異世界探索記19 推奨メソッド
旧ser.20(2021年5月3日公開)より
はじめに
これまでを振り返りつつ、先を見据えつつ、道の示し方について考えてみます。「星になりきるための道」「本来の自分に戻る道」のことです。「自分の本来性を見失うことが苦痛を生む。本当のことを思い出し、それを体現することで、真の喜びが得られる」という考え方に則っています。ギリシャの格言にあるように、「汝自身を知れ」というわけです。この方法論は、今はこう思うというものであり、この先、変化する可能性があります。
私が精神世界と呼ばれる分野に関わることになったのは、遠く振り返れば、高校生の頃に心療内科的な病を患ったことです。私は自分を治療するための方法を探し求めました。その探求が始まりでした。現在では、ほとんど完治といっても良いとと思います。しかし私は生き方がすっかり変わってしまったので、かつての私のように生きられなくなったという意味では、過去の私から見れば「完治とは言えない」のかもしれません。私はできる限り世俗的な活動から手を引きたいと感じており、若かったころのように地上的な活動に精力的になることは不可能になったからです。しかし、現在の私から見れば、現在の私のほうが正常なのだと思います。
シュタイナーは、医学と教育はつながっているというふうなことを言っていたと思いますが、その通りだと思います。医学と言っても、現代の西洋医学のことではありません。心身を患い、それを治療する過程の中で、私は人生と世界について問い続け、その答えに近づいていきました。私は本来の正常な在り方に近づいてきたと思います。
Part1 占星術以前の学び
占星術に出会ってから、二十年近くなると思います。たくさんの鑑定をしてきて、自分のことも占星術に照らし合わせて考えてきました。占星術は、自分の偏りを教えてくれます。鑑定するとき、私は相手の偏りを教えています。しかしクライアント側にとってみは、それが運命のように思えて、自分の責任というものを軽減し、心理的に楽になる効果があるように感じられることが多いように見受けられます。私はこのような仕事は、何か違っていると感じる時があります。入口としては優れています。しかしそこに留まってしまうと、どこにも行きつかなくなる力として、良からぬ効果が発揮されるように思えるのです。
占星術における出生図の鑑定を、個性ではなく、偏りとして受け止めてもらい、さらに大きな自分、本来の自分に近づいていくための道を示すことができて初めて、占星術の本来の力を発揮させることができるのではないかと、私は考えます。
そうなると、占星術を学び、鑑定する力を育むと同時に、別の角度からのアプローチが必要になると考えられます。同じところをグルグルと回転する存在として自分を見立てるのではなく、自分はどんどん成長し、大きくなっていき、本来の自分に帰っていくことができる存在であることを思い出す必要を認めること、そしてその動機を満たすための取り組みをすることです。
自分が本来の姿に戻っていく存在であるということを排除して占星術に取り組んだ場合、結局のところ、その偏りの中に、自分をどんどん押し込めていき、出口がなくなってしまいます。そして自分の偏りを自己正当化し、あるいは他の誰かをも、決して成長することができない存在として決めつけてしまい、いつまでたっても、閉塞的な関係が継続することになるでしょう。同じことを繰り返す時、同じパターンでしか生きられないとき、人はそのパターンの中で、より大きな刺激を得るための極端な行動を取らざるを得ません。例えていうと、「お酒でしか満たされない人が、よりアルコール度数の高いものを要求するようになっていくしかない」みたいな感じです。
自分を知り、世界を知るためのツールとして占星術はたいへん優れていますが、それをそのように活用できる自分を作るための取り組みが別に必要になります。その方法はたくさんありそうですが、私としては、「氣のトレーニング」と、「自己想起」、及び「精神世界以前の心理学的手法の学び」を推薦したいと思います。それはつまり、私がしてきたことです。自分がしてきたことなので、それらの効果を確認しています。
これらの中で継続していくものは「氣」と「自己想起」です。
