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手ざわりが人生の中身を作る。触れて、撫でて、つっついてみる。

生きている時間の中身をつくるものは、「手ざわり」である。
これは比喩ではない。物理的な手ざわりのことを言っている。

大切な誰かの手、髪、木の葉、花びら、ふく風、猫、シャワーの湯、食器、楽器、布団、なんでもいい。
とにかく、生活を取り巻くありとあらゆるものに触れるその時間、私たちは生きる実感そのものに触れている。

最近、友だちと海辺へと出かけた。
海水に触れ、海岸の珍しい形をした岩肌に触れ、そこらへんに生えている木々の葉や幹に触れ、時間を過ごした。
「うわ〜葉っぱの裏に毛ぇ生えてるぅ〜」
「この岩の形やべぇ〜」
とか、そんな感じで大して中身のある会話もなかったように思う。

その時の手ざわりが今も手に残っている感じが、確かにある。
それは、頭の中にしまってあるというより、言葉に変換できない身体化した記憶のようで色濃く、深い。
記憶って、頭だけがするものじゃないんだ。

よく覚えていることには、手ざわりがいつもある。
友達と肩を組んだこと。砂場でどろ遊びしたこと。ギターを飽きずに弾いていたこと。CDをセットして音楽を聴いたこと。繰り返し読んだ本があったこと。いい絵が描けたときのこと。帰り道に垣根の葉っぱをちぎって歩いたこと。

いたってシンプル。
手で触れることがこの人生の中身を作っていく。

過剰なスマホ時間は、私たちの生活から多くの「手ざわり」をきっと奪う。
スマホに多くの時間を費やした手ざわりの少ない人生は、空虚なものにならないだろうか。そんなことをふと思う。

触れてみる。撫でてみる。つっついてみる。
そうやって、「誰か」と「何か」と過ごした時間を手は記憶する。
たとえ頭が忘れてしまっても、手は覚えていたりする。あの瞬間の手ざわりを。

The 3rd Evening

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