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プライドってなんだろうねって話

別に答えとかはないです。よく、「プライドを高く持つとう」とか、「プライドが傷ついた」とかいうじゃないですか。あれ、なんなんですかね?

いろんな意味で使われてる。

意地としてのプライド
自尊心としてのプライド
人の生き方やポリシーを決めるプライド
誰かの傲りの高さを揶揄した「あいつはプライドが高いからな」のプライド
「プライドが傷ついた」の場合はその人の過去や、やってきた事を貶められている
ステータスとしてのプライドもあると思います。今の自分のレベルやステータスに合わないという理由で、自分にそぐわないと思ったものがやってくると不機嫌になったりします。
「ふにー」って言葉はまだ使われているのでしょうか?若い女性が、その、年上の男性の方に、なんというか、おごってもらったり?買ってもうらとき、それが自分のステータスに合わないものだと、「ふにー」と言ってアピールするんだとか。それもプライドとは関係ないのかな。「袖触り合うも他生のエン」とか言わないでくださいね。やっぱちょっと違う気がしますね。
他にもありますか?

ただ思うに、人間の中には「プライド」という感情があるわけではないのかも知れません。実際はもっと複雑で、人の気持ちに関わる出来事や記憶を入れて、保管しておく箱の名前の1つが、「プライド」なのではないか。

私自身の話ですが、自分が頑張ったなーと思うことに関する記憶はあります。そういう記憶は、その記憶と似たような状況の時に引き出されて、困難に立ち向かう勇気となって支えてくれることもあります。逆に、まぐれでうまくいった記憶があって、なめてかかって失敗したこともありますね。あるいは、周りの人に褒められて天狗になって失敗するケースも。人に言われた言葉が自信になることもあります。むしろ、人に褒められないと自信に繋がらない人もいるんでしょうか?
その記憶の箱、今命名しました。「人生うまくいった、俺スゲーBOX」

そういう、自分を成長させてくれる「プライド」ならどんどん持つべきですよね。

一方で、自分を蝕むやばいプライドの持ち方ってのもあると思います。中島敦の山月記は有名ですよね。役人になる道を捨てて詩人になろうとした人が売れなくて、人と関わりがなくなってきてついには虎になっちゃう話です。私が子供のころ、あの話が国語の教科書に出てきて以来、親にはいつも「先生に習わないで自分の道を進んでたら虎になっちゃうぞー」って脅されるようになってしまいました。僕としては誰かに指図されたり、自由にやれないのは嫌なんで、反発してました。習うのが嫌いなわけではなく、自由がなくなるのはいやでした。そういう意味で、山月記にはちょっと迷惑だなって思ってた記憶があります。(あ、表紙の絵はヒョウですので気にしないでください。)
ですが、大きくなってから改めて読んでみると面白い作品でした。そんな簡単な話ではなかった。

で、あなたや私の中にある「人生うまくいった俺スゲーBOX」についてなんですが、これ本当に必要なんでしょうか?

先程述べましたね。困難に立ち向かう勇気を貰える、と。逆に考えると、(私は逆に考えるのを趣味としておりまして)勇気が必要だってことは、それだけ怖いってことです。恐れているんです。いろいろなことを。だからカラ元気でもこじつけでもなんでも利用して勇気を出さなきゃいけない。プライドを高く持たなきゃいけないのはそれくらい恐怖や必要とする覚悟が大きいからです。「臆病だからプライドなんかにこだわるんでしょ」ってのも1つの考え方ですが、臆病者で片付けるのは気の毒なので、もっと掘り下げてみます。

人間って臆病です。面倒くさいし、怖い。だから色々な理由をつけて、人生においてめんどくさいことや、苦手意識を感じたことを遠ざけてしまいます。ましてや、トラウマや嫌な記憶なんかがあったりすると余計に、遠ざけたくなってしまいます。なんとか理由を探してやらない、と決めてしまう。失敗した記憶、人から言われて凹んだ記憶、そういうものが、自己評価を低くしてしまいます。低い自己評価では意欲も沸きにくい。困難や成長のチャンスを遠ざける理由を捏造する記憶の箱もきっとありますよね。今命名します。「人生ダメだ俺なんてBOX」

これは厄介ですね。この箱からはろくなものが生まれません。ひがみ、やっかみ、つらみ、無気力、倦怠感。

ちょっと「人生ダメだ俺なんてBOX」を開けてみましょう。大丈夫です。あなたのではなく、私の記憶です。えーと、書いてあるのは、ひどいですね。「辛かった。」「傷ついた。」「もうダメだ。」「失敗した。」

理由なんて書いてないし、学ぶべきことも何もないのです。昔の自分よ、失敗した理由とか反省点くらい書いといてくれてもいいだろ。あと、誰かに言われた言葉や、説教の内容がそのまま書いてあったりします。ただ「傷ついた、僕はダメだ」と書いてあるだけ。注釈も何もないから、その言葉をどうやって解釈したらいいのかさえわからない。今後に活かすこともできない。それはただ心の中に刺さってるだけなんです。

では、「人生ダメだ、俺なんてBOX」は不要だから、嫌な記憶と一緒に捨ててしまいましょうか?そんなこと出来たらいいけど、たぶんだめな気がします。生き物は生きている限りは痛みを感じますが、その痛みは、自分を守ってくれます。火にあたり続けているのに気づかなかったら怪我してしまいます。

だからこうしましょうか。ゴミとそうでないものを分けるように、箱を2つか3つ、用意するんです。「人生の教訓BOX」、「辛かったのによく耐えたねBOX」「無念じゃ〜BOX」。辛かったのによく耐えたね、と自分に言ってやる事で、自信を奪っていた記憶が少しは、違ったものになるのではありませんか。そうやって分類する事で、「人生ダメだ、俺なんて」という、やらない理由生成マシンの中はクリアに、シンプルになりますね。

いいえ?やらない理由生成マシンは衰えてなんかいませんよ。今もガンガン動き続けています。その動力源、エネルギーたるや、凄まじい。あとはこれしかのこらないでしょ。

シンプルに面倒くさい!!!

ほんとにこれには困ってます。。

取り止めのない話、最後までありがとうございました。

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