「心理学的手法」は、ある段階で必要がなくなると思います。そして心理学的手法と言ってもたくさんあり、私が推奨するのは「交流分析」「自律訓練法」「アドラー心理学」「理性情動療法」です。学ぶべき順番としても、今あげた通りです。ただし「交流分析」については、「エゴグラム」は必要ありません。「ゲーム分析」「禁止令」「ドライバー」の3つがあれば十分です。占星術にしても、心理学、その他の私が勧める体系についても、ハマりこまないことが大切だと思います。趣味的に好きではまり込むことを否定しませんが、特定の体系を骨の髄まで事細かにハマってしまうことは、「本来の自分」を思い出すための足を引っ張ることになる可能性があるからであり、ここでの目的には合わないことになるかもしれないといいうことです。これらの体系を学ぶことにより、自分の偏りをある程度まで明らかにすることができます。自分のワンパターンな行動、生き方、感じ方があることに気づき、そこから解放される可能性があるのを感じ取ることができます。うまく行けば、かなりの程度、偏りを是正することもできます。このような状態になったとき、占星術の鑑定内容を、自分を閉じ込めるための言い訳、他人を決めつけるための言い訳にしてしまう可能性を、軽減することができます。最低限、開かれた自分を作ることができます。
「自律訓練法」は、これら紹介した方法論の中で異色さがありますが、これは「リラックスできる状態」を自ら作ることができることが、大きな力を発揮してくれるという理由からチョイスしました。知的な整理だけをしていても、身体がついてこなければ意味がありません。新脳をフル稼働するだけでは真実に至れません。存在そのもので真実に近づくことが目標です。リラックスする時間が、偏らない自分に近づけてくれることになり、知的に学んだことを、身体に行き渡らせてくれるような働きを期待できます。
「自己想起」は、自分を第三者視点で観察し続けることから始まります。これをすることで、自分がいかに、ワンパターンな行動、生き方をしているかに気づくことができ、他のパターンや生き方に移行できる可能性を生み出します。自己想起を継続することで、それまで影になっていたこと、見落としていたこと、依存していたことなどが明らかになっていきます。その繰り返しが、自分を真実に近づけてくれます。上記の心理学的手法は、この自己想起の補助になります。最終的に自己想起を日常的にできるのであれば、心理学的手法に頼る必要はなくなります。
「氣のトレーニング」は、自分が物質以上の存在であることを、直に体験するためのメソッドです。トレーニングを繰り返していくと、不可視のエネルギーを捉える感覚が磨かれていき、身体の中をエネルギーが巡っているのを感じ取れるようになります。そして以前より健康になったり、心理的に安定してきたり、あるいは運が良くなってきたりするというようなことを体験することもできます。これだけでも、世界観は大いに変わります。「不可視の世界があるのかもしれない」という予感を得られ、それと同時に、より大きな世界観の中で自分を捉えることができるようになっていきます。
Part2 占星術及びその他の有能な体系の学び
上記のようなトレーニングの後に占星術に取り組むならば、閉じ込められない姿勢で学ぶことができます。専門用語を使うなら、「惑星意識から全惑星意識に移行する前提」での学びにすることが可能になります。占星術におけるこのような学びは、心理学的な自己観察よりさらに大きな視野での自己観察を可能にしてくれます。つまりいかに自分が常識的な在り方にこだわってきたのかとか、自分の好みとか偏りが全体的な配置から見てどのような位置にあるのかとか、自分以外の生き方のバリエーションにいかに多彩性があるのかなどです。
このような立場になると、アスペクトにおける吉凶というものはなく、それぞれ役割が違うだけであり、利用の仕方が違うに過ぎないこともすぐに見えてきます。むしろスクエアの価値を、自分の死角を無くし、さらに高くて広い視野を手に入れるための重要なアスペクトであるということを見出すことになります。
