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音楽や建築という領域を超えて

3×3keyword Talkの第2回が先日行われ、Vegetable Record林翔太郎さんとCURIOATEGarmentekhne曾原翔太郎さんにお話をお聞きしました。

当日の写真は、瀬下友貴さんに撮っていただきました。


中川

この3×3keyword Talkは、建築を軸足に置きながら活躍する若手をお招きして、9つのマス目を使いながら、ゲストを構成するキーワード を用いるながら進めるインタビュー形式の対談で、様々なバックグラウンドを持ったゲストを色んな角度から、深掘っていくトークプログラムです。

今回は、その第2回目ということで、CURIOATEという建築メディアとデザインスタジオのGarmentekhneを主催、建築DJとしても活躍する曾原翔太郎さんと、Vegetable Recordの林翔太郎さんに今回来ていただきました。 よろしくお願いいたします!

早速なんですが、お二方にキーワードを使って自己紹介をしてもらいたいです。

二人のキーワード

曾原
曾原翔太郎と言います。 GarmentekhneというデザインスタジオとCURIOATEという建築系のメディアをやってます。よろしくお願いします。DJでもあります。


初めまして、林翔太郎と言います。ベジタブルレコードという音楽ユニットをやっております。あとはテニスもやっております。

中川
よくSNSでテニスをやられていますよね。


そうですね。あれも新しい音楽とテニスを組み合わせた新しいプロジェクトで、、、。後ほど詳しくお話します。

曾原
では早速。林さんの「音楽」の部分からお話を聞かせてください。
Vegetable Recordという音楽レーベルをやっているのは知っていましたが、ほかに個人プロジェクトをされていますよね?
実はかなり気になっていたんです。


僕と三上という音楽家の二人でベジタブルレコードという音楽ユニットをやっています。ベジタブルレコードでは、音楽のメディアをいろんなものに捉えて、音楽作品を発表しています。普通は配信やCDなどのメディアで作品をリリースすると思うんですけど、音楽をコーヒーやビール・おでん等の商品をメディアにして作品をリリースしたり、ホテル・銭湯・商業施設・公共空間などの空間に対して作品をリリースするような活動を行なっています。


元々、お互いに一人のアーティストとして活動をしていていました。当時僕は、歌ものというか、ちょっとサンプリングを混ぜたトラックでボーカルを入れたりしていました。当時はチルウェイブというジャンルが少し流行っていたので、そういうのをやっていましたね。

曾原
音楽は昔からやってらっしゃるようなのですね。本格的に音楽活動を始めたのはいつぐらいなのですか?


本格的には2014年ぐらいで、25、26歳ぐらいの時です。

曾原
ちょうど今の僕の年くらいですね(笑)。


そう(笑)。僕は大学でバンドをやり始めて、それこそガレージロックバンドで、下北沢などでライブをしていました。大学卒業のタイミングで解散して、1年間就職したんですが、もう一回本格的に音楽をやりたくなったので、仕事を辞めて音楽をやり始めました。その時が24~25歳ぐらいですね。

曾原
音楽を始めた時はそのままロックが中心だったんですか?


ロックが中心ですね。

曾原
面白いなって思うのが、今の30代中盤ぐらいの方ってロックを聴いてる方がすごく多い印象があるんですよね。


確かに。

中川
どうしてその音楽をプロダクトや空間と一緒に考えるという方向にシフトしようと思ってたのですか?


そうですね。当時の僕らからすると、ミュージックマガジンとかに掲載とかされないと、なかなか自分らの作品が世にでるのは難しいのかなと勝手に思ってて。テイストの似ているアーティストとして一緒にライブにブッキングされて、ちょっとずつファンが増えていくみたいな流れで。でも、それがなかなか難しくて、時代の流れとかもあるのかなって思いますし。
だから、これまでとは本当に違う業界というか、違うジャンルのところで、ファンをつくる、逆に違う業界の人とタイアップすることで、そのコラボした業界の人たちにも自分たちのことを知ってもらう、みたいなことができないかなっていう風に、漠然とですけど考えていたんですよね。

それで最初、クラフトビールのVERTEREという奥多摩のブルワリーがあるんですけど、そこは僕の大学の友人が2人で起業していて。それで、じゃあ音楽付きビールをつくろうと。ビールのパッケージが音楽のジャケットになっていて、 そのビールを買うと、アルバムが聞けるっていうのでコラボしたのが最初でしたね。

曾原
ということは、学生時代に建築やインテリアを専門的に学んだ経験があるんですか?


