坂道の先に見えた景色:伊豆稲取への100Kmライドの旅
小田原、真鶴、湯河原を超え、ついに熱海へと到着。自転車でここまで来たのは初めてだが、予想以上に順調に進んできた。家を出発してから約50km。公園で少し休憩をとり、次の道のりに備える。
当初はここから同じ道を引き返し、100kmライドを達成する予定だった。しかし、思った以上に気分が清々しく、身体もまだ余裕がある。何よりも、自転車に乗って出会う初めての景色に興奮している。
もっと遠くへ行ってみたいという欲求が湧いてきた。幸いにも輪行袋を持参しているので、帰りは電車で自転車を運べばいい。このまま行けるところまで行ってしまおう――公園で休みながら、そんな思いが心をよぎった。まだ、この先に待ち受ける激しいアップダウンを知らぬままに。
坂、坂、坂。アップダウンを繰り返し、上りと下りが続く。伊東までは車で訪れたことがあったが、その先は未知の道。どれほど上りが続くのかもわからず、不安と期待が入り混じる。上り坂では、普段街中で使わないギアに切り替え、こんな時にこそ多段ギアのありがたさを痛感する。
今回のライドに出る前に、自転車屋さんで整備をお願いした。目的はスプロケットの交換だ。スプロケットは自転車の後ろ部分についている複数のギアを組み合わせた部品だ。ここを切り替えることで自転車を漕ぐ力が軽くなったり、重くなったりする。
以前使っていたスプロケットは、いつも同じギアばかり使っていたせいで、歯の角がすり減ってしまっていた。それに気づかず、チェーンの交換だけをお願いしたところ、スプロケットの交換も勧められたのだ。
スプロケットを徹底的に調べた結果、最小のギアの歯数を減らすことに決めた。反対に、最も大きなギアはこれまでより歯数が多いものに変更。ただし、今回の目的は最小ギアの歯数を減らすことでスピードを上げやすくすることだった。
そのとき、自転車屋さんには「大きなギアに助けられることがあるかもしれないですね」と言われた。言葉の意味はわかっても、普段大きめのギアを使うことはほとんどない。「本当にそんなことあるかな」と半信半疑で話を聞いていた。
しかし、今になってその言葉が何度も頭の中で繰り返される。あぁ、何もわかっていなかったし、今は本当に大きなギアに助けられている。目の前に広がるのは、これまで登ったことのない坂道がひたすら続いている。
ギアを次々と切り替えながら、坂道に合ったギアを探す。足にかかる負荷が増し、息が苦しくなる。それでもギアを変えて、必死に登る。
少しずつ坂道の斜度に合ったギアを見つけられるようになり、ペダルがスムーズに回る感覚がわかってくる。これだ、という感覚にハマり、ぐんぐんと坂を登っていく。そして、登りきれば待っているのは下り坂。ギアを重くして、スピードを上げて一気に駆け下りる。この瞬間の爽快感がたまらない。
ギアの切り替えには常に不安がつきまとう。坂道に合わせて最小のギアから徐々に大きめのギアへと変えていくが、ギアが内側に移動するたびに、使えるギアの数がどんどん少なくなっていく。「もうこれ以上、切り替えられない!坂道、終わってくれ!」と心の中で何度も叫ぶ。しかし、坂はまだ続く。限界が近づく中で、ひたすら登り続けるしかない状況に緊張が走る。
そして、ついに坂道を登りきる。頂上に到達したという安心感が全身を包み、同時に目の前には待ち望んだ下り坂が広がる。風を切って下る爽快感に、さっきまでの苦しさが嘘のように消えていく。上り坂のしんどさを忘れ、ただ心地よさに浸る。しかし、その平穏は次の上り坂が見えてくるまでの束の間のものだ。
人生の中で、こんなにも身体を酷使したのは一体いつ以来だろうか?記憶を遡っても、その答えは見つからない。何をしているんだろうと自問自答しながらも、身体に感じる重みや疲労が、どこか心地よく感じられる。
出発から約80km。伊東を抜け、川奈から富戸へと進み、その日のライドで最も高い地点に到達した。
「疲れた!」と思わず声に出し、いったん休むことにする。バス停の近くに腰を下ろし、日陰で水分補給。持ってきたポカリを一口飲み、ここまでの道のりを振り返ると、達成感がこみ上げてくる。頑張った自分がなんとなく誇らしく感じ、普段は味わわない感情に自然と笑みが溢れる。ふとサングラスを外すと、空の青さが一層鮮やかに感じられ、それがまた嬉しくてたまらない。
地図を開いて、自分がこれほど遠くまで来たことに改めて気づく。しかし、まだ80km。今回の目的は100kmライドを達成すること。残りはあと20kmだ。
この時点では、まだ自分が到達する最高地点が更新されることを知らない。道は富戸を抜け、さらに伊豆熱川へと続き、ついに今回の目的地である伊豆稲取に向かって走る。
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