さらに出生図を学ぶということの重要性を忘れないでいられるというメリットもあると思います。星回りだけに気を取られ、自分にとっての吉凶の時期を占うことに終始してしまうと、本来の自分の立ち位置を忘れてしまい、ますます訳が分からなくなってしまいます。良い時期、悪い時期に翻弄されることになります。もちろん星回りを利用して、目的を実現したり、できるだけ快適に物事を進めたりするのも良いことですが、出生図に示された自分の偏りを学ぶことを無視してしまうのは、さらに自分を解体し、小さな自分にしてしまう恐れがあります。出生図にあらわされた自分の偏りを知り、トランジットやハーモニクスを利用して、そこから解き放たれていくというプロセスが必要です。
占星術を学ぶと同時に、力になってくれるのは、「タロット」の学びです。タロットと言っても、占いのことではありません。タロットが示す魂の成長のプログラムを学ぶことです。これについては、タロット道を提唱している松村潔先生の図書が重要になってきます。他にこのような説を唱えている人はいないからです。「タロット道」という名前が与えられています。
タロット道を学ぶことにより、魂が地球にやってきて、そこで成長し、元の世界に帰っていくプロセスの、大きな地図を手に入れることができます。「魔術師」から始まり「世界」に至る道です。
このように魂の遍歴や人間の構造を学ぶために貢献してくれる体系には、占星術におけるさらなる技法である「ヘリオセントリック」「恒星パラン」など、そして「十牛図」や「エニアグラム」、「生命の樹」などがあります。「生命の樹」は、タロットと占星術をつなげてくれる有能なツールです。他にグルジエフの「水素論」や「生きとし生きるものの図表」も役に立ちます。
このpartでの学びが進むほどに、自己想起がさらに上質なものになっていくと言うことができます。これまで見えていなかったことが見えてくるからです。
Part3 占星術以降の学び、変成意識へ
Part2の学びは、言わば地図を手に入れるための学びでした。自分の地図、世界の地図です。Part3では、その地図をもとに、実際に本来の自分に戻り、より広い世界に飛び出て、本来の自分に相応しい場所に着地することが目標になります。
自己想起が進めば進むほど、社会とは狭い箱庭であり、もっと広い世界が無限にあることが予感されます。そしてそのような狭い箱庭から飛び出す準備が整います。そして氣のトレーニングが進むほどに、身にまとうエネルギーが高振動となり、肉体から離れた世界を知覚することがたやすくなります。
この異世界の認識方法を、便宜上、大きく分けて2タイプに分けます。それは一部の感覚のみを用いた変成意識と、エネルギーボディーそのまま抜け出した変成意識(フルトランス状態)です。一部の感覚を用いるバージョンで定番なのは、水晶を用いた視覚的な変成意識です。水晶透視でも、聴覚や触覚が伴う場合もあります。
しかしそのような訓練をしなくても、最もお手軽な方法が「夢」を見るという方法です。夢は、肉体から離れたときの記憶であり、誰もが経験している変成意識です。違いは、それを覚えているかどうかであり、自己想起が高いレベルになるほどに、純度の高い経験を持ち帰ることができるようになります。「明晰夢」と呼ばれる、夢の中で自由に動ける体験をすることも可能になります。
このような変成意識の体験を続ける中で、本来の自分を思い出すことができます。つまり、「恒星意識」にたどり着き、やがて恒星と一体化する体験へと至ります。創造的で、安らぎに満ち、真実を体現した状態です。
私の個人的な方法論としては、「明晰夢」と「体外離脱」を使います。簡単にやり方を説明します。
① 夜中に目を覚ます(自動的に目が覚める。タイマーとか使わない)
② 伸びをして血流をよくする
③ 呼吸法を行い、エネルギーチャージする
④ アファメーションを行う(ヘミシンクに準じたもの)
⑤ エネルギー変換ボックス(ヘミシンクを参考に)
⑥ 自律訓練法を行いながら、再入眠する
⑦ 変成意識に入る(夢が夢だと気づく。あるいは体から浮かび上がる感覚を覚える)
私は使いませんが、ヘミシンクのCDやバイノーラルビートなどを使うのも、人によっては役に立つと思います。
Part4 kawasemiが推奨する学びとその順番
上記までの記事をまとめます。あくまで、私の推奨ですので、「こうでないといけない」ということではありません。そして、私が推奨するこの方法において、それぞれを専門としている先生がいらっしゃり、専門書もありますので、それらを参考にされると良いと思います。
