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思い出した、1年前にXXXと思ったこと

人生のうち、メンタルがおかしくなったことが2度ある。1度目は勤め先が業界最大手に買収されたとき、2度目は1年前の9月のことです。

人間は防衛目的で過度に辛い経験はストックしておかず忘れると言います。ワタシもそうだったと思います。クリニックから出された処方薬を飲むだけだった1度目のことはあまり記憶がありません。あの期間に苦しかったことは薄ぼんやりしか覚えておらず、その周辺で起こったどうでも良いこと(例えばクリニック近くのスタバで飲んだ新メニューのこと等)の方が思い出されます。

けれど、2020年9月18日金曜日のことは、何故か事細かに覚えています。せっかくなので忘れてしまう前に記録を残しておきたいなと思います。

未曾有の事態により、就労環境が大きく変わりました。昼休憩も取れず集まるだけの対面会議を繰り返し早出残業と通常残業を経て23時頃に自宅に帰る日々が一変、在宅勤務に移行しました。けれど以前と変わりなく、途方もない残業と答えのない上申資料作りが続いていて、ただ「毎日が苦しいな」「ワタシは何をしているのかな」と誰にでもなく問うような毎日を繰り返していました。幸か不幸か担当業務に紐づくプロジェクトが立て続けに発生していたので、追い詰められてはいたものの残業ハイの状態でした。

秋の連休を翌日に控えた金曜日、年の近い芸能人が何人も自ら命を断つニュースが続いていた頃でした。始業時間も近づきいつもと同じようにパソコンを起動し当日のスケジュールを確認したところでした。理由は分かりませんがずっと続いていた残業ハイが急に消えてしまいました。途端に部屋の重力が増したかと思うほど体全体が重くなりました。「どうしたのかな」「おかしいな」と焦る一方で、鳩尾のあたりがまるで重たいを砂を注がれたかのように不愉快な圧迫感で一杯になりました。

ワタシは無断欠勤をしました。休暇連絡に抵抗があるタイプではありません。なのにあの日はチームスチャットに続々と入ってくる「業務開始します」という通知にも何も思えず、パソコンを閉じて社用携帯の電源を切りました。

財布・スマホ・ワイヤレスイヤホンをポケットに押し込んで、理由は分かりませんが江ノ島に向かいました。海が見たかったのかなと思います。電車に乗っている間は音楽を聴いていました。エレカシの初期のアルバムだったと思いますが、1枚のアルバムを繰り返し聴いていました。ポップで明るい曲は少なかったと思います。この時のワタシは自宅で感じた心身の重たさはどこかへ行っていて「つらいなあ。そうだ!死ねばいいんじゃん!」ととてもポジティブでした。仕事でいい企画を思いついた時のようなひらめきを感じて、あれは明るい殺意でした。

電車を降り、海風に少し吹かれて水族館に立ち寄りました。イルカショーを見ました。周りは家族連れが多かったです。ワタシは後方の柵にもたれ掛かり躍動するイルカを眺めました。「久しぶりにみなさんの前でショーができて私たちもこの子たちも嬉しいです!」とお姉さんは涙混じりに挨拶していました。

その後はとにかくどこかへ行きたくて、看板に促されるままに坂道や階段を登りました。途中途中に神社がありました。それらは恋愛だったり仕事運だったり美容だったりにご利益があるようでした。今日で終わる自分にはあまり関係ないかなと思いましたが、こんな気持ちでお邪魔しておいて挨拶をしないのも失礼かなと思い、イヤホンを外してお参りをしました。途中途中の神社でそれぞれ「どうも、どこそこにおりました川﨑です。」と現住所を過去形でご挨拶をしました。特に願掛けも約束事も見つけられなかったので、「どうか世界平和で」とお願いしました。

とても暑い日でした。要所要所でお茶屋が現れましたが、自動販売機でペットボトルの水を買って一気に飲みました。律儀に外さなかった不織布のマスクの内側には汗が粒立って不愉快で呼吸がしにくかったです。観光客は多かったけど、不思議と周りの人のおしゃべりする内容は耳に入らず、浜風が吹く音をよく覚えています。

「どうか世界平和で」「家族が幸せであってください」「早くこのウイルスが終息しますように」などと、賽銭を入れては頭を下げてお願いを続けました。どこだっかは忘れてましたが、海にだいぶ近い崖っぺりの神社だったと思います。もう財布には10円5円の硬貨がなく100円玉を手に取りました。悔しい思いもありましたが賽銭箱に投げました。ところが投げ入れた100円硬貨は賽銭箱の底へ落ちずに踏ん張り続けていました。指で小突いてみても貼り付けたように動くことはありませんでした。

それまで疲れることも休むこともなく階段と坂を登り続けてきましたが、どっと疲れてしまい休みたくなりました。ちょうどすぐ目の前にお茶屋があったのでアイスコーヒーを頼みました。窓から海を見下ろしました。ガムシロップをたっぷり入れて頭痛がするほど甘くなったアイスコーヒーを一口飲んだらら、何故だかふと「家に帰ろう」と思いました。

ようやくスマホの通知機能をオンにしました。同僚から何通かのメッセージが届いていました。気を遣ってくれているのでしょうか、他愛のない内容でしたが、それはそれでワタシには既読にする勇気がありませんでした。付き合いの長い友人に「無断欠勤なう」とだけ送りました。笑ったようなリアクションのスタンプが届いて少しホっとしました。時刻は15時過ぎだったと思います。奥に参道が続いているようでしたが、少し早足で家に戻ることにしました。

