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親子のこと

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親のこと、子供のこと、その関係についての考察や自分の思い出話、などなど家族に関することなら何でも ※映画の感想については含めません
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#言葉

笑顔をたくさんありがとう~母の月によせて~

 幼少期は、私はお母さんには要らない子なんじゃないかと思っていた。お兄ちゃんは勉強もできて、いろんなことを覚えていて、たくさんのことを知っていて、好奇心があって、おしゃべりできて、ユーモアがあって、向かっていく強さがあって。私にはない部分ばかりを褒めているのを私に言って聞かせるから。お兄ちゃんみたいになりたくて真似ばかりして。  でもなれなかった。  私は勉強でいつも怒られて怖かった。  ピアノを教わる時も厳しくて怖かった。  私に得意なことも、特別なところもないって思って

話しかけられる隙を作っておきたい

 先生にどうしても言いたいから話しかける。  忙しそうに「ちょっとまたね」と他の子供たちに呼ばれてその場を離れる。他の先生に話そうとするけど、また他の子供たちに気を取られて忙しそうだ。また別の先生に話しかけるけど、伝えたい内容がうまく言葉にならず、もごもごしてしまう。その先生もやっぱり忙しそうだからとえんりょしてしまう。  とうとう泣き出してしまった。  だれか私の話を聞いて!  そこで目がさめた。  ついこの間の夢。  うまく話せない、その状況を伝えられない私は今でもい

憶測は、真の理解から遠ざかる

 以前、親子関係や家族関係、発達に関する心理学の本を読みあさっていた頃、「少年犯罪心理学」の本にも何冊か出会った。その何冊かを読んでいるうちに感じた、気になる共通点があった。  人の心を憶測する心配についてである。  例えば映画の、あるシーンで心を動かされ、自分が泣いた。子供も泣いた。でもその瞬間、自分と自分の子供は「同じ感情で泣いているとは限らない」ということがある。映画でなくても日常生活で、自分が悲しい場面で子供が泣いていても、子供が同じように悲しく思って泣いていると

言葉があった方が良い時も、なくて良い時もある~吃音への対応から気づいたこと~

 家族の中で「言葉にして伝えなくてもわかってくれるはず」という甘えは存在する。「わかってほしい」という気持ちもある。でも親となったからには、子供に対しては、そんな幻想はないと、私自身を戒めている。  他の人にこの考え方を押し付けたくはないけど、子供に伝わっていない時、親から直接伝えたらいいのになあと思う。背中を見せているのも必要だけど、子供は欲している。言葉を与えるのは甘やかしではない。  だけど、そうじゃない、必要ではないことだってある。 ***  息子は元々、吃音