を伸ばすと、別の1本の指が曲がった。そして何故か、指が増えて10本くらいになり、曲がった指を伸ばすごとに1本曲がるのを確認した。
左上に光る出口が見えた。アーチ型だ。そこに入ると、恐らくであるが、実家2Fの中央の部屋に戻ってきた。
2Fの玄関側に行き、窓から飛び降りつつ、着地するのが待てずに空中で「アルシオン」を呼んだ。するとうつ伏せになり、グレーの空間になり、そのまま下降して行った。
たどり着いた先は、実家2Fの奥の部屋という設定(あるいは中央の部屋か?)だが、明らかに見知らぬ部屋にいて、視野が黄色っぽく、懐かしい感じがした。左手に、たくさんの鍵(はっきりとは分からないが8本くらい?)が綴られた輪を持っていて、私はそれをズボンの左のポケットに入れようとしたが、ちょっと入りにくかったので、右手に持ち替えて、右のポケットに入れた。これらの鍵と輪はどれも銀色で、少し大きめだった。
息子が右手に、妻が左手に見えた。アーチ型の窓が開いており、その向こうには自然豊かな絵のような風景があるように思えた。小鳥たちの鳴き声がたくさん聞こえていた。息子が、「クリッキー、クリッキーって鳴いているよ」と言って、私は確かにそんなふうに1匹の小鳥が鳴いているのを聞き分けた。
息子が「その小鳥を確認してきて」と言った。私は自信満々に「こうすれば移動できる。」と言って、両手でお腹の前辺りにエネルギーを集めた。このやり方をすれば、いつでも空を飛べるし、行きたいところに行けることが分かっていた。そこでフェイドアウト。
(感想)
トカゲ。前作でも蛇から前転してトカゲになるという体験を報告しました。この形状は、筒から手足が伸びるということですから、全惑星意識のまま、下の世界に興味を持ったり、関わったりしようとする態度に見えます。
指の1本が曲がっており、指が増えたのは、関わることのできる世界の種類が増えているが、そのうちの1本は帰還するために使われるということを示しているように思えました。分割したものが分割されたままでは退却できないことへの対処のようなものなのではないかと。
鍵を持っているのを見たのは、その出たり入ったりするためのキーということだと思います。これはほぼ同じものを見たことがあります。これはサダルバリに接触した時で、報告済みです。このサダルバリへの接触によって、ヘリオセントリックの惑星に関わる全ての恒星を取りそろえたときでした。
左手にもっていたのに、左のポケットに入らなかったという点が気になります。左側面を下にして変成意識に入ることが、まだマスターできていないことに関係していると思われます。
報告済みの「アルシオン」ですが、アルシオンは「とうめいか」の魔法であり、これまでで最も大きな快感の範囲であり、明晰夢で、山の裏側の宝玉を手に入れたいと思っていました。アルシオンが私にとってのグレートセントラルサンだと思っていますが、このアルシオンの意図に従ってトゥバンの地図が利用されているように思えます。
⑦ 瀬織津姫
ところで、松村先生の新作でも紹介されていますが、伊勢神宮はもともと瀬織津姫が祀られていて、これは荒祭宮のことです。これは昔の記録にも残っていると大学で学びました。
これも確か報告済みですが、2010年ごろに、これは地上世界ですが、春分の日に伊勢神宮の荒祭宮に参拝に行ったとき、天からエネルギーが振ってきて、脊椎を通り、腰に達し、背筋がキュッと伸びる体験をしました。たいへん清々しい体験で、蓄積されていた全ての疲れが弾き飛び、背中に翼が生えたようになり、軽く浮かんでいるような体感を覚えました。私に相当関わりのある神社なのだと感じました。
その後に、変成意識(その頃は訓練不足であり、滅多に体験できず、ほとんど偶然任せでした)の中で瀬織津姫を呼んだ時、蔵の中に誘われて、暗闇の中でエネルギーの柱と一体化する体験をしました。快感はありませんでしたが、すさまじいエネルギーの流れでした。これも2010~2012年ごろだと思います。
瀬織津姫は、脱衣婆であり、アルシオンからアルクトゥルスへの流れを司る神様だと思いますが、その通路について「13蛇の道」と紹介され、タロットカードで言うと「女教皇」に対応させることができると、先生の解説がありました。
私は先日、「自分の恒星自我を示すヒントをください」として、タロット占いしましたが、その時出たのは「女教皇」でした。私はこれを「トゥバン」の地図と捉え、それも間違っているとは思いませんが、このアルシオン‐アルクトゥルスのことをも同時に示していたのではないかと思われます。
⑩ 2022年5月29日早朝 「ディアデム川の支流」
(前略)片付けが終わり、1人で街を出て行った。たしか川をまたぐ大きめの橋を渡り、田舎道に来た。見下ろした右下の小川の土手に畑(茶畑?)があり、多くの若い女性たちが畑仕事をしていた。黒いワンピースの中に緑と茶色の伝統的な和服風のシャツのようなものが見えていた。和風と洋風が混ざった茶摘みの衣装といった感じだ。
