「犬ヶ島」を観て、相手を信頼することは自分にとっても喜びなのだと感じる

 「犬ヶ島」を観た。
 あらゆる面から、興味深い映画であった。映画好きな友人が絶賛していたことも納得。彼女は監督のウエスアンダーソンが好きで、彼の映画をたくさん観ているようだ。夫も他の作品を観ていて、そのカメラの動きに特徴があると言っている。


 「犬ヶ島」はタイトルからわかるように、犬が出てくる。犬がほぼ主人公だ。本当の主人公は人間だけど。

 ストップモーションアニメで、すべて手作業での動きなので、メイキング映像を観て驚いた。

 少しずつ違う顔がズラーっと並べてあり、それでちょっとした表情の動きを、この付け替えで行っているのかと思うと、気が遠くなる。犬の体もちゃんと骨ならぬ骨格が金属で作ってあり、それを少しずつ動かして、コマを送っているわけだ。

 時々粘土を使った作品を見ることがあると思います。ちょっとしたCMやらテレビ番組やら、きっと目にしたことのある人は少なくはないはずの「ピングー」やらで。その皆の作業は、観ていると息苦しくなるほどの努力であることに圧倒される。過程や出来上がった映像を観ていると、その作業自体を、ものすごく好きでないとやってられなさそうだ。そういうことに専念できる人たちが力を合わせてできた映画だ。


 最初はその質感が新鮮でどうも気を取られるのだが、すぐに目は慣れていく。そしてあっという間に犬が可愛くなる。その動きの緩急とか表情がとても良い。

 内容は、思ったより社会派でした。今の世界の政治の傾向、日本も含めて、その違和感という意味でのおかしさや、抱くべき危機感を訴えていて、犬たちの可愛さとは対照的になかなか骨っぽくて驚いた。ただの少年と犬との友情物語ではなかった。

 ホロコーストを連想させるシーンはあるけど、デマとかそれ以上にそこに政治家が積極的にからんでいることなんかは、今に充分通じると思った。情報操作や票の操作のこと、どこかの国で聞いたようなこと。ちなみに、それとは別だと思いたいけど、そこは日本が舞台である。

 ウエスアンダーソンは、相当な親日家らしく、日本を舞台にしたこの映画の背景は、日本を連想させるとかそんな生ぬるいものでなく、日本そのものなのだ。一応未来というか異世界の話ではあるけど、ちょっと昔の日本を連想させる景色。ちゃんと日本のこと知っているなあ、どういうスタッフがいるのか、日本人の誰が監修したかなどチラッと思いつつの、外国からの日本てこう見えるんだろうということもあり、その見え方がなかなか興味深い。画面に散りばめられる日本語の数々。伝統、文化、街並み。ちょっと違うけど、というのもすべて彼はわかっていて描いているのではないかという気がする。

 色々とオマージュがあるのではないかと思うのだが、私が思い出したのは、主人公アタリが、チーフを洗うシーンで「Harry the Dirty Dog(どろんこハリー)」。私が幼少期、好きでたまらず、繰り返し繰り返し読んだ絵本である。好きでまだ手元に置いているボロボロの絵本が何冊かあるが、これはその一冊だ。

 何が好きって、実は外見では判断できないよ、内面なんだよってところである。内側は違う、ということが痛快で面白く、外側で判断することは安直なんだよと教わった絵本であり、同時に幼い私の何かを呼び覚まさせた。多分そういった考え方が私の中に根付いていて、そこを刺激したんだろう。幼い頃にそういう内容の絵本を好きだった私を褒めてあげたいと同時に、でも多分人の心理としてごく自然なことなのではないかと思う。それに気づくかどうかという問題だけで。この絵本はその自分の意識を、幼い時に目覚めさせてくれるものなのだ。わかってほしい、と自分で一生懸命アピールする犬が愛らしいのと、それでも疑う周りの人たちがリアル。

 そんなわけで、アタリがチーフを洗って現れた姿に、観客は、いやアタリもチーフも含めて、みんなが「アラ……」となる。それは、チーフの心が変わった瞬間であり、人々の先入観を拭い去った瞬間であった。変化の象徴的なシーンだったわけですね。

 チーフは、自分が失敗もするってことを自分でわかっている。何故だか理由は説明できないけれど、俺は失敗をすることがあるんだ。と話す。それでも受け入れてくれる周りが存在する。その失敗を上回る、カバーしきれる魅力的な部分がたくさんあるからだ。

 彼が心を開いていくシーンは、単純でわかりやす過ぎるけど、幾つかある。印象的なのは、「fetch!(取ってこい)」を命令されるところ。彼が仕方なくなのかとりあえず従ったところで、アタリが「良い子だ」と抱きしめる。抱きしめる温かさと、アタリの信頼が、チーフの喜びと信頼感を呼び起こす。相手に信頼されることも相手を信頼できることも、それは喜びだということを感じられる素敵なシーンなのである。

 人間と犬の関係についても考えさせられるセリフやシーンはたくさんあるが、私たちが犬との関係の中に強く求めるのは信頼なのだろうと思わされ、又、人間同士も素直に、そうあってほしいと願う。


 最後に、映画とは別に、俳優たちのインタビューシーンが面白かった。声優をやってくれた俳優陣が、俳優としてのインタビューに答えるのだが、それが全部犬である。「映画上で自分たちがアテレコしている犬」がインタビューに答えているのだ。もちろんインタビューには俳優として答えている。でも答えている映像が犬、という不思議な画を私たちは見せられる。

 もしかしたら制作陣は、作り終えた後もその気の遠くなる作業が面白くなっちゃって、もうその疲れとか苦労とかも吹っ飛んで、終わるのが名残惜しくなったのではないだろうかと勝手に想像する。高揚感からだろうか。インタビューも犬の画にしちゃえと思ったのかななどと想像して楽しい。

 そしてその中の一人、ビルマーレイがおじいちゃんになっていたことにひっくり返りそうだった。そうか、ゴーストバスターズ以来、私はあまりちゃんと目にしていなかったもんなあ、あれから30年くらい。おじいちゃんにもなっちゃうわけだ。


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