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桜と紅葉の山で夫は

夫と知り合って半年ほど経った秋、次に会うときどこか行きたいところはあるかという毎度の質問を受け、私の頭に浮かんだのは、テレビで紹介されていた小原村のことだった。

愛知県豊田市の山間部に小原(おばら)という所があり、四季桜という春と秋に咲く桜と、紅葉したもみじが同時に見られる、という季節の話題だった。

それを言ってみると夫も知っていて、「渋滞しそうだなあ」とやや不安そうだったけど、他にいい場所を思いつかなかったので小原に行くことになった。

当日、車で小原に向かうと、近づくにつれて案の定渋滞が始まり、私はあんまり渋滞にストレスを感じないほうだけど、夫はけっこう胃にきているように見受けられ、こういうことか、失敗したかな、と私は少し後悔した。

しかし現地に到着すると夫はケロッと機嫌が良くなり、カメラを持って(あの頃まだスマホではなかったから携帯の写真の画質はそれほど良くなく、いい写真を撮りたければカメラが必要だった)、あちこちいいアングルを探し始めた。
「あっちから見てみる」
と斜面を登っていった夫を私は下の方で花を見て待っていた。そして夫に名前を呼ばれて振り向くと、夫はうれしそうに駆け下りてくるところだった。そして二、三歩おりかけた時、夫はつまづき、勢いよく前に跳んだ。

夫がとんでいく先には男性がいた。その人はハッと気づくと、よけるどころか腕を広げて腰を落とし受け止める体勢に入った。一瞬のことで私は見ているしかなかった。二人はまるでラグビーのタックルのようにドーンと正面からぶつかり、地面に転がった。

転んだ二人が起き上がって、すみません、大丈夫ですか、等々言い合っているところへ、私より近くにいたその男性の妻らしき人が、
「お父さんでも止めれんかった?」
と笑いながら歩み寄って行った。そのご夫妻は、いきなりぶつかられて転ばされたのに笑って許してくれただけでなく、
「止めれなくてごめんなさいね。お怪我はないですか?」
「斜面の上からだったからちょっと無理だったな」
と転倒を阻止できなかったことを二人で残念がっていた。いい人にぶつかってよかった。ぶつかったのは良くないけど、いい人で良かった。

ところでこの時のことは私も夫も覚えているので、何年かごとに話題になるけど、細部で話が食い違う。私が、
「お父さんが転んでゴロゴロって転がったよね」
と言うと夫は、
「転んだのは確かだけど転がってはいない」
と言う。どちらの記憶が正しいのかもはや確かめようもないけど、夫の中では普通につまづいて人にぶつかっただけになる方向で、私の中ではマンガのように夫が斜面をゴロゴロゴロゴローと転がる方向で、それぞれ変容していっている。私の記憶の夫の回転数は思い出すたびに増加していく。
現在、夫のほうはテキスト形式で記憶する人なので単に、転んで人にぶつかった、となり、私のほうは映像で記憶するので、つまづいた夫が勢いよく3回転したあとタックルする様子がマンガを実写化したような動画で記憶されている。たぶん数年したら4回転になると思う。