1 氣のトレーニング
2 自己想起(あるいは自己観察)の習慣
3 心理学的手法(交流分析、自律訓練法、アドラー心理学、理性情動療法)
4 占星術(出生図、サビアン、星回り、ハーモニクス、恒星パラン、ヘリオセントリック等)
5 タロット道
6 その他の神秘学体系の概略(生命の樹、エニアグラム、水素論、生きとし生きるものの図表)
7 変成意識の実践(夢分析、明晰夢、体外離脱)
自分のやり方を編み出すことが最終的には重要になります。誰かの真似だけをしていては、自分で輝く恒星意識には至れません。しかしある段階までは、誰かのもとで学ぶことが大きな力を発揮します。私としては、ゼロから自分で始めることは推奨しません。なぜなら、自分の偏りの中でグルグルと同じところを走り続ける可能性が高いからです。
誰かの体系に染まらない程度に、自分以外の誰かから学び、ある程度学んだところで、自分のやり方を編み出していくというのが、スマートな方法に思えます。
別の言い方をすると、偏りから解放されるためにある程度までは先生から学び、そこから先は個性に至るために自分流を探すということですが、それらを両立させつつ、比重を変えていくというのが現実的な方法だと思います。
Part5 創造的活動と存在し続けること
その先は、自分流のやり方を模索する中で、創造的な活動が始まります。それは自ら輝く状態のための手がかりになります。それを推進する中で、自分で輝くことによって、恒星と共鳴し、恒星意識に至ることを発見します。自ら燃える存在に影はありません。しかし燃えるのを止めたとき、自分は消えてしまいます。創造的活動を行う限り、自分自身が存在するという、究極の状態です。
私のやり方と経験は、マガジン「恒星快感道場」に挙げられています。変成意識の状態で、恒星や高振動の存在を呼ぶと、そのエネルギーが降りてきて、一体化することができます。その時に、体に強い快感が走るのが特徴です。快感とは、分離したものが結合するときに発生するものです。本来の自分に戻るとき、最初の頃は究極の快感を覚えるのです。
まずは快感とともに星との連結を行います。そして連結した後に、感動体験、理解の体験を、自ら光る存在として生み出し、星と一体化していきます。
Part6 追記「自己想起と氣」さらに「食事と運動」
私は長らくの間、自己想起に注目していませんでした。私がそれを軽んじていたのは、ウズベンスキーの著作を読み、自己想起というものを誤解してしまったからです。自己想起とは、より振動の高い自分になったときに発動される状態の一側面を表した言葉であり、単に自分を観察している状態(メタ認識)のみを指しているのではありません。その認識に加えて、生命力、ワクワク感、多彩性への感動、創造性、スポンタネアティー、真実の個性、偏らない状態など、様々なものがその言葉の背後にあります。
はじめに述べたように、私は心身症のような状態に10年以上苦しみました。その時期に、私は自分のことを観察し続けていました。観察していない時間は無かったと思えるほどでした。自分を救うために、そうせざるを得なかったからです。私のしていたことが純粋な自己想起ではなったにしても、それに準ずることを、私は10年以上、強制的にやり続けていました。最近になって、あの痛みの時間の中での自己観察が、現在の自分を作るうえで重要だったことに気づきました。それは、とてもメソッドとは言えない我流のものであり、学問的とも言えないものでした。生きるためのただの足掻きでした。私は自分の心の微細な動きまで、気づくことができるようになっていきました。
今はこう言えます。とにかく自己想起が重要です。そして様々な知的な体系が、自己想起に役立ちます。道を求める人は、私が勧めた体系でなくても良いので、自己想起に役立ちそうな体系を学んでください。
自己想起が進むほど、高振動の氣と循環することができますし、高振動の氣を循環させるほどに、より上質な自己想起を行うことができます。それらは同じ事象の別の側面です。
私の星に至る道をシンプルに言えば、「自己想起」と「氣の循環」という両輪で進むメソッドとも表現できそうです。
