ショート怪談/お望みのメニュー

日暮れ時、中年にさしかかった男がバルコニーでくつろいでいた。すると突然、夕陽の中に人のような形のものが出現した。それは魔人だった。びっくりする男に、魔人は陽気に話しかけた。

「やあ、人間さん。心地の良い午後ですね!これから夕食の時間ですか?」

男は驚きながらも応えた。

「ええ、まあ。あなたは?その…」

どう見ても人間ではなさそうな、夕暮れの雲のような色をした巨人はにこやかに喋りだす。

「実はね、あなたにお願いがありまして。私の道具をもらってくれませんか?魔法の皿なんですけど、望むと料理がなんでも出てくるんです。試してみますか?」

それは夕暮れ時にかかった厚い雲の紫色をした皿だった。男は意外なお願いに戸惑ったが、サラダ!と念じてみた。本当はステーキが食べたかったのだが、ダイエット中なので我慢することにしたのである。すると、皿はガタガタと揺れて料理が出現した。サラダ付きの美味しそうなビーフステーキである。男は舌鼓をうってまたたくまに完食した。それほどおいしかったのだ。魔人は得意げに微笑んだ。

「実は、これをもらって欲しいんです。何度でも皿に願いごとができますし、もちろん、願いごとの代償は必要ありません。大変に便利な皿なのです。」

男は感激したが、なぜそんなものを他人に譲りたくなったのかを聞いた。

「わけは聞かないで欲しいです。人体に害はないし呪われているわけでもないですよ。“食べたい”と思ったものはなんでも皿の上に乗ります。便利だし、安全そのものです。危険は一切ありません。」

男はやっぱり気になった。

「なら、どうして赤の他人の私に譲りたくなったんですか?」

この時、男はデザートにシャーベットが食べたいと望んでしまった。果たして皿には、柚子とレモン風味の上品そうなシャーベットが。魔人はシャーベットの載った皿を持ったまま頑なに回答を拒んだ。

「譲りたくなったわけは聞かないでください。欲しくないなら、私は消えます。時間がないのであと10秒位内に決めてください。じゅう!きゅう!はち!」

魔人はなんと、秒読みを始めたではないか。しかも速い。慌てた男はデザートに釣られて、そして魔法の皿の機能に魅せられ、皿をもらうことにした。魔人はそのまま消えてしまった。不思議な皿だけが、テーブルの上に載っていた。

数ヶ月後、男の部屋に警察がなだれ込んできた。近くに住む二十代女性を監禁した容疑である。男は“食べたい”と思ってしまった。食欲ではなく性欲であるが、皿はその願いを叶えてしまった。幸いなことに女性の命に別状はなかったものの、突然、知らない男の部屋に瞬間移動させられた。ポケットに携帯が入っていたので警察に通報することができた。

男の方は前科がついてしまった上に親戚や家族からも絶縁され、住んでいた家を出て行くことになった。皿の行くえは誰も知らない。一方、遠い海の向こう、フランスの高級レストランでは、作った料理が突然消える事件が頻発したが、いつの頃からかそれはぱったりと起きなくなったという。

「もしも、あの時、人間を食べたいと望んでいたらどうなっていたか考えると、今でも震えが止まらない。」

とマグロ漁船の同乗者である中年の男は語った。

「それは本当に不思議な話ですね。」

私はてきとうに相槌をうった。人を食べたいと皿に願えばどうなるのか、私はそれに答えることができたが、何も言わなかった。晩餐の準備は整っている。警察にも誰にも見つかる心配のない、孤独な晩餐だ。遠洋に出た船に連絡手段はない。あとは皿に願うだけ…

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