小さい大勢と大きい1
1匹のスズメバチが多くのミツバチに覆われてその熱で死んでいく様子を小さい時、何かの番組で見た。それが衝撃的で今でも覚えている。
小さなミツバチでも、大勢になれば大きなスズメバチをやっつけることができるという旨をその番組のナレーターは言っていた。自分はなぜかそれが悲しかった。悲しくて悲しくて仕方がなかった。
ここからは完全にミツバチがスズメバチを倒す事情を抜きにして想像をしていく。
ミツバチ→小さいもの
スズメバチ→大きいもの と置き換えて人間界を意識しながら膨らませる。
ミツバチの味方でもスズメバチの味方でもない。
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小ささがあっても、弱さがあっても、不完全さがあっても一致団結することでとんでもなく大きなものを倒すことができることがある。少しずつ少しずつダメージを与えれば倒れることもある。一撃でなくてよい。少しずつ少しずつ体力も消耗させていく。みんな同じ行動をとればそれが正しさとなるだろう。そしてコツを掴んでいく。目の前の景色にも慣れてくる。加速する。
じゃあ、ここでもっと想像を膨らませてみよう。
1,ここでいう「大きいもの」は果たして悪の場合しかないのだろうか。
秀でているところがあるものを悪、またはそれに近いものと見てしまうことがある。これはいつもテスト勉強をちょろっとしかしない生徒が100点を取るのが嫌がれるとか、お金持ちが嫌われることがあるとかに似ている気がする。人間はどうしても弱い方に同情してしまう。今回もミツバチに同情してしまうだろう。
ただ、自分は忘れないでいたい。小さいものが生きることを願っているように大きいものにも生きる権利があることを。大きいものはきっと大きくなるために想像がつかないほどの過程を経てきたことも。
2、「大きいもの」は強いのか。
大きく見えるものが実は繊細であるということが結構ある。弱さと無縁に見えて、常に弱さを意識して生きているからこそ強く見えるということがある。何度も覚悟を決めて乗り越えてきたから強く見えることもある。
強いものには団結してかかっていくことを人は選ぶだろう。それが強いものではなくて、「強く見えるもの」だった時自分は気づけるだろうか。自分に素直な判断をできるだろうか。恐怖心、劣等感、を織り交ぜてする攻撃なら、スッキリするための攻撃ならもっと違う方法がいい。
一概に言えない。
だからこそ、個が大事。
それぞれが違和感に正直であれ。