もうないです、全くないですね。

曾原
学生の頃はどんなことをメインに?


大学は東京農業大学で学部は造園ですね。授業では葉っぱの種類を覚えたりとか、ランドスケープデザインとか、公園の設計とか屋上緑化の設計とかの勉強をしていました。大学もテニスメインで、なんとなく面白そうだったから行ってみたって感じですね(笑)。
大学中もずっとバンドをやっていたので、 そんなに造園を勉強していた記憶がない。、葉っぱとかはめっちゃ覚えたけど、、、
そんな感じだったかもしれない(笑)。

曾原
自分も大学のときそういった授業やりましたね。造園の授業ではないのですが、「ランドスケープ論」という授業がありました。いろんな公園に行って、葉っぱの写真を撮って、それをまとめるといったようなレポート書かされましたね(笑)。


僕らも1年の時、その葉っぱテストみたいな、匂いとか手触りとかで、これは欅とかクスノキとかを判断するみたいな、それクリアできないと進級できないみたいな(笑)。
音楽にはずっと興味があって、中学校ぐらいから、アコギでミスチルの弾き語りを始めたり。

曾原
え、じゃあ最初に触った楽器っていうのはアコギですか?


それはピアノで、なんか家にオルガンみたいなのがあって。当時プレイしていたファイナルファンタジー8の曲がすごく弾きたくてスコアブック買って頑張って練習したんですよ。

曾原
音楽を習ったりはしていたんですか?


ないですね(笑)。当時からずっとテニスのクラブ活動してたので、あんまり他のやつはやんなかったですね。

曾原
なるほど。実は僕もピアノやってました(笑)。小学校6年間習っていましたが、ピアノ教室ってクラシックやらされるじゃないですか。しかも女の子ばっかりで、小学生のときってそういうの嫌だったんですよ。


はいはい。

曾原
それでピアノ教室も母に黙って辞めたんです。でも、そのあと家にはずっとピアノがあって、趣味で弾いたりしていました。

実家は鹿児島の南大隅町っていうところなんですけど、高校から鹿児島中央高校という鹿児島市の高校に通うことになったんです。実家から車とフェリーを使って2時間かかるので、下宿しないと通えない。下宿してるとピアノがないじゃないですか。小学生の頃はあんなに嫌いだったのに、高校に上がると弾きたい欲求が上がってきて…。ビックカメラで人がいない瞬間を見計らってピアノコーナーで弾いてみたりしましたね(笑)。
あとは弾きたい欲求を解消するためにジャズの音楽理論を勉強していました。もともと曾原家はジャズが流れている家だったのも影響しています。中高の時は母に連れられてジャズハウスやジャズライブに行ったりしていたので、それで自分もジャズ弾けるようになりたいなって。

ジャズのスコアブック買うと、はじめは戸惑いました(笑)。テーマとコードしか書いていない。これどうやって弾くの?って思いましたね。それで音楽理論勉強しようってなって、Autumn Leavesっていう有名な曲のテーマをひたすら練習して、スケール(音階)とかもそこでめちゃくちゃ勉強して。
音楽理論とは別に、ジャズの名盤を紹介する本を読んでいたときの話です。その中に一人だけヒップホップのトラックメーカーがいたんですよね。
J Dillaです。そこからヒップホップが好きになりました。

それと同時に、当時メインストリームのポップスも聴いていました。ジャスティンとか。アメリカの有名なポップスのシンガーってラッパーとコラボするじゃないですか。それでUSのヒップホップを漁るようになりました。

曾原
僕のマスにある「クラブカルチャー」の部分ですが、今の話がここにつながります。DJを始めたのは最近のことです。赤羽のEnabという小箱に遊びに行ったときに、「翔太郎はどんな音楽を聴くのか?」と問われたんです。それで「ジャズを聴いて育って、J Dillaと出会って今ではヒップホップが好きです」と答えると、「絶対にDJやったほうがいい(笑)」って言われました。その言葉が嬉しくて、すぐに練習を始めました。なので今のDJのスタイルはヒップホップや、ジャズの影響を受けた90年代のハウス・R&B・ソウルなどをよく流します。


逆にそれで、なぜ音楽じゃなくて建築に?

