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息子がいない寂しさをしみじみ味わってしまう

 子供の修学旅行って、心配4割、楽しんでるかなあと思いを馳せる気持ち3割、自分がのんびりできる楽しみ2割、寂しい1割、がこれまでの、待つ側としての私の気持ちだった。
 「だった」。
 過去形。「だった」!!

 高校2年生の息子は、部活が終わったらそのまま塾に行き、田舎道が心配だから車で迎えに行くのが9時半頃。つまり、朝7時半過ぎくらいから約14時間、息子がいないのが日常。時には病院や皮膚科の送迎、事情によっては塾への送迎もあって、その間はちょこちょこと顔を合わすけれど、基本的に日中顔を合わせはしない。

 休みの日も、昼頃まで寝ていて、朝ごはん(昼ご飯?)食べてちょっとパソコンを楽しんだら塾に出かける。

 時には一緒に映画を観に行くし、夕食時前後はお笑い番組を観て一緒に笑う。でも基本的に息子は家にいない。 

 なのに、今回の修学旅行が寂しくてならない。心配4割、楽しんでいるかなあ2割。

 寂しい4割。


 私の体調はめちゃくちゃ悪いこの一週間だったので、のんびりできる楽しみなんて、1割もない。それに一人の時間は、今は日常。

 ちょっと前に、息子が高校に行く意味について、私に愚痴を言ってきた。
 気持ちはわかる。真剣に話し合いをし、寝る時間が遅れた。でもいつもの通り「ちょっとスッキリした。聞いてくれてありがと」と、ある程度、納得して眠ってくれた。

 その少し後に、スマホの使い方で話し合いをした。以前自分で作ったルールを、自分で破っている。それを隠そうとしたことに私が腹を立てて話し合った。久しぶりにちょっとだけ感情的になって叱ってしまった。
 台詞や理屈ばかり、カッコいいことを言いたがる年頃。
 論破しようとする。私より筋を通そうと理屈を並べる。
 でも論破されても食い下がる。そこは譲れないのだよ。母さんの信頼を取り戻しなさい。

 結局、お互いの妥協点を探り、息子の自由も認めて一段落。

 ああいつまでも甘えるんだなあ。そんなじゃあ再来年からの一人暮らしが心配だよ。

 そう思いつつ、修学旅行の準備に取り掛かる息子を横目で見る。



 いつか書きたいけれど、私の学校時代の宿泊旅行、修学旅行。
 小学生の頃はいじめられていたり、そのために友達がいなかったりして、6年生にようやく友達ができた時以外はほとんど楽しめなかった。宿泊旅行の時はいつも寂しかった。

 でも息子は、決まった友達がごくわずかだった小学生時代、何年生だった時も、学校からの宿泊旅行を楽しみにしていた。
 自分で準備する! と張り切って向かい、「楽しかった!」「班行動の時に何回も、楽しいね!って言い合ったんだよ」と興奮して土産話をたくさんしてくれた。

 中学生の宿泊研修や修学旅行も、いつも楽しみにして、やっぱり帰宅後には興奮して話してくれた。いつもの仲良しクンたちとは別の子たちとも、楽しく話せるんだ、と知るのも嬉しかった。

 なのに、今回は初めて、楽しみじゃなさそう。私の実家の方面、関西周辺だから目新しい感覚もないのかな。とも思う。

 ちょっと前に「高校行く意義」について話していた時、塾や自分でする数学が面白くて仕方ないと話していた(他の教科はそんなことないので誤解なきよう……)。行事に向けて青春て気分じゃないと話していた。
 「お母さんは違ったんだよ。行事が楽しみで、友達に会うのだけが楽しみで中学や高校に行ってたようなもんだから。○○(息子の名前)の気持ちとは違うけれど、でも確かに‘青春だなあー!’って感じたのは、もっと後で、自分の意志で自分のしたいことを全力で楽しんでいた頃かな。その時はもう大学卒業していて、改めて勉強したり、友達と遊んだりしていたよ。○○(息子)も、もう少し後かもね。今、学校でのことは自主性をもって楽しんでいるわけじゃないものね」
 返事ともならない返事。何を話しているんだろうと自分でもよくわからない。でも息子の気持ちを一生懸命考えながら話した。

 一番話の合う友達が学校になかなか来れなくなっていること。他の仲良しの友達と、向いている方向が少しずつ変わってきてしまっていること。面白かった部活仲間も段々本質がわかってきてしまったこと。自分のやりたいことができてきて、それをやっている時が楽しいこと。

 わかるよ。
 仕方ないのかもしれないね。
 でも、修学旅行、楽しめると良いな。
 準備が楽しくなさそうな息子が心配になってしまった。

 でも準備もほぼ終わる頃に、なんだかんだ楽しそうな息子に気が付いた。ちょっとホッとする。同時に寂しさが急におそってきた。

 もしかしたら、私は再来年くらいからの息子の一人暮らしが心配……だけでなく、本当は寂しいのかもしれない。

 息子が自分で自分を管理し、「新しい友達ができて気が合う」となったり、「こんなサークルに入ったよ」と私にとってはマニアックだけど面白そうなサークルに参加したり、「大学の勉強って今までよりもっと面白い!」と思えそうなところを想像すると、応援してあげたいと思う。希望を感じる。

 だけどそういったことが、最近の私にとって現実味を帯びてきたのかもしれない。「ただいま」と帰宅してから、わずかな共有時間の楽しさを実感している。

 息子ができるまで、夫と二人の時間が長かったし、お互い自分の時間を大切にしたい方だから、二人でも楽しめるけど……平気だと思っていたけど。やっぱり寂しいんだ私。

 好きなお笑いが似ているところや、映画の話をしつこくするところで気が合っている。夫と息子は別の話をし、それはそれで面白いようだ。夫と私も、似たような話題でも息子と話すのとはまた違った角度で話す。でも三人で何かを楽しんだりツッコミを入れ合ったり語り合ったりして過ごす時間がもう残り少ない。日常でなくなっていくのだ。

 そう思うことは、ぽっかりと心に、とてつもなく大きな穴を開けそうで寂しい。
 今まで、息子が宿泊研修や旅行に出る度、ずっと夫が寂しいなあと言っていたけれど、今回は私も寂しい。

 とりあえず、今回も楽しんで帰ってきてくれたらそれで嬉しい。どういう風に考えてみても、結局同じ時間の長さを過ごす。

 「せっかくだから、楽しんでおいでね」

 「そうだよね」

 ちょっと気のない返事した息子が、最初に送ってきた写真が「ドクターイエローが東京駅で並んでた!!」だった。

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 新幹線大好きだった幼少期を思い出した。相変わらずなんだな。

 その後、京都の写真やご当地コーラの写真など。

 楽しんできてくれそう。かな。土産話を楽しみにしている。



#エッセイ #息子 #修学旅行  

読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。