原因と結果・死因の特定

ニュートンがリンゴを手に持って言った。
「私は今からこのリンゴを手から放す」

リンゴは手から落ちた。

「なぜだと思う?」

勉強熱心な学生が答えた。
「万有引力の法則がはたらいているから」

子どもが言った。
「手を放したから落ちた」

どちらも正解に見える。学生の方が少し賢く見えるだろうか?しかし、この問題は子どもの方がより正しい。

厳しく言えば、学生は間違っている。因果関係、原因と結果。
もしもニュートンがリンゴを手放さなかったら落ちることはなかったであろう。しかし、手に持っている間にも確かに引力ははたらいている。手放しても手放さなくても、地球にはものを引き付ける力がある。よって間違いである。リンゴが落ちるか落ちないか、それを直接左右したのはニュートンが手を放したことだ。

学生が正しい答えを言ったとすれば
「手を放したことでリンゴの重さを支えるものがなくなり、リンゴは地球の引力に引っ張られて落ちた」であろう。

言葉遊びか?と思った方……申し訳ない。

しかし、人間は言葉で思考してコミュニケーションを取る生き物。思わぬ勘違いや思い込みを防ぐには

「物事の因果関係とは何か」

それを明らかにする必要がある。「なぜ?」という原因を問う質問、これがいかに厄介な存在であるかを知って欲しい。また例を出す。

一人の肺炎患者が死んだ。

・年齢は88歳
・入院する前、彼はひどい風邪を引いていた
・入院する前、彼はセメント工場で穴のあいたマスクをして働いていた。
・肺の中からは菌類の胞子が見つかった
・肺の中からはアメーバの一種が見つかった
・肺はニコチンのためにひどく傷んでいた
・最初に処方された薬が間違っていたようだ
・肺の中には新型で危険と言われている、風邪のウイルスのようなものが見つかった。そのウイルスを巡って各国が対策を急いでいる

彼はなぜ死んだのか?

新型のウイルスは対策を急ぐ事項なので、彼の死因をウイルス性の肺炎だということにした。さて、死因とはなんだろう?

・もしもあなたが彼の家族ならば、どう答えを出すだろう?

・もしも彼の雇い主ならどう考えるだろう?危険な現場で安全対策を怠っていた責任を感じるか。
・もしも彼を危険な病気の渦巻く熱帯のジャングルに案内したガイドなら、どう判断するだろう?彼は旅行を楽しんでいたが、病気の対策が甘かったか。
・もしも病床の彼が煙草の吸いすぎの是非を考えていたとしたら?88まで生きたと考えるか、88までしか生きられなかったと考えるか。
・もしも彼を担当した医者ならどう折り合いをつけるだろう?医療ミスなのかどうか。寿命なのか。
・もしも役所の感染症対策班ならどう処理するだろう?ウイルス以外の原因を度外視するべきか否か。

たった一人の人間の死にもドラマがあり、紆余曲折がある。この中に死因について確かなことが言える人間はいない。

なぜ?という問いは極めて慎重さを要する。場合によっては物事の実態とは大きく食い違ってしまう。この危険な問いは裏返せば「○○だから○○になった」というような順接の形式である。

どのように?という問いこそ、物事を詳しく見ていく時に欠かせない視点である。

現在、ニュースやネット上では順接の情報が溢れかえっている。人はウイルスに殺され、有名人は誹謗中傷に殺される。

本当だろうか?

「どのように?」という問いかけがないままに、物事の因果関係がはっきりと論じられている状況に私は危機感を覚える。与えられた少なすぎる情報から短絡的に物事を考えることは冒頭で述べたニュートンの問いに引っかかることを意味する。

マスコミに踊らされないで欲しい。
なんならボイコット、反対運動。私は激しい怒りを覚えるのだ。

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