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おにぎりを握って、味わってみよう。

とらさんです。
日本人にとって当たり前にある「おにぎり」という存在。
ひとたび海外に出ると、それは当たり前でなくなるようです。
こんなエピソードがあります。

エマワトソンは日本のアニメが大好きで、その中で頻繁に登場するおにぎりに興味を持っていたそう。
ただ、おにぎりを<ごはんを丸めただけの単純な食べ物>という先入観から、その味に期待はしていなかった。
来日した際、コンビニで購入した鮭おにぎりを一口食べて彼女は、その美味しさに衝撃を受ける。
「パリパリの海苔と、しっとりとしたごはん、そして程よい塩味の鮭。すべてが絶妙に調和していて、こんなに美味しいなんて!」
さらに、彼女は、おにぎりの具材の多様性にも驚き、実際に作ってみたところ、その奥深さにさらに感動を覚えた。
「おにぎりは、わたしと日本を結んでくれた絆の食べもの。いつかまた日本に来て、もっといろんなおにぎりを食べたい!」


「おにぎり」は日本人の誰もが知っている料理です。
誰もが知っているということは、誰もがおにぎりの思い出があるということでもあります。

子どもの頃に母親や父親、祖父母に握ってもらったおにぎり。
運動会や部活、遠足で頬張るおにぎり。
試験勉強の夜食として食べるおにぎり。
スポーツの大会や試合でエネルギー補給のために食べるおにぎり。
恋人に初めて握ってもらったおにぎり。

みんなそれぞれに思い出のおにぎりがあると思いますが、共通点は誰かが誰かのために握ってくれたものであることではないでしょうか。

社会人になって、美味しいものも食べてきましたが、ああいう思いのこもった料理に勝るものはないのかもしれません。
かの魯山人も「手のこみ入ったものほどいい料理だと思ってはいないか。高価なものほど、上等だと思っていないか。」とおっしゃっていますが、料理というのは素材を大切にし、相手への思いをのせることで、美味しくなるのではないかなと思います

だから、子どものために、パートナーのために、親のために——相手を思って握ったおにぎりというのはシンプルだけど美味しい。記憶に残る。思いがのっていれば、コンビニのおにぎりだって美味しい記憶とつながっていく。親子で一緒におにぎりを握って、それぞれの思い出のおにぎりを語り合い、その食卓の風景が新しい思い出のおにぎりになるといった循環が起きていくと素敵だなと思います。

おにぎりは日本人の"素朴さ"と"奥深さ"と"工夫する心意気"が感じられる最も身近なもののひとつ。

おにぎりを味わってみよう。