自宅の最寄駅から2つ離れたターミナル駅で服を買いました。欲しかった訳ではありません、文豪が次の季節の服を買ったら生きようと思ったというのを思い出したからです。ついでにお腹が空いたことに気づいてケンタッキーでバラエティーパックを買って、コンビニで2リットルサイズのペットボトルを買いました。疲れた身体にはとても重い荷物で、指にビニール袋が食い込んで痛みました。

最寄駅の改札を抜けて階段を降りているところで、マンションの管理会社から電話が入りました。留守電対応でも良かったのですが、慌てて出ると「会社の方が連絡がつかないとおっしゃっていて」とのことでした。「巻き込んでしまい申し訳ない、本日は社用携帯を持たずに過ごしてしまい連絡が取れなかったのだと思います、私より一報します。」と謝罪をして電話を切りました。すぐさま同僚から電話が入りました。勢い余って着信ボタンを押してしましたが、得体の知れない恐怖からすぐに終話ボタンを押しました。

「電車です、すいません」とメッセージを送ると「XX(上司)さんと家の前にいるよ・笑」と返信がありました。言い方は悪いですが特別親しくしている訳でもない同僚から欲しくもないメッセージが送られてきて、しかもそれは柔らかい雰囲気にしてくれようと思った気遣いと分かっていても「笑えないよ、それ」と苛立ちながら液晶画面に文句を言いました。

マンションのエントランスに着くと確かに上司と同僚がいました。どうしても会うのが怖くて遠回りして現れたワタシに少し驚いたようにしていました。同僚はワタシが上司に頭を下げている最中に帰ったようでした。ただ家が近い・私用連絡先を知っているというだけで巻き込んでしまった申し訳ないな…と同僚の背中に思いました。

指に買い物袋を食い込ませたまま、エントランスに設置された自動販売機前に立ち、上司と話をしました。「残業が多くて辛い、答えがないまま振り回される作業は苦しい、こういう組織で今後働く自信がない、産業医の面談を受けた」という着地点のない自分の思いを話しました。感情が抑えられずに嗚咽しました。こんな時でさえ誰に気を遣っているのか分かりませんが、素直な言葉でハッキリ話せずにいたので、きっと上司も「で?」と思ったことだと思います。今思えばワタシが一番苦しかったのは「あの人忙しいからとりあえず川﨑これお願いと、2~3ヶ月スパンで担当業務がコロコロ変わること。これで組織全体の最適化がなされる訳ではなく、一人当たりが担当する業務の最大値を増やして新たな仕事を受ける余白を作っていること。それを理由を与えずにやっていること」によって「何のために仕事をしているのか?」が何も分からなくなっていたことだと思います。言えませんでしたが。

上司は「辛かったら言ってくれれば良かった、川﨑が忙しい事に気づかなかった、産業医面談の後に休むなら引き継ぎをして欲しい」と返してきました。こうやって働いていたのはワタシだけではなく、過去にも同僚たちが業務改善策などを提案していたけれど後回しだったし、残業時間は一般的に見れば協定に抵触する月が続いていたし、上司自身も休日に稼働していたようだったし、ワタシが休職することで誰に業務が追加されるかと思うと気が気でなかった。なんていうかこの人に話したら何か変わるという希望などもうなかった。

話をあらかた聞いて上司は帰っていきました。部屋に戻るのも嫌で、どこかに行きたくて。買い物袋を自室の玄関において、当てもなく近所を歩きました。ずっと外していたイヤホンを耳に押し込みできるだけ遮音して音量を上げてサブスクを起動しました。どこをどう操作したのか覚えていませんがダウンロードした覚えもないTHEALFEEの「友よ人生を語る前に」が流れてきました。数年ファンを離れていたし馴染みのない曲だったけれど、久しぶりに聞いたハーモニーがあまりにもきれいで泣きました。涙はあふれるとかこぼれるとか言いますが、噴射するんだなと思いました。メガネのレンズに涙がピュンピュン飛びました。鼻の奥が塩辛くなり・ギュッと圧迫されたように熱くなったまま、スーパーの駐車場近くの柵にもたれてしばらく動けませんでした。周りの人たちは気にした様子はあるものの無視してくれていてありがたかった。東京は人との距離感がありがたいなと思いました。

それからのことはあまり覚えておらず、秋の連休が終わり今までと変わらずに働いたように思います。後日部長と面談があり、部長からも「早く相談して欲しかった、忙しいことに気づかなかった・嫌がっていると思わなかった、欠勤するならするで連絡だけすればよかったのではないか」とお話をいただいて終わりました。

後日、当たり障りないメッセージをくれた同僚とランチをしながら話を聞くと、上司は昼過ぎにワタシが出勤していないことに気がついたのだそうです。14時過ぎの定例会議に出席しておらず、オフライン表示、誰が電話しても社用携帯には出ない。そこで欠勤と気づいたそうです。気づいてからは誰が訪問するか?俺か?私か?いやいや…というチャットの応酬だったそうです。私用携帯に連絡が来なかったのは、システムエラーで買収合併組の緊急連絡先が移管できていなかったからだそうです。

部長も上司もこの4月で異動されました(他にも休職や出勤が難しい職員が多くいたし、そういった職員に対するケアが杜撰だったことは周知の事実だったからかもしれない、フリースペースで大声を出して休職者に電話をしていたこと、XXの診断書はこの袖机にあると部下に話していたことなどは忘れない)

ワタシはといえば、そうやって管理職が変わってもまだ同じ部署にいて相変わらず答えのない上申資料を作っている。あの時知った、自分に向けた明るい殺意は今どこにあるか分からない。


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