曾原
もともと建築士になりたいって思い始めたのが3歳の頃でした。中学の時には建築士が将来の夢だということは知られていたので、近所のおじさんに安藤忠雄の『仕事をつくる』っていう本をもらったんですよ。「建築士になりたいならこれを読め!」と。その本を読んだ時に、建築士と建築家の違いをようやく理解しました。【建築家】とは安藤忠雄のような人のことを言うんだなって。そこから「建築家」を志すようになりました。

僕にとって音楽は、衣服や食事のように「生活の一部」でしかありませんでした。積極的な音楽活動もしていなかったので、あまりプロを目指したいとは思いませんでしたね。あとは、田舎出身だとあまり演奏を披露する機会もないので。クラブやライブハウスもなかったので、音楽イベントは1年に1回良ければいいほうでした。だから歌手やミュージシャンに対しての憧れはそれほどありませんでした。それよりも建築家になりたい気持ちが大きかったんです。


大学は、東京ですか?

曾原
豊洲にある芝浦工業大学というところです。現役の時も浪人の時も、とりあえず建築学科があるところを志望するって感じだったので、どの大学にどんな教授がいてどんな雰囲気なのかは全くわからないまま入学しました。
蓋を開けてみると、芝浦では有名な建築家が教授をやっていたり、コンペの受賞者がいっぱいいたりとかなりレベルが高かったんです。今の4年生とかレベル高すぎて引きますね(笑)。学生同士のモチベーションの高めあいが頻繁にあります。

中川
学生の時は、がっつりコロナの時期ですか?

曾原
入学時点ではコロナはまだでした。1年生のときは設計課題を大学に寝泊まりしながら徹夜で模型作りしたりできていましたよ。

曾原
「タイポグラフィ」についてですが、建築やっていて納得いかないことがあるんですよ。それが、多くの建築プレボのグラフィックのところです。

曾原
建築学科のカリキュラムにはグラフィックデザインの分野がない。だからできないのは当たり前なんです。僕は「建築」に興味があったのはもちろん、平面のデザインというところにも興味がありました。浪人時代の友人が、グラフィックデザインの道に行ったんです。彼にプレボ見せたりしたんですが、グラフィックデザインの視点で様々な意見をくれました。もともとイラストレーションのような自由に描くのはそこまで得意ではなかったのですが、ある程度セオリーに沿って並べていく…っていうのは興味があって。その中で「タイポグラフィ」という文字のデザインの分野に出会いました。

中川
カーニングとか。

曾原
そうです。あとはフォントへのこだわりもあります。
いままで何もかも反骨精神むき出しでやってきました(笑)。設計課題で選ばれた作品のプレボ、全然じゃん。
自分のやつのほうがいいじゃん。みたいな(笑)。
僕は、優秀な建築を設計するっていうよりは、現実では建たなくてもいいくらいの建築をやりたくて。そんなスタンスでいると、周りとは違う分野でストロングポイントがないと勝てないと思ったのでグラフィックを自主的に学んでいました。
あとは、デジタルツールは周りより使い始めるのが早かったと思います。大学1年の末くらいからグラスホッパーを触っていました。最近はデジタルが進みすぎて珍しいことではないと思いますが。

中川
そうなんですね。めっちゃ早い。

曾原
グラスホッパーすごく使っていましたね。その中で空間の解析にPython使ってみたりもしてました。

中川
どういうことですか?(笑)

曾原
グラフ理論という数学の理論があるんです。有名な話だと「6次の隔たり」っていうのがあって、例えばジャスティン・ビーバーに会いたいときに、ジャスティンに近そうな友人を紹介してもらうっていうのを数珠繋ぎでやると、最大でも6人以内にたどり着くという。その「6次の隔たり」が実現される世界が「スモールワールドネットワーク」です。脳医学や遺伝子学の分野でも活用されている概念です。柄沢祐輔という建築家が、その理論を使って建築を作っていたので、「本当にそうなのか?」と思って自分の設計にも取り入れました。

中川
なるほど。

曾原
Pythonを使うと空間の配置がスモールワールドネットワークなのか調べることができるんです。芝浦はデジタルが強い大学ではないので、そういったところで周りと差別化していました。

