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ドラマ『二十五、二十一』---あの夏があったから、生きていける。

韓国ドラマウォッチャーの筆者は、2月から実に多忙な生活を強いられてきた。
パク・ミニョン(『キム秘書~』)とソン・ガン(『わかっていても』『ナビレラ』)のW主演ラブストーリー『気象庁の人々』
ソン・イェジンの『愛の不時着』以来初となる主演作『三十九歳』
キム・ヘス(『シグナル』『ハイエナ』)の硬派な裁判もの『未成年裁判』
などなどなど…超話題作の配信が一気にこの時期に始まったからである。
結局途中まで見ていた『今、私たちの学校は…』を見終わらないまま2月に突入したため、僕の中ではあいつらはまだゾンビのうようよする学校にいる。いてはる。

さて、そんな話題作を並行して観る中で「あれ、ちょっと一個だけレベルちがくね…??」と頭ひとつ抜けていることに気づき、いつのまにか他を放り出してそればっかり観ちゃってた一本があった。

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ナム・ジュヒョク(『スタートアップ』)、キム・テリ(『お嬢さん』)主演の『二十五、二十一』。1998年に出会った女子高生と大学生がお互いを支え合い、励まし合い、成長した先に愛を育み、そして…という話。
舞台が90年代の韓国と言うことで、パソコン通信のチャットが登場したり、やたらキャピキャピした主人公のキャラ造形もあいまって名作ドラマ『応答せよ』シリーズを思わせる。
基本的には『応答せよ』同様わりと王道の青春ラブコメなのだが、結末がまったく王道ではなく、賛否両論を巻き起こしているらしい。Googleの検索候補に「二十五二十一 結末 がっかり」と出るくらいだ。

筆者はどちらなのかというと、圧倒的"賛"である。物凄いドラマだったと思う。が、もちろんモヤモヤとはしたし今もしている。この気持ちが何なのか整理するために、『二十五、二十一』とはどんな話だったのかを自分なりに解釈していこうと思う。



※以下、『二十五、二十一』に関するネタバレをガンガンします。これから楽しみに観る予定の方は、最高なので観てからお戻りください!



まずは結末を整理

タイトルにあるように25歳と21歳まで共に人生を歩み、愛を育んだイジン(ナム・ジュヒョク)とヒド(キム・テリ)。
しかし2002年、ふたりの人生にはすれ違いができ、別れることとなってしまう。その後二人は恐らく直接会うことはなく、ヒドは別の人と結婚、子をもうける。イジンはおそらくまだTVキャスター業か記者を続けている。


何がすごかったのか

やっぱり物語中盤までの王道の描き方とその外し方、の一点につきる。
この「王道外し=イジンとヒドの別れ」がある種、制作陣の意地悪のようにとらえられ、「がっかり」につながってしまうのかもしれないが、決して奇をてらった「王道を外すための外し」ではないのがすごいところだった。じゃあ何のための「王道外し」だったかというと、これは後に述べるが、あるメッセージを視聴者に伝えるためだったと思う。

まるで少女マンガのように出会い、惹かれ合っていった二人。ひたすらキュンキュンしたり切なくなったりの恋愛描写が中盤、いや最終回直前まで続く。普通のドラマであればこの二人は"色々あったけど乗り越えて幸せになりました"が王道である。特に『二十五、二十一』のようなテイストのラブコメであれば当然の結末といえる。
…でも世の中ってそうはいかない。"色々あったからお別れしました"が現実なのである。

この物語においては、韓国ドラマの王道である「実は過去の隠れた因縁があって…」的な展開は主人公カップルではなく、ヒドとユリムの友情に適用されている。また、多くの視聴者が期待する「初恋を貫き幸せになる2人」は同じくユリムとジウンの関係として描かれている。
そしてやっぱり、ヒドとイジンの残酷なまでに現実的な結末を見終わった後、この2つの関係はどうしたってマンガ的に思える。(めちゃめちゃ愛おしいけどね!)
遠くロシアに行っていつ帰れるかもわからないユリムを想い続けた"イケメン"ことジウン(モテるのにだよ!20歳なのにだよ!)なんて、一途かつできた人間すぎて、もはやほぼ異常者の領域である。
まあ要は「マンガかよ!こんなやついねーよ!」なのだ。(ほんとに愛おしいけどね!)

