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蚕(かいこ)とは何か

かつて日本の産業を支え、明治から昭和にかけて輸出によって外貨を稼ぐ有力な手段であったもの、それが生糸生産である。「生糸で軍艦を買った」と言われるほど栄えた時代もあった。
蚕という蛾の一種が作る繭から、シルク、絹と呼ばれる美しい繊維が作られる。着物、女性がはくストッキング、シルクハットなど絹は様々な場所に使われている。今は化学繊維にとって変わられてしまっている部分もあるが、独特の艶と手触りは他のものとは代えがたい。
シルクが出来るまでには大きく分けて2つある。蚕を飼って繭を出荷するまでの工程を養蚕という。桑の葉を食べるのでかつては桑畑が日本各地に存在した。「桑園」とか桑の漢字が含まれる地名には養蚕とのゆかりがあるかも知れない。それは日本の農家を中心に営まれ、生活を支えていた。
次は糸を取る工程。繭を煮て糸がほどけやすくなるようにしてから、糸口を見つけ、何本かを束ねて一本の糸にする。糸は染色されたり、あるいはそのまま使われる。染色しないものは「生なり」(きなり)と言ってかすかな温かみのある白さが目に優しい。一方、黄色い糸や赤系の糸もある。品種によって様々な色や糸の質がある。
昆虫が作る繭から人間が着る服が作られる。残酷さは否めないが、ぞわぞわして不思議だ。
以下にそんな不思議な蚕という昆虫の生活史を紹介する。

・蚕とは
品種改良された蛾の一種であり、幼虫のうちは桑の葉を食べて育ち、繭を作り成虫になる。成虫は何も食べない。成虫の寿命は1~2週間。人間が快適に過ごせるくらいの部屋の温度で飼育できる。


・卵
一匹の蛾が400個から1000個ほどの卵を産むこともある。産んだ直後の色は黄色。徐々に茶色から黒っぽくなっていく卵は休眠卵と呼ばれ、一冬を越してから孵化する。2ヶ月以上冷蔵庫に入れておく飼育者もいる。一方、色が黄色いままで9日ほど経つと孵化する卵は非休眠卵と呼ばれる。どちらの卵も生まれる直前は美しい青みがかった鼠色になる。催青(さいせい)と言う。少なくとも1日以内にはうまれてくる状態だ。非休眠卵は特に乾燥に弱い。湿度が60%を切る状態が何日も続くのは危ない。80%ぐらいが安全だが水で濡れていてはいけない。直射日光に当たらないように、カビが生えないように管理する。卵の周辺からカビが生えたら洗えば問題ない。

1令、脱皮直前


・稚蚕(ちさん)
一令幼虫と言われる状態。昆虫の幼虫は脱皮を繰り返して大きくなるので脱皮する前を1令、脱皮すると2令、さらに脱皮すると3令と呼ぶ。蚕は5令まである。つまり4回脱皮する。生まれたばかりは毛虫のように見えるので「ケゴ」と呼ばれる。可愛らしい。硬い卵の殻を液体で溶かしながらかじって穴を空けて出てくる。生まれたらすぐに桑の葉っぱを食べ始める。匂いの感覚が敏感。

2令

4令、脱皮直後

・2令~5令
1令幼虫は桑の葉を食べて体の大きさが2倍近くになる。皮膚がギリギリまで膨らんで伸びた状態で艶々している。この状態になるとまる1日ほどじっとして動かなくなる。眠(みん)と呼ばれる状態で脱皮の準備が進んでいる。自分の体を周囲のものに糸で固定している。無理に引き剥がすと脱皮が失敗しやすい。脱皮後はしわくちゃな見た目をしている。じっとしているが数時間で餌を食べ始める。食べる→太って艶々になる→脱皮するのサイクルで5令まで大きくなる。人間も脱皮できたらいいのに。5令になると餌不足が心配される。体が大きくなるとそれだけたくさん食べる。一匹の蚕の5令幼虫が1日に葉っぱを1枚から2枚食べることも。1令から5令までの期間は飼育の条件によって変わるのでなんとも言えないが1ヶ月ほどだ。餌をやり忘れると早く成虫になろうとする。上手に、大きく4令まで育てると、5令になってから餌を食べて栄養を蓄える時間が長くなる。常に糞をし続けるので糞の掃除を毎日欠かさず行う。高温多湿下ではカビが生えるので1日2回の糞掃除が必要だ。蚕の糞からは、なんと、お茶が作れる。蚕沙茶と呼ばれる。蚕の糞を天日で乾燥させたものを香ばしくなるまでよく炒ってからお茶を煎れる。濃くなりすぎると風味を損なうので、熱湯を注いだら30秒ぐらいで湯飲みなどに注ぐ。効能は不明。普通に美味しい。