これらの女性たちは活気があり、おしゃべりしながら楽しそうに仕事をしていた。私は「ディアデムのようだ」と思い、畑に入っていき、話しかけることにした。ちなみに誰もが黒髪で、髪の毛は長めだったが、ロングヘアというほどではなかった。以前のディアデムで見た女神たちには個体差が無かったし、人間というにはあまりにも生々しさがなかったのだが、この女性たちは人間であり、生々しさがあり、何より個体差があった。
思い返すに、茶畑の上のほうには元気溌剌とした女性たちがいて、下のほうはおとなしそうな女性たち、最も下には座り込んで休んでいる女性たちが数名いた。
私はこの土手の半ば下あたりの女性に声をかけて、「どうしてこんなふうに一生懸命に奉仕するのですか?」と聞いた。すると、その女性が「明日をもたらすためです」と言った。なんでそんな当たり前のことを聞くのかという顔をしていた。私はそれに対して「明日は勝手に来ますよ。」と答えると、「こいつはバカなのか」という印象の表情をしていた。
私はそこで気が付き、「つまりそれは、自分で移動しない限り、同じままの自分でいなくてはならないということですね。じっとしていたら、いつまでもそこに留まらなくてはならないということですね」と言った。
そこでふと疑問に思った。AさんとBさんがいて、Aさんが明日をもたらし、Bさんが明日をもたらさないならば、Aさんだけが明日に行けると言うことなのか?その時間のずれはどうなるのか?どういうふうに共存するのか?それはAさんだけが新しい自分になるということなのか?
すると別の女性(彼女はさっきの女性より少し高い位置にいた)が私を見つめて「そうだ」とテレパシーを送った。その目はビー玉のように透き通っており、黄色い光、小さな稲妻が眼球の中にあるような感じで、得体のしれない迫力があった。そこでフェイドアウト。
気が付くと、自分の部屋という設定の部屋にいた。地上世界だと思い込んでいた。(この部屋には何度か来たことがあると思う)私は紙と鉛筆をとり、今の体験をメモしようとしたが、鉛筆の芯が短くて書きづらい。なんとか「ディアデム」と書いたところで、肉体的に目を覚ました。
(感想)
呼吸法も何もしていないのに、この体験をしました。(むしろ寝る前には、今日は「アルデバランかな」と、なんとなく思っていました)詩にも書いたディアデムとは見え方が全く違いました。この1回目のディアデムは、山奥にある清らかな川の傍に広がる大きな花畑で、女神たちは大きな目があるだけで、口も鼻もありませんでした。
今日のディアデム(2回目)の女性たちは、女神ではなく、人間であり、腕が肌色であることにも私は注目しました。そして小川とも言えない、自然な水路のようなものがあったと思います。小さい溝のようなものです。
1回目のディアデムの大きな川は、ぐんぐん末端に進み、自然な溝にまでなったと見ることができると思います。畑の面積は狭くなり、育てているものが様々な花からお茶になりました。つまりこれは、世俗的になった、口にできるものになった、「役に立つもの」になった、ということだと思います。女神の姿は個性がなかったですが、ここでは個別性のある女性たちに変容しました。この女性たちは、テレパシーも使えましたが、口も鼻もあり、実際に口頭でしゃべることもでき、表情を見せていました。
私は1回目のディアデムの世界をH12ディアデムとし、2回目のディアデムはH24ディアデムと設定するのはどうかと思いました。H12ディアデムは神話的世界に見えたし、H24ディアデムは、それに比べると世俗的に見えました。つまり今日のディアデムは、1回目のディアデムの分割された世界ということだと思います。振動が下がれば下がるほど、個別化が進み、世俗的になり、聖なるものの流れが狭くなります。そしてH24ディアデムは、今日見たものだけではなく、もっとたくさんのバラエティーがあるはずです。
別室に帰還し、「ディアデム」と書いてみたけれども、美しく書けなかったのは、ディアデムの分割された世界であって、ディアデムの劣化世界とでもいうべき場所だったことを示していると思います。
「明日をもたらすために奉仕している」というのは、シュタイナーが「霊界では自分で時間を進めないと、時間が進まない」と言っていることと同じだと思います。時間を進めるために茶畑の女性たちは奉仕しています。茶畑の上のほうの女性たちは活気があり、明るく、とても楽しそうでした。和気あいあいとコミュニケーションを取っていました。下に行くほど覇気がなく、一番下の女性たちは座り込んでいました。自分で時間を進めなくては、いずれこの一番下の女性たちは、上にいる女性たちの目から消えてしまうのではないでしょうか。そして、「惑星の回転に依存する場所」に転落するということになるのでは、と思います。
⑪ 2022年5月29日② 「自分で時間を進めること」
地上においても、似たようなことがあると思います。地球の自転により、同じ時間を共有しているように見えても、振動を高めた人(明日を持たらす人)とそれをしなかった人(止まった人)とでは、別の世界に住んでいるように見えます。肉体という同じ錘をもっているので、共有するものはあるのですが、前者の視野から後者は見えにくくなっていくように思えます。もしかしたら存在しないかのように扱われることもあるかもしれません。