中川
林さんは、建築家の方と一緒に、その空間に合わせた音楽を入れ込んでいくっていうことをやられているんですよね。


そうですね。その場所のいわゆる一点物としてデザインされた音楽を作ることって、あまりないのかなって思っていて。めちゃくちゃかっこいい飲食店や施設に行った時に、流れている音楽が微妙だとあっ、、てなる(笑)。Youtubeが一番嫌です。
そういう空間に合わせた音楽を制作することは、作り手側からしてもすごく面白くてチャレンジングなことだし、色んなアイディアをインスピレーション源に出来ることが楽しいです。その場所ではその場所ならではの素材感・色・民謡・文化や周辺の環境音なども音楽に取り込みつつ作曲します。波の音のリズムをフレーズの間隔にしたり、鳥の鳴き声をギターのフレーズで模して弾いたりなど、環境音なども再解釈して作ることもあります。


例えば、別府の「アマネク別府ゆらり」という温泉ホテルの事例だと、別府の地獄めぐりの湯煙をイメージしました。1Fのワンフロアの空間に、25種類の異なる音楽を作曲して、その曲をフロアの(レセプション・ライブラリ・レストラン)ゾーンごとに配置して、モクモクと音楽の煙が立ち上がるような音楽演出を行いました。
作り手としても、その場所ならではの環境の要素や、建築要素などで音楽を作ったり、演出方法のアイディアを得るのが面白いし、施設や訪れるお客さんの体験としても面白いものになっていると思う。最近のプレイリストをBGMとして流していて、とりあえず空気を作るみたいなことじゃなくて、その場所ならでは・その場所である必然性を持つ音楽が必要だと思います。

曾原
まさにサイトスペシフィック


そうですね。その場所じゃないと成立しないような音楽。サイトスペシフィック・ミュージックを目指していますね。

中川
湯煙のやつを実現しようとなると、現場とかで、実験しないとできないのかなとか思いました。


そうですね。別府のホテルは、レセプション・ラウンジ・レストランがある大空間だったので、小型スピーカー8台にそれぞれ異なる音楽を入れて、イ長調などに調性を合わせておいて、ゾーン毎に植栽を配置するみたいにスピーカーを配置しました。それを同時に流すと、それぞれの音楽の尺が違うので、音楽が重なるんだけど、ずれ続けていきます。いる場所によって右からはこう聞こえるけど、左からは違って聞こえるとか、後ろからは違うニュアンスの音楽に聴こえたりとか、立ち位置や動線によって音楽の聴こえ方が変化するので、インストールしに行った時は、長く滞在して、がっつり聴こえ方・鳴り方などの塩梅を現場で試しながら考えていました。

曾原
別々に聴いても成り立つというのはすごく面白いですね。


しかもここは、それが朝昼夜で曲も変化していくようにしていたし、1Fは天高がかなり高く2~3Fぐらいまでの吹き抜けになっていたから、シーリングスピーカーからもメインテーマの曲をレイヤーのように流していて、かなり多層的な音楽になっていました。竣工前のお声がけだったので、ここにこういう音楽を配置したいから、音響はこうしたいとか、スピーカーはこの位置がいいですとかを、一緒に相談しながら作れたので、かなり面白い空間が出来たかなと思います。

曾原
2つ音が重なっても成り立つのは、音楽理論でいうところの「オルタード」に似ています。2つのコードが合わさってできたような和音のことです。別々に音として成り立っているのに、それらがフュージョンして1つの音に生まれ変わる


ジャズの即興演奏とかそういうのにインスピレーションを受けてもいますね

曾原
エリック・サティの家具の音楽に近いと思いました。でも、サティがやっていたのは、1つの音楽として複数の曲が連なっている。体験としてはワンパターンです。でも、ベジタブルレコードは体験者の行動によって聴く順番やミックスされるタイミングが変わる。ある種サティの改良版のようです。


マリー・シェーファーという音楽家の人がいて、その人にも影響を受けていますね。その人は音楽をコンサートホールから屋外空間に持ち出して、湖畔でオペラをやったり、色んな街の騒音問題を解決するために、音を通して環境問題に人々の意識を向ける活動をしたりしていました。結果的に、音のデザインや講義を通して街をきれいにするような取り組みですよね。

中川
音のデザインを通して街をきれいに、っていいですね。


僕らは、サウンドデザイン的な文脈で、街のことをまだやっていないんですよ。
ただ3年前に、伊勢市では音楽で街のエリアデザインが出来るんじゃないかという試みで、伊勢市の音楽を制作して、その曲を商店街や、街の温浴施設や、賓日館などの歴史的な建物などで流してもらいました。街をメディアにして一つの音楽を広げていくみたいな取り組みもやりましたね。


僕たちは、音楽の新しい楽しみ方や価値観を作るということが、哲学や活動コンセプトになっているので、空間においても、音楽で面白い体験を作りたいなというものがあります。また音楽を使ったプロダクトデザインとして、QRコードを使って、音楽付きのTシャツを作ったり、モノと一緒に音楽が運べるみたいなコンセプトで、音楽付きのテープを作ったりしました。

中川
それがこのプロダクトとかになるのですね。

中川
鉄道っていうのは?


