見出し画像

THIS IS MY TRUTH TELL ME YOURS

先日、マニックストリートプリーチャーズの来日公演を観に行った。

マニックストリートプリーチャーズ、通称マニックスはイギリス・ウェールズ出身のロックバンドで、日本のお茶の間的な知名度はないかもしれないが、本国ではスタジアム級の国民的なバンドだし、先日の来日公演も熱気ムンムンのコアなお客さんでいっぱいだった。

音楽性的には決して最先端ではない。歌詞は政治的でナイーブ。日本ではたまに愛情と揶揄をこめて「演歌」といわれたりもする。

ダサいけどアツい。マニックスファンは彼らのそんなところに惚れている。

今回、別にバンドの紹介をする記事ではないので詳細は省略。気になる方はYouTubeでもなんでも。初心者の貴女へのオススメは「Everything Must Go」というアルバムだ。


僕の人生はこのマニックスというバンドによって変えられた。

出会いは中学3年生のころ。当時大好きだったイエローモンキーの特集番組を見ていたら、吉井和哉さんが好きなバンドとしてマニックスの名を挙げていた。鮮烈な青色が印象的なMVと美しいメロディーに一瞬で魅了され、録画していたその番組のその部分だけを何度も繰り返し見た。

翌月、お小遣い3000円を手に入れた僕は駅前の新星堂に行き、「Manic」も「Preacher」も英語の授業で習ってなかったけど、完全に暗記したバンド名を店員さんに告げ、無事にアルバム「THIS IS MY TRUTH TELL ME YOURS」を手に入れた。お小遣いは全て失った。

僕が知ったころのマニックスは、野暮ったいオジサンが3人でやっているバンドだったが、色々調べると元々は4人組のパンクバンドで、歌詞を書いていたギタリスト「リッチー」が色々な問題行動(記者の前で自分の腕を切り刻む、中世的なイケメンなのに突然坊主頭にしてパジャマでインタビューをうける、など)を起こし、その後失踪。未だに見つかっていないということが分かった。

当時中3の童貞なので無理もないが、その破天荒でパンクな生き方を「超かっけ~」と思ってしまい、リッチーが記者の前で腕を切り刻んでいる写真をクリアファイルにいれて、学校のプリントと共に保管したりしていた。スポーツ刈りのくせに。思えばこの辺から友達の数が5分の1くらいになっていった気がする。


時が流れ高校2年の冬。多くの高校生が現実を突きつけられ、大学受験の荒波へ漕ぎ出していく時期。

僕は職員室に呼び出され、担任にこう告げられた。

「お前みたいなナメてるやつには推薦はやらんから。国立コースいけ」

Oh...Shit。僕の通う学校は早稲田大学の付属校で、6年間男子校を我慢したのは遊んでても早稲田に行けると聞いたからだ。しかし事実は違った。推薦でいけるのは4割程度で、他はもっと上の国立大学(東大とか一橋とか)を目指すハードコアな進学校だったのだ。

僕は本当に人生を真剣に考えないアホだったので、そんなこと何も気にせず学校の平常点はガタガタ。確かに推薦をもらえるレベルの成績ではなかった。ただその直前に受けた模試の成績が異常に良かった(多分鉛筆倒しの運が良かった)ので、その姿勢が担任からすると「ナメてる」だったというわけだ。

正直マジで大学のことなんか考えていなかったので、その事実を知って愕然としたが、すぐに「じゃあいっちょ国立いって親に楽させてやりまっか。先生も進学実績欲しいっしょ?」と切り替えて大学受験への道を歩みだした。本当に、今17歳の自分に会ったら絞め殺してやりたい。


それなりに勉強を頑張って、受験における大きな山、夏を越えた頃だった。

僕のもとに一つのニュースが飛び込んできた。

「マニックス、来日決定!」

そのころのマニックスは、新作が微妙にコケてベスト盤を出し、「ベストの後の活動は未定だ」なんてスネてたころだった。(外国のバンドはよくそういうこと言うよね)

この来日を逃したら一生見られないかもしれない…。スケジュールに来日公演の日程を書き込もうとして愕然とした。センター試験当日(二次入試だったかも)だったのだ。

Oh...Shit。とは思わなかった。人生において受験とライブ、どっちが大事か問われたこの場面で、僕は迷わずにライブを選択した。やっぱり脳が腐っていたのだろう。というわけで僕は大きな方向転換を決めた。

夏休み明け、職員室で担任にこんなことを言った。

「先生、僕はやっぱりどうしても早稲田に行きたいんです。うちは祖父の代から早稲田で、家族も本当は早稲田に行ってほしいみたいなんです!もちろんダメだったら一般受験も考えるので、二学期の成績と態度で、推薦資格の件を考えていただけないでしょうか!!」

気分はスラムダンク三井寿である。ちなみに父は確かに早大卒だがおじいちゃんは高卒だ。

やはり人間本気になると思いが伝わるものだ。先生も割と快く了承してくれた気がする。(多分夏の間の模試とかが良くなくて「あ、こいつ受験無理だわ」と思ったんでしょうね)


まあそんなこんなで色々あって、結果僕はすべりこみで推薦入学のキップを手に入れた。大逆転だ。もちろんもう受験するつもりはさらさらなかったので、その間学校のテスト勉強だけに注力し、受験勉強は全くしていなかった。

合格のキップが届いたとき、親と抱き合って喜んだが、やったー大学にいける!ではなく、やったーライブにいける!と思っていた。


そして忘れもしない17歳の冬。東京ベイNKホール。マニックストリートプリーチャーズを初めて生で見た日。

僕は1曲目でおしっこを漏らした。


よくライブで「失神者続出!」みたいな言い方するでしょ。

失神じゃなくて失禁したのだ。


今思い返しても、どんな体の仕組みだったのかわからない。犬でいうウレションみたいなもんだったのか。とにかく彼らがステージ上に出てきて1曲目「Motorcycle Emptiness (邦題:享楽都市の孤独)」のイントロを弾き始めたときにジョロ~~っといってしまった。

まずビックリしたし、周りにバレないようにしなきゃだし、色々気にしてると今度は気持ち悪くなってきた。

人生を賭けて臨んだその日のライブの大半を、後ろの方でできるだけ人から離れてうずくまりながら観たのだ。「享楽都市の孤独」とはこのことか、と思いながら…。湿ったズボンの不快感と、脚のかゆみと闘いながら…。


今思うと、親や教師を見下し嘘をつき、ただ自分のことしか考えていなかった、いや自分の人生すら本気で考えようとせず、ライブを言い訳に辛い受験勉強から逃げた僕への報いだったのかもしれない。「お前の好きにはさせねえよ」という、神様からのメッセージ。

ただ神様、失禁以外で…何かなかったですかね…?


マニックスはあのライブ以来一度も解散・活動休止をせず、わりと結構な頻度で来日公演を行っている。

僕も彼らのライブを見て、尿ではなく涙を流すようになった。

人生は選択で変わる、ただ、どんな道を選んだとしても続いていく、というお話。

カワグチへのサポートはフォークデュオHONEBONEの活動費に使わせていただきます。