一方、私は上記に挙げた道筋のほかに追加したいものとして、「食事と運動」を加えたいと思います。現在、それを加えないのは、まだ私がそれを完全に我が物にしていないからです。自分が身に着けていないものを、道として示すのは愚かなことです。
私が心身を損ねた理由に、適切な食事を採っていなかったという理由があります。これはことのほか重要だったのです。若いころは、多少の無理をしても、細胞の力によって健康を維持することができます。私の場合は、身体に合わない食事をしていたうえ、苛烈な運動をしていたために、体を壊してしまったのです。氣のトレーニングと考え方の修正によって心身症を改善することはできましたが、私は食事そのものを見直すということについて取り組み始めたのは、ごく最近のことで、3か月ちょっとくらいです。
苛烈な運動を止めたことで、身体が回復しやすくなったというのもありますが、これは逆に、運動をしなくなってしまい、肥満するという状態を作り出してしまいました。
私は現在、自分に適切な食事と運動について、模索している最中です。目標としては、より変成意識に入りやすい身体を整えることです。それはつまり、重力に引きずられる量を減らすための減量と、エネルギーボディーへの移行を容易にするための身体作りということです。これも体系の学びと同じで、趣味的にハマるのは良いですが、目標を見失わないように取り組むことが肝要だと考えています。
食事をどれくらい楽しむのかということは、地上社会にどれくらい関わるのかということに関わってきます。食べるということは肉体にフォーカスするということであり、そこに対する興味が大きければ大きいほど、地上への関心が高まり、社会的存在であることに留まる力を得られます。もちろん、変成意識には入りにくくなるということです。変成意識に入るとは、つまり肉体の箱、社会の箱、地上の箱からはみ出ることだからです。
私の家族の知人で、徐々に食事を減らしていき、最後には水だけになり、静かに眠るように死んでいったという人がいるそうです。美しい死に方で、上手にこの地上から抜け出していったお手本のようです。最終的にこのようにありたいと思いますが、私はまだ四十代半ばということで、地上的仕事や家族のことなど、社会的活動にもフォーカスしなくてはなりません。なので極端なことはまだできず、リタイアするまでの期間、リタイアした後の期間、死に向かう期間という段階を設け、食事と運動の取り方について変化させていく必要があると感じています。
私の提案としての原案は、食事と運動については、年齢や職業・社会的立場などによって、自分のスタンスに合わせて調整していくものだと思います。子どもや若者は、これから地上社会を生きていくわけで、積極的に楽しむのが良いと思います。成人してからは、自分の地上での錨の重さのほど良さを確認しつつ、それらの習慣を変化させていくということになります。地上的活動と変成意識活動の比重の調整と移行という目的に沿って、それらを変化させていくわけです。
ふと私の提案の内容もまた、エニアグラムのインターバルショックに意図的になることを表しているのだと思いました。食事と健康は身体オクターブ、氣のトレーニングは感情オクターブ、自己想起は思考オクターブということになりそうです。このように考えると、私の推奨メソッドは一例にすぎないことがより一層明らかになります。それぞれがインターバルショックを自覚的に行う方法を見つければ、それで良いというわけです。私が私の道を歩む中で他者に何ができるのかと言えば、それを考えるためのヒントを提供することができるのみ、ということなのだと思います。
おわりに
恒星接触を繰り返す中で、「星を見出していない限り、人は受け身に、そして仮初的に生きざるをえない」という感覚を持つようになりました。逆の言い方もできます。「創造的な生き方をしている人は、星の名を知らなくても、星を見出している」ということです。老子の教えに「道を見出したものは、全ての罪を赦免される」みたいなのがあったと思います。星の永遠性から見れば、あらゆる地上的な事象が刹那的であり、真実から遠いことであることを伝えているのだろうと思います。
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