あ、俺もずっと気になってた。

曾原
これは単純に趣味です(笑)。大学の時に青春18きっぷで全国を旅しました。僕が一番好きなYouTuberは、鉄道系YouTuberのパイオニアと言われる「スーツ」なのですが、彼の動画を見ていると乗り鉄したくなってくるんですよ。あとは路線図見るのも好きです。地元の南大隅町は鹿児島県の大隅半島に位置していて、鉄道が通っていないんです。高校で鹿児島市に引っ越して、通学路に踏切があったので踏切を見るたびにテンションが上がっていました(笑)。
鉄道と出会ってよかったことは、「最寄りどこ?」の会話で盛り上がるところですかね。たとえば、岡山出身の方に知り合ったとき、「改札横のセブンめっちゃ使います」って言うとウケます(笑)。共感を得る話ができるので仲良くなれる。

中川
北はどこまでですか?

曾原
青森まで行きました。東北を一周したことがあるのですが、そのときに新潟で大地の芸術祭をやっていたんです。上越線で新潟に行って、日本海側から青森に行って東北本線で東京み戻ってくる。
(彼は「北海道・東日本パス」という18切符の東日本版の乗り放題きっぷで北海道まで言った経験もあるそうです)

曾原
そういう旅をしていると、街の類似性みたいなことに気づきます。例えば、地元鹿児島の歓楽街「文化通り」が、仙台の「国分町」に雰囲気が似ていたりとか。そういった発見がたくさんあるので、ぜひ鉄道で全国を回ってみてください。

中川
建築を見て回ったりとか。

曾原
大学の時は建築を見るために地方を訪れていました。どうしても鉄道だけではアプローチできない場所もあって、そういう場所はレンタカーを借りていったりもします。でも、「鉄道」という縛りを設けると、建築以外の部分も楽しめるようになるんです。
特に街のつくり。例えば鹿児島市の場合、「鹿児島中央駅」という圧倒的な中心駅があって、すこし離れたところに「天文館」という繫華街があります。その間には川が流れていて、2つの拠点を強調している。実はこれ、宇都宮や盛岡もまったく同じ構成なんです。

中川
たしかに、ここなんか他の町に似てるなとか、仙台みたいだなとかはあります。 不動産的な感じでいったら、用途地域の影響かなとか思ったりとかはするんですけど、確かに都市の構造とこ、ちょっと不動産的視点で見るのはこれからいろいろ勉強していくと面白いかも。

曾原
「CURIOATE」という僕がやっているメディアについて話しますね。ここに書いてあるように(ポスターを指差しながら)建築のことだけ勉強していてもダメなんです。僕が通っていた芝浦はとてもレベルが高かった。モチベーションの高い学生がたくさんいる。
けど、全然遊んでないんですよね(笑)
。僕は「遊び」をとても大切にしています。
大学の時は貯めたお金でオーセンティックバーに行ったりしていました。

曾原
バーテンダーの話を聞いていると、建築やってる人と同じくらいエネルギーがあるんです。あとはクラブで遊んだりもしました。「そもそもクラブってナンパする場所でしょ?」と思っている人が多い印象があります。たしかに、酒やタバコはイメージが悪い。でも、DJや箱の経営者、イベントのオーガナイザーはオタク気質で真面目な人が多いです。建築を真面目にやっている人と本質は同じなんです。DJは音楽をめちゃくちゃ知らないとできないし、建築家も建築をめちゃくちゃ知らないと作れない。その一方で建築業界では「建築を勉強していることが一番の正義」みたいな風潮があって、そのような風潮のせいでやり辛さを感じている人も多いと思うんです。すごく努力して設計課題に取り組んでいるのに全然選ばれない学生のように。選ばれないのに面白い作品を作っている学生は沢山います。彼らに共通しているのは、「遊び」を大事にしている。ちゃんと遊んでいるんですよね。大学という閉じられた世界から飛び出して、クラブやライブハウスに通ったり。あと以外にもタトゥー入っている人は真面目な人が多いですね。

中川
その経験とCURIOATEの立ち上げはどうかかわってくるのですか?