「止まった人」の状態にいるとき、何かの思いに囚われていて、同じことを考え続け、同じことを思い続け、同じ行動を取り続け、地球時間は進んでいるものの、心魂的にはどこにも進んでいない、どこかに留まってしまうように見えます。ワンパターンから抜け出せない、自動的で、機械のような存在と化してしまうということです。
茶畑の上のほうの女性たちは、屈託のない笑顔でキラキラしていました。「ちょっと仲間に入れてほしいかも」と、私は思っていました。
⑫ 2022年5月30日早朝深夜 「螺旋階段のさらに先の鳳凰」
夢。少しだけ自我意識がある。ウィザードリィという洞窟を探索するRPGに似た世界。ゲームをリアルにした感じだ。縦長の洞窟のもっと深くに潜ろうとしていた。これまでに行ったことがない場所への探索だ。この先には何が待ち受けているのか分からないという緊張感とワクワク感があった。(私は何度かこの辺りまでには来たことがあると思う)
私は6名程度でパーティーを組んでいた。とりあえずこの先に進み、1回だけ戦闘して全力を尽くせば、勝利することができて経験値を大幅に獲得することができるはずだと思っていた。
かくされた場所?から先に潜っていくと、螺旋階段ではあるが、何か入り組んでいる構造になっていた。ループする場所があるのか?と思った。先に進むと、底が見えない大きな空洞が果てしなく筒状になっている部屋に来た。そこには人型?の奇妙なモンスターが1匹いた。見たことない姿で、目がクリっとして不気味だ。
私は仲間たちに、今できる全力の攻撃をするように命令した。いつの間にか隊列が乱れていて、一番後ろにいるはずの魔法使いが先頭にいたりした。しかしもう隊列を戻している時間はない。そして何故か目の前に青くて透明なスプレーがあり、それを使って何かできるのではないか?と思って、それを使うように仲間に命じた。するとモンスターがそのスプレーの噴射口に口を当てて、中身をチューチューと吸った。何か不気味な光景だ。仲間がそのスプレーを噴射すると、中からシャボン玉やら泡やらがたくさん出た。どうやら洗剤のようで、辺りがアワアワになった。
攻撃が始まると思いきや、ウィザードリィのゲーム画面のようなものが見えて、「そういう技があることは知っているよ」と表示されるだけで、何も発動されない。どうやら、ここでは使えない、意味がないということらしかった。
この説明の表示画面が無くなると、また目の前に空洞があり、さきほどのモンスターが姿を変えて空中に浮かんでいた。顔は同じく大きな目玉でくりっとしているのだが、縦長になり、青と赤の長い長い翼?があり、それを広げるのではなく、直立する姿勢で真っすぐ縦に伸ばしていた。(いずれトランス絵画展に記載します)そしてそれが「鳳凰」であるという解説がテレパシーで届いた。
私は、「人の姿を維持していては、この先に進めないということかもしれない」と思っていた。
(感想)
前々回あたりの報告で、螺旋階段の底に行きつき、鏡を見て、頭が崩れていくという体験を報告していました。この夢は、その先があるということを示していると思います。しかしその先に入るためには、人間の姿のままでは入れないということなのではないでしょうか。つまりそれは、人としての価値観を捨ててしまわなくてはならないということでもあると思います。
この洞窟は、何度か見た記憶があります。いつも「今の私のレベルでは手に負えない」という印象です。まだ地上でやることがあると思っている間は、「手に負えない」と思ってしまうのかもしれません。しかしもはや、さらに底を覗きたいという気持ちを否定することはできません。
私はすでに、何度も人ではないものに変容したことがあるので、今の私が探索できる可能性はあると思います。しかし今日見た「鳳凰」のように、カラフルで、しっかりと変容しきっている状態には、あまりなったことがないと思います。鳥や蛇や犬などの形をしたエネルギーに包まれていて、人型もある程度混ざっている感触のことが多いです。
エネルギーの筒になったときは、純粋にただのエネルギーの流れになるということはありました。人型を完全に失う経験です。この辺りの違いも、考察していきたいと思います。
思うに、あのスプレーの洗剤は、私がチューチュー吸うべきものだったのかもしれません。赤と青の鳳凰は、それを教えてくれたのでしょう。私は鳥に変容することが多いです。完全に形態を鳥化してしまうには、もっと内部から洗わなくてはならないということに思えてきました。
おわりに
過去の探索が、ますます繋がりを見せ始めているように感じ、面白いです。それらの全貌を見渡せる日が楽しみです。
それらの全貌を見渡せるということは、それを創造した存在(あるいは高振動の自分)と共鳴するということでしょうから、結局のところ、それに共鳴できるように同じく創造的存在であることに近づいて行く必要があるということになると思います。座学だけでは見えない世界があるということです。作らなければ、作り手の気持ちは分からないのでしょう。
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