現実の男性はあんなイケメンではない。顔は置いといて、ペク・イジンのように優柔不断で自分のことにいっぱいいっぱいになってしまう人間ばかりだ。

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顔は置いといて。


5人組に起きた3つの奇跡

ヒド×ユリム、ユリム×イジン、あの夏の経験は少なくとも2つの奇跡を起こした。そんなにいっぱい起こらないから奇跡というわけで、ヒドとイジンは永遠には続かなかった。
だが2022年の現在を生きるヒドに3つ目の奇跡が起きる。それは日記帳がヒドの元に帰ってきたことだ。途中、ヒドの母が「久々にイジンに会った」と言ったときヒドは微妙な表情を見せるが、あれはまだ気持ちが残ってるとかではなく、言いたいことを言えなかった別れ方に苦い後悔が残っていたからなんだろう。日記帳によって最後に残った後悔も消え、美しい思い出は円を閉じることとなる。
ちなみに父ちゃんの葬式で"おれ達の姉御"ことスンワンとイジン弟が再会するのが4つ目といえば4つ目かもしれないが…(余談だが、スンワンがTV局のスタッフになってるのも『応答せよ1998』へのオマージュだろうか)


ドラマが伝えているメッセージ①

「思い通りにいかないことが多いけど、たったひと夏の思い出だけで人生は輝く」

これを伝えるための「王道外し」結末だったと僕は思う。初恋を貫いて二人が幸せに暮らしていたら、それはおとぎ話に近い「ヒドとイジンの物語」でしかない。
でも2人が別れたことで『二十五、二十一』は誰にでもある「わたしの物語」になった。現実世界でずっと輝き続けることは難しい。青春時代は必ず終わってしまう。でも美しい思い出があるからこそ人は生きていけるのだ。だからあの結末に励まされ胸を打たれるし、同時に身に覚え(「思い通りにいかないこと」)がありすぎて苦しくなるのだ。


ドラマが伝えているメッセージ②

「あなたの物語を生きよ」

これは視聴者代表ともいうべきナイスリアクションを見せてきたヒドの娘・ミンチェが割と直接的に言う言葉だ。「日記の続きはもう見ない。私は私の、もっと素敵な物語を生きる」と。

メッセージ①だけだと、ともするとずっと過去の思い出にしがみついて生きるみたいな感じになっちゃいそうだけど、このミンチェのセリフがあることでドラマ全体のメッセージがより明確になった。

やっぱり『二十五、二十一』は「どこか遠いところで起きたおとぎ話」ではなく、どうしようもなく残酷で愛おしい「私たちの現実の話」なのだ。そして現実を生きる上で、過去の輝かしい思い出と同じように大事なのが、現在そして未来だということを伝えている。(と個人的には思いました!)

ちなみに、5人組の青春時代を描いているにも関わらず、ヒド以外の4人の現在の姿は明らかにされていない。
ここも一部で不評を買った原因かもしれないが、(確かに筆者も現在のユリムさんのご尊顔を見たかった。絶対美しいから…)個人的にはオシャレな余白を感じさせる加点ポイントだととらえている。
先に"奇跡"として挙げたユリムとジウンだって実はもう別れてるかもしれないのだ。それが現実だ。

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5人組にめちゃくちゃ愛着がわいていたのでほんとに最終回を迎えるのが嫌だったが、最終回のこのミンチェの言葉一発でいわゆる「ロス」というのがなくなってしまった。あいつらはどこかで現実を生きてるから、自分も自分の物語を生きなきゃな、と思わされた。


ということで、何となくわかってたけど最後の最後までヒドとイジンが結ばれるかも、いや何とか結ばれていて欲しい…という大方の希望を裏切った結果(もちろん僕も結ばれているならそれはそれで号泣してました)となったが、視聴者の心に深い余韻を残すラストを迎えた『二十五、二十一』。
見終わった熱のまま書いたので、散漫で僕が思ったことを伝えきれているかは分からないが、同じくあのラストにやられてしまった同志たちと感覚を共有できると幸いである。


ちなみに筆者は中高6年間男子校のフェンシング部だったので、そういう意味でもこのドラマに熱狂した。
他校の男女と合同でいった合宿の宿舎で、普段縁のない女子達にセンスを見せつけようとSlipKnotの『People=Shit』という曲を大音量でかけ、普通にキモがられ普通に先生に正座させられた思い出がある。

あの夏は確かに僕らのものだった。アンニョン。

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