曾原
そのような「遊び」を通して建築から一歩引いた視点を身に着けることが大事だと思うんです。そのほうがデザインのボキャブラリーも増えて良い建築を作れるんじゃないかな?と。真面目に真摯に建築と向き合っている人に向けて、そういった価値観を届けたいと思って立ち上げたのがCURIOATE。CURIOATEは3つの単語からできた造語で、create(創造する)、curate(収集する)、curious(好奇心)というのを柱にしています。収集するっていうのは、さっき言ったナイトカルチャーやサブカルチャーとか、都市部でしかできない体験や、田舎のような人と人が近いカルチャーなど、建築領域以外の部分を探って収集するという意味です。
ポジションとしてはウェブメディアですが、様々なイベントを企画してもいます。大阪の建築系団体「and_d」と4月に共同開催した「Archi Disco」はかなり盛り上がりました。アーキディスコはand_dの企画で、今までは展示をメインに行っていましたが、CURIOATEとのコラボをきっかけに初のクラブイベントとなりました。

曾原
クラブイベントって音楽ジャンルで分けられていますよね?ヒップホップのイベントがあったり、ハウス・テクノのイベントがあったり。ジャンルで分けるのではなく、訪れる人のバックボーンで分けてみたらどうなるか?という検証も込めて「建築DJ」だけを集めたんです。明治大学で教授をしている門脇先生と、二畳建築というプロジェクトをやっていた工学院出身の新美さん、CURIOATEでライター・カメラマンをやってくれている細田と、僕の4人でDJしました。渋谷ROOTSで開催しましたが、100人にも及ぶお客さんが集まりました。

中川
それってめっちゃすごいです。パンパン。

曾原
パンパンでしたね


どういうお客さん?、建築やっぱ好きな人なの?

曾原
驚いたことに、9割以上建築関係の方でした。
Archi Discoの流れを汲んで、奇数月の第一水曜に赤羽Enabで「curious.」というイベントもやっています。中川さんもよく来てくれていますね。

中川
この前、遊びに行きました(笑)。

曾原
水曜日にイベントをやるのはすごい集客難しくて採算取れないことが多いんですけど、一つの発信として、「水曜日はクラブに行って建築以外のデザインの種、拾いましょう」みたいな、 そういうイベントを作りたいなっていうので、実施しています。

中川
まさしく、建築の人が、領域以外の体験を通して、自分の活動の種を収集できるメディア、イベントになるのか。
DJとのイベント行くことと、建築・デザインは、どう関連づいているのですか?

曾原
そもそも多くの人はDJが何をやっているのか知らないと思います。普通にイヤホンでSpotifyなどの音楽を聴くのと、クラブで音楽を聴くことは何が違うのか。
DJは、異なる曲を重ね合わせながら音が途切れないように音楽をかけています。また、お客さんを見てどの曲を選ぶと盛り上がるか考えるのもDJの仕事。お客さんを洞察する力が養われます。デザインにおいて「洞察」はすごく重要で、マーケティング用語でも「インサイト(洞察)」っていうのがあります。

「ニーズ」ってあるじゃないですか?そのニーズには2種類あって、片方は顕在ニーズ、もう片方は潜在ニーズです。「インサイト」は後者にあたり、消費者・顧客でさえ自覚していない欲求のことをいうそうです。広告やプロダクトで、そういう欲求を刺激するとバズるらしいです。

中川
手元で色々機材を捌きながら、みんなバイブスを見て、それに合わせて選曲しましょうってことですか?

曾原
そうです。でも、プレイしながらお客さんを洞察することだけが選曲のトリガーなのではなく、自分の出番が回ってくる前にお客さんとコミュニケーションをとっていた時ほどいい選曲ができるのではないでしょうか。情報取集する力が身に付きますね。あとは、共演DJとの音楽を通してのメッセージのやりとりも重要だと思います。自分の次のDJがハウス・テクノのDJだったら、BPMをすこしあげておこうとか。

中川
次のDJのスタイルを知っておいて、自分がそれに合わせていくってことか。

曾原
その通りです。あと、あくまで僕の好みですがハウス・テクノって長時間聴いていると疲れてくるんですよね。もう2時間くらいハウス・テクノ続いてるなあというときは一気にBPMを下げてみんながおしゃべりできる時間を提供したり。
このように、DJと建築家は同様に空間を作り上げる仕事です。そういった意味では、ベジタブルレコードと一緒なのかな?