蚕の糞茶


・上蔟(じょうぞく)
5令が限界まで大きくなると蔟(まぶし)と言われる、蚕が繭を作るための足場が必要になる。もしも蔟(まぶし)が無いと蚕は桑の葉を丸めてその中に繭を作るが、そうした繭はしわくちゃで糸取りには適さない。綺麗な楕円形の繭を作ってもらうために必要なのが蔟だ。段ボールを4センチ×3センチの格子状に組んで簡単に作れる。ボール紙は後で歪むのでおすすめしない。大き過ぎる蔟を作るとまれに2匹の蚕が1つの繭に入ってしまう。玉繭と呼ばれ、玉繭などから作られた着物は牛首紬(うしくびつむぎ)として有名だ。そもそも通常、繭は一本の糸でできている。生糸は繭から途切れさせることなく糸を取り出すのだが、紬(つむぎ)は短い糸を何本も束ねて、太いが丈夫な糸を作る。不良な繭もしっかり利用する知恵だ。歴史で見たら紬のほうが古いのかも知れないが。繭から生糸を取る場合、繭が完成したら羽化する前に素早く煮て糸を取ってしまう。(昔の日本人はこの時に繭の中から取り出した蚕の蛹をおやつ、あるいは薬として食していた。)別の方法では、熱風を送り込んで乾燥させて蛹を殺してしまう。そうすれば長期保存が可能で工場での大量生産に向いている。ただし匂いはきついし蛹は食べられない。

前蛹が脱皮して蛹になるところ。白くて透明できれい。

蛹。目と触角が透けて見えてくると羽化が近い。

・蛹から成虫へ
繭は3~4日ほどで完成し、幼虫は中でじっとするようになる。前蛹という。蛹になるまでの期間は、大きさが違えば脱皮のタイミングも違ってくるのでなんとも言えない。繭ができてからおよそ2週間以内に成虫になるかと思われる。蛹になってからは10日ほどで羽化する。


・羽化
蚕は羽化が苦手な蛾だ。繭の厚さがすごいので自分で穴を空けて出てくることができないことが多々ある。蛹は繭の中で脱皮して繭を空けて出てこようとする。この時、羽はのびきっておらず柔らかい。羽が硬くなる前に脱出しないとそのまま固まってみすぼらしい姿になってしまう。液体を口から出して繭に穴を空ける。(それを嘗めたら苦いのでアルカリ性だと思う)
繭を溶かして出てくるのではなく、正確には繭を構成している糸をくっつけている糊のような成分(セリシンというたんぱく質)を溶かすのである。前述のように繭は一本の糸から構成されている。内側から少しずつ押して穴を広げていくので糸は一本も切れずにつながっている。しかし、成虫が羽化した繭は紬にはできるが生糸にはできない。繭の糸同士をくっつけている糊の成分(セリシン)が部分的に溶かされているため、糸を取る際にダマができて絡まってしまう。繭のセリシンが全体に均等に、適度に湯煎されてうるけていないとどうしてもうまくいかない。これが蚕の蛹を殺さないと生糸が取れない理由の1つである。紬糸は取れる。

座繰り機

蚕の交尾

蚕とクワゴ

・交尾と産卵
蚕は羽化すると直ぐに交尾しようとする。メスはお尻からフェロモンを出す。匂いをかいだオスが近くにやってきて羽ばたきながらぐるぐる周り、交尾にいたる。放っておくと5、6時間はそのままつながっている。窓を空けていると希に、野生のクワゴという蛾のオスが蚕のメスのフェロモンを嗅ぎ付けて飛来することがある。真っ黒な枯れ葉のようなキリッとした出で立ちだ。見かけより俊敏で飛ぶのが素早く、ヘリコプターのようにホバリングもできる。敵につかまりそうになると死んだふりをするが、蚕が死んだふりをするのは見たことがない。どうやら飛来する時間は6月から7月の午前11時から12時まで、と時間が決まっている。クワゴと蚕は交配ができる。元々は野生のクワゴを品種改良したのが蚕だからであると思われる。真っ白な蚕と真っ黒なクワゴが交尾している様は天使と悪魔の禁断の恋を見ているような気持ちになる。交尾の時間は3時間と短い。蚕とクワゴの交雑種は成長が早く、繭は小さくて黄色い。糸はゴワゴワして硬い。見た目はほとんどクワゴだし、生態もクワゴだ。繭の糸は少なく、羽化の成功率はほぼ100%だ。生態系の遺伝子系統を破壊しない為にも野外に逃げ出さないように気をつけねばならない。他にも注意点として、累代飼育すると弱々しく、病気にかかり死にやすくなる。生活サイクルや成長が個体ごとにバラバラになり、生糸を取るのが難しくなる。販売目的で糸を取るのなら、ちゃんとした蚕種(さんしゅ)屋さんから買うのがベストだ。2代目、3代目の累代飼育で、もうそのことが実感できるくらいだ。一代交雑種と呼ばれる、その品種としての品質、丈夫さが保たれた一番元気な状態で飼育できるのは蚕種屋さんから買う以外に方法はない。

左、蚕。中央、蚕とクワゴの交雑。右、クワゴの古い繭。

さて、ここまで蚕について紹介してきた。まだまだ書ききれないぐらい蚕の世界は奥が深い。もし興味を持たれた方は飼育してみると良いだろう。冬場や近くに桑が無い場合は人口餌もネット販売しているところがあるので利用してみると良い。

アメブロやはてなブログにて、販売場所を紹介している人がいるので参考にして下さい。蚕で検索すればいくつか見つかります。
ではでは。

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