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パワハラ。

4/25、今日もまいどゴキゲンです。人の「ヨロコビ」に焦点を当てて人をゴキゲンにする活動をしてます。下のリンクにヨロコビって何のことか書いてます。

心と体の健康を喜び、つながりの安心感を悦び、達成や成功、趣味などへの没頭を歓びと名付けてます。そう考えて対策取っていくとゴキゲンになりやすからそうしてます。今日の記事も良かったと思ったら背伸び3回をよろしくお願いします。背伸び3回がしんどい人は50mダッシュ100本でもオケです。


男、20代です。派遣で工場で働いているんですが、設備(別の部署の人)の人に「ばかやろう!!」と罵倒されました、これってパワハラ申請できますか? 流れとしましては、自分がハンドリフトで運んできたものを置きたかったんですが、丁度そこに設備の人がおり、「すみませんぐらい言えよ、馬鹿野郎!!」と言われました。 皆さんどう思いますか?


という質問がありました。これに応えていきます。応えるというか「こうすればいいのでは?」というのを書いていきますね。


えーと、これははっきり言ってこの文章からは一切何も分かりません笑 1番分からないことは「程度」です。罵倒と書いてますが、この人にとっての罵倒のレベルとボクの思う罵倒のレベルが違うからです。まあそんなこと言ったら「パワハラの定義」というものが確立されていないので何も言えなくなるんですが、文章だけを見るとそうせざるを得ません。だからこの文章については所感をつらつらと。


相手の気持ちをちゃんと考えるトレーニングと、心を強く(強くというかしなやかに)するトレーニングが普段から必要である。とマジで思いました。


まずは前者のことから。日々人と関わることはあるのに、目の前のことがたくさんありすぎて、人の気持ちや背景を考える時間を蔑ろにします。それは自分のその場の感情に支配されるということなので思ってもないことを言ったり態度で表したりしてしまいます。もしくは普段から「思っていること」がとてもゴキゲンになれないことというものだったりするんですよね。


ミスした。だから怒鳴った。でも、このくらいのことで怒っちゃいけなかったな。


ということか、


ミスした。あれだけミスするなっていつも言ってるのに。マジ許さん。と普段から思っているとかですね。


前者は自分の心をコントロール出来ていない状態。だからその場で選んでしまったことを後悔することが多くなります。後者普段から思っていることがゴキゲンからはずれている状態です。完璧を目指すのはいいけれど、完璧であるべきである、と思うのは間違ってますからね。だってミスは誰にでもあるものだから。


論理的に考えると、①ミスをしても感情的にならず建設的なことが言える人になった方が自分にとっても相手にとってもプラスになることだし、②ミスをしない方法を考えてアドバイスする、というのがよりゴキゲンな道につながりやすいんですよね。そういうことを学べる機会があれば全体に未来は変わっていきます。


もう一つは心を鍛えるトレーニングの必要性です。一般的には些細なことでもすごく心が傷つけられる人がいますが、これは今までの知識と経験(ちょっと遺伝)でそういう思考が出来上がってるわけなんです。特に小さい頃の幼児決定という自分なりの考え方を確立するこの期間に、その思考の癖が作られます。でも、小さい頃だけでなく、今でも多少なりとは知識がつき経験を積んでます。ならば心のことを勉強し経験を積んでいけば今とはまた違った自分が形成されていくので、多少のことなら傷つかないようになっていきます。もちろん個人差はありますけどね。


話を質問に戻します。
罵倒されるということはたしかに辛いです。でもまずはその罵倒レベルを客観的に見てパワハラかどうかを判断する必要があります。手を出す、突き飛ばすのであれば充分対象だと思いますが、「言われた」だけなら精査する必要があります。正直、何でもかんでもパワハラ認定すると社会は間違いなくおかしな方向に行きます。パワハラに気を取られるあまり、いい関係性を保ちたいと思っても近寄ることが出来ず、希薄なやりとりしかできなくなります。それはボクのいう多幸感の一つ「悦び」が感じることが少なくなってしまいます。


問題がどこにあるかを冷静に確かめることです。


問題は①環境②自分③相手にあります。これを詳しく書くと長すぎるので割愛しますが、この見極めが大事です。自分の捉え方を改善した方が明らかに良い場合があります。そういう時でも責任を外部に押し付けるとゴキゲンはやってくることはありません。


今回伝えたかったことの1番は、感情や気持ちについて少しでもいいから理解していこうってことでした。


では今日も読んでくれてありがとう。






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