中川
それを聞きたかったんだよね(笑)
林さんは、建築にわせた音楽をサイトスペシフィック的に造っていて、曾原さんはDJとして、即興で選曲しながらもその場に合わせた音楽と空間を造っている。
お二人の立場が違うけど、建築の音楽の関わり方に可能性があって面白いなと思いました。

曾原
すごく難しいのが、その場に合わせた選曲をするDJが、必ずしもいいDJでもないのかなって思います。

中川
なるほど。

曾原
全くお客さんを見ないでプレイするDJもいて、その人のオリジナリティがでていたらすごく良いなって思います。

中川
確かに。そのフロアに合わせた音楽だけではなくて、例えばいきなりジャンルを変えて、technoとか四つ打ち系の音楽を流して、盛り上がらなくても、次にDJする人のためのブレイクになってたりする気がする。その空間体験を全部1人で作っていなくて、みんなで作り上げるっていうところがすごい面白いなって。

曾原
1つのパーティーっていう空間体験を作り上げてる人って方がオーガナイザーだと思うんですよ。オーガナイザーがDJをブッキングするじゃないですか。でもブッキングするところまでしか影響を与えられない

曾原
そこから先、DJがどんな曲をかけるのかはDJ自身しかわからない。サッカーの監督とおなじです。この選手はこういったプレースタイルだからという理由で起用するけど、その選手のパフォーマンスは試合が始まってみないとわからない。
そのような「痒い所に手が届かない」けど作り上げなければならないっていうのはDJイベントも建築も似たようなものです。

中川
住んでる人によって変わっていくみたいな。

曾原
建築は済む人のライフスタイルによって変わっていきますよね。設計段階では想定していなかったエラーも起こります。完璧には仕上げられないけど、体験者によって良くもなり悪くもなる。そういったところに面白さを感じます。


建築空間に対して音楽を作ることはあるんですけど、逆に一つの音楽作品をテーマに建築を作って欲しい。要は、作曲した音楽を、建築物として表現したら、なんか面白そうだなと思って。


曾原
最後に告知です。この度、「芸術と文化の祭典 赤羽異地番街」の開催を機に、「Gallery IOI」をオープンします。学生や若手アーティストの発表の機会として個展やグループ展は経歴に大きな影響を及ぼしますが、都内の貸ギャラリーは高額で手が出ないところがほとんどです。Gallery IOIは、そんな方々の作品発表の機会を創出すべく、1日あたり基本料6000円で借りることができます。気になる方は公式InstagramにDMください。

Gallery IOI 公式Instagram

中川
林さんもテニスと音楽のイベントやっていますよね。


音楽とテニスを組み合わせたアートプロジェクトを今年から始めています。テニスコート上に複数の人感センサースピーカーを配置して、それぞれに異なる音楽を入れて、ラリーをすることで、動きに合わせてセンサーが反応して音楽が奏でられる仕組みです。元々、小中高大学とテニスをしていて、インターハイとか国体とかに出れるくらいにゴリゴリにやっていて、推薦とかもらえていました。テニスは進学のためにやっていたので、テニス自体はやっていてもあまり楽しくはなくて、小さい頃から勝つことを目的にやっていました。学生の部活自体やスポーツの多くが、勝利至上主義ばかりになっている気もしていて。結局それから生じる、いじめやハラスメントも多く存在していて、僕自身も大学のテニス部もそういうのが原因で辞めてるし、、去年久しぶりにテニスをやったら勝ち負けから解放されてめちゃくちゃ楽しくて、純粋にスポーツを楽しめたので、そこからスポーツと音楽を通じて何か出来ないかなと思うようになりました。お互いにラリーを繋げないと音が鳴らないので、相手の打ちやすい・返しやすいところを想いやりながら音楽を鳴らすようなケアの精神も生まれるんじゃないかと思っています。ラリーを続けると音楽が生まれて、鑑賞者側も、二人のそのラリーで生まれた音楽を鑑賞するみたいな、、、そんなプロジェクトです。

中川
最後の最後に、まだまだお話聞きたいトピックが(笑)。
それぞれ面白そうなプロジェクトが動いていきますね。遊びに行きます。
今後ともお二人の活躍が楽しみです。
時間も延びに延びてしまいましたが、今日はありがとうございました。

曾原・林
ありがとうございました!

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