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皆さんは誰に向けて書いていますか

 美容室にて、雑誌をパラパラ見ながら、ふと目についた記事があった。
 タレントのYOUさんが相談に乗っている中にあった言葉で、「世の中には、感動するような景色を観た時に‘彼女とだけ分かち合いたい’という人と‘みんなに知らせたい’という人とに分かれる」というような内容だったと思う。
 うっすらわかっていたことだけど、改めて言葉にされて読んでみると、納得させられる。
 それは人付き合い全般に通じることだろう。

 自分の人付き合いを振り返ると、上の例で言えば「彼女とだけ分かち合いたい」側である。きっと少なからずいると思うけれど、確かに周りを見渡すと2タイプいますね。

 そしてすぐこれを、「文章を書く時」に置き換えて考えてしまいました。

 「個人的な誰かに向けて書く」ことが良いとか言われていますよね。そのように意識的にならなくても、書いていると自然と思い浮かぶ人はいるものですよね。

 noteを始める時、何人かの知り合いに知らせた。でも友人の中でも限られていて、その境目は何かと考えてみると、それまでの付き合いが長かろうが短かろうが、この人に心の内を知られても構わないと思ったからだ。両親と夫も知っている。

 そんな中、文章によって誰かを思い浮かべたり、あの人に読んでほしいと思ったりしていたけど、私の心の中を読むのは、面倒だろうということも思っている。人によっては、もう私の人と成りをよく知っているわけで、周知の事実を何度も聞かされる(読まされる)のは、もう良いよわかっているから!って思いもあるだろうし、今後、無理強いはしたくない。ただ、これはあの人に読んでほしいと思っていて読まれていなさそうな時やイマイチ響いていなさそうだと、少々落ち込む。文章が下手だったのだろう。伝わらなかったのだろう。面白くなかったかな。内容が好みじゃなかったのかも。うっとうしかったかな。
 でもここは考え過ぎない方が良いところなのだろう。

 さらに、noteを続けていると、コメントのやり取りで人柄がしのばれて思い入れが強くなってしまう人たちがいる。割と積極的にコメントを書いてしまうのだけど、もしかしたらこういう距離感が、私は慣れていないからわかっていないのかも! うっとうしいかも! 色々とまた考えてしまう。これも考え過ぎない方が良いところなので、なるべく頭から振り払う。

 ただ、そういった人たちとのやり取りで心に残ると、愛着がわく。自分が書く内容は確かに自分本位に楽しんでいるのだけど、もはや多くの人に向けておらず、フォローしてくださる人にさえ読んでもらえたらもうそれで良いとか思ってしまう。
 こんな考えだから、フォロワーもスキも全然増えていく気がしない。自分がフォローしている人たちの文章も一つ一つ丁寧に読んでしまうから、これ以上あまり増やせない。もう充分時間が費やされている。

 ちなみに、本当は全員の、全部の文章にスキを付けたいくらいなのだけど、そうすると「この人本当にちゃんと読んでいるのか」と思われて失礼になるかもと思って、小さな基準を自分の中で仕方なく作っています。本当はみんな、どの文も良い!って思っています。だって皆さん、心をこめて書いているだろうし、そういう文章を載せているだろうから。

 いっそ、スキが2つ分押せたらいいのにとか思う。1つは「良かった」とか「読んだ」。2つ目は「すごく良かった」。なんなら3つ目があっても良い。ちなみに3つ目は「すっごく良かった!」。なんて、そんなこと思うの私だけなのだろうか。ああでも、元々スキが多い人は膨大な量になってしまうだろうし、何より自分が読まれる立場で、その方式で1つもつかなかったら、それもそれでショックな気がしてきた。やっぱり今のままで良いですね。


 あと、コメントをやり取りしたり、皆の文章や作品を読んだりしながら、なんだか自分が、老婆心を起こしているのがわかる。心配してみたりおせっかい焼きたくなったり。皆さん文章が上手で、読んでいて楽しいので、もしかしたら読んでいるだけで、私はもう書かなくても良いんじゃないかという気がすることも多々。


 私は一体、何のために書いているのだろう。

 やっぱり単純に表に出したいから書いている。文章は上達する気配がないけれど、みんなが上手になってくれているから良いや。と自分でも理解しにくい思考回路が出来上がりつつある。皆の表現を読むのは楽しい。書くのは自分本位、自己満足という別の意味で楽しい。私の文章は、もう読んでほしい人だけに読んでもらえたらそれで良いという気持ちになってきた。こんなんで良いのだろうか。


#文章を書く #誰かに向けて書く #note


読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。