焚書坑儒とロシアへの経済制裁の類似点

責任を問われるのは誰だって怖いと思います。「あなたがやっていることには問題がある、社会の悪だ」そう非難されることを人は恐れます。それ故にしばしば、社会の中に悪役という概念を登場させ、みんなで攻撃します。みんなで共通の敵がいれば、自分に矛先が向かう危険が減るからです。要はその方が安心できるのです。でも、その標的が無くなったら?また新しく標的を探すしかありません。

私の考えでは焚書坑儒、文化大革命、そして昨今のロシア排除の風潮がそれに当たります。ニュースのコメント欄、あるいは都会の雑踏の中で、特定の属性の人を「悪」と捉え攻撃の対象にする、この風潮は大昔から続いてきました。

古代中国の話をしましょう。韓非という思想家がいました。性悪説を説いた思想家として有名ですが、正確に言うなら人間というものを利害で動く不安定なものとして捉え、法というシステムによってそれを丸く収めようとしました。だから、人間を邪悪と捉えているわけでもないし、善と捉えているわけでもないのです。あくまでも国の将来を左右する要素として良し悪しを説いています。思想家というより正確な言い方をするなら内政コンサルタントとも言えましょうか。

さて、この韓非ですが、素晴らしい理論を打ち立て、王様に進言するのですが彼のいた国、韓では受け入れられませんでした。別なもっと大きな国、秦の王様が彼の書物を読んで感動します。韓非を招き入れるのですが、ここからが彼の悲運の始まりです。結果的に、韓非は投獄され、秦の大臣に自殺を促されます。

ちょっと待って、韓非の理論が素晴らしかったなら、どうして投獄されたの?と思うでしょう。そこが今回の話の肝なのです。歴史上のこと、特に古代中国に至っては不鮮明で真実はははっきりしません。ですが、韓非が書いた韓非子という書物は日本語にも翻訳されているので誰でも読むことができます。それを読む限り、この、韓非を自殺に追いやった大臣、冷酷ではありますが、かなり頭の切れる人であったと推察できるのです。

まず、歴史的経緯でいえば結果的に韓非子は素晴らしい理論だった、ということが一つ。韓非子が書かれたあと、秦は中国全土を支配しました。法による統治です。賞と罰という2つの道具を使いこなすことが肝要であると説いています。仁義や礼は本質的な解決ではないとしています。概念や思想を教えたり布教したりして人間を変えていこうという方向性ではなく、人間を利害関係で行動する不安定なものとして捉えます。まず、ありのままの、「利害で動く人間」を認めた上で、法というシステムに乗せて賞(褒美)と罰(ペナルティ)によってコントロールしようという現実的なものです。秦は見事、富国強兵をして統一を果たしました。ここまでは良かったのです。

実は韓非子には問題がありました。それは理論が鋭すぎて、王様に仕える家臣たちが、処罰の矛先になってしまう可能性です。彼が唱えたのはシステムですから、王様も、家臣も役人も、等しくシステムに組み込まれるのです。これが反発を招いたことは想像に難くありません。政治の世界は必ずしも能力主義ではありませんし、働きに応じた報酬があるわけでもありません。かなりの部分をコネや根回しなどに頼っています。その結果、王様よりも家臣の方が実は権力を持ってたり、なんてこともザラにあるのです。韓非子の中でも口を酸っぱくしてこの指摘を長々と書いています。家臣にとってみれば、これが王様にバレたら大変なことになります。韓非子のおかげで国は大きくなったし、頭の切れる危険人物である韓非を獄中で始末して安心というわけではありません。いつ新しい改革が自分を脅かすのかわからないのです。

次は焚書坑儒。ここからが家臣の悪知恵の見せどころです。目をつけられたのが、韓非子の中の次のような考えです。諸子百家がデタラメな思想を世に広めるだけで地位が得られたり、書物が売れたりするだけでお金が楽に稼げるのなら、体を痛めて農地を耕す農民の仕事は誰もやらなくなるはずだ。その結果、生産は滞り国は滅びるだろう、と。これが知識人への攻撃の材料とされてしまいます。国を脅かす思想家共を始末せよ!と韓非の理論を曲解して扇動したのです。

かくして焚書坑儒は行われてしまいました。これには2つかもっとそれ以上の利点がありました。王様に対しては思想家という脅威が減り国が安泰になる、という大義名分があります。そして自分には、攻撃する共通の敵がいることで自分に矛先が向かなくなるという利点があるのです。しかも、大規模な国内の改革を行なって仕事をしている、というアピールにもなります。ね?ズルいでしょう?

もしも韓非が生きていたら、おそらく納得しなかったはずです。彼がやりたかったことは悪役作って排除することではなく法の整備なのです。無能な王様でも、私利私欲に走る役人たちでも、詐欺まがいなことでお金を儲けたがる庶民でも、等しく法という賞罰のシステムに組み込まれ、その結果としてに国が安泰である、ということがゴールなのですから。悪役がしょちゅう変わってその度に攻撃の対象が変わるようでは世の中は混乱して安定しませんし、法の仕組みの整備がすすみません。

さて、韓非子の理論はこのように、半分は成果を上げ、もう半分は悲劇として歴史に刻まれました。ここから何か教訓を得るとすれば、正しさは時に凶器となるということです。私たち人間は利己主義でありながら、善人でありたい、あるいは善人であることを他人に認めさせなければ社会生活を送れないところがあります。それが弱みにもなっています。自分が悪役になることを恐れるあまり、世の中で「正しさ」が叫ばれ始めると途端に「あいつが悪い」と叫び始めるのです。こういう臆病な心理が「社会の敵」という概念を作り上げてしまいます。

もう、こうなってくると情報戦です。実際の正しさなどは無関係です。世の中から良い存在だと思われたいがために、あるいは悪い存在だと思われたくない一心で1番多く叫ばれている言説に同調して「悪」を糾弾するのです。その結果で世の中がどんなに荒れようと、自分の身を守る方が大事ですから。

今、ロシアへの経済制裁は物価の高騰を招き、人々の生活を苦しめています。制裁を決めたのはアメリカはじめ、西欧諸国や日本です。にも関わらず、電気代が2倍以上になって生活が立ち行かなくなってもなお、「ロシアが悪い」「ベラルーシはロシアに従ってるから悪い」「ロシア産の魚介を卸していた業者はどうなっても構わない、だってロシアが悪い」これを狂気と言わずしてなんと言いましょうか?

経済制裁を決めたのは誰ですか?便乗値上げして庶民を困らせてる業者は誰ですか?電気代を法外に吊り上げているのは誰ですか?でも結局誰が悪いとはっきりはわからない。結局はそういうことなのです。世の中には悪役などありません。社会の均衡が崩れ、システムが停滞した結果なのです。

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