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ラクして何が悪い。むしろそれは人として自然なふるまいだろう、という話。

現在、僕はかなりラクに生きている。

仕事は美容師、ギター講師、画家と三つしているけど、人間関係の悩みなどの精神的なストレスがない上に、時間のコントロールもできる環境を整えているので、「かなりラク」な状態で生きている。
(仕事が簡単という意味ではない)

世の中には「ラクすることは悪い」とする風潮や「ラクして生きてる人を許せない人」が一定数いる。
でも、僕のように「いや、むしろラクしなきゃ。じゃないと死んじゃうよ」と、思ってるタイプもいる。
自分にフィットする方を選んで、各々生たらいいのかなと思っている。

ところで、
人間の7割程度は水でできているらしい。

そこで僕は、気づいてしまった。
「えっ、、てことは、、4捨5入したら、10割水ですやん。
わお!人間ってほぼただの水ですやん!」
と。

そう、僕たちは水なのだ。僕もあなたも水。
「We are Water」。


さてここで、実際の水を見てみよう。
蛇口から出てくるのでも、川でも、高い方から低い方へ重力に逆らわずに、ラクに流れやすい方に水は流れていく。
低い方から高い方へ流れるなんて不自然なことは起こらない。

もし、流れずに淀んでしまったら、そのうち腐ってしまう。
流れることをやめた水は、腐ってしまうのだ。

だから水はいつも遮るものをうまく避けながら、ラクに流れやすい方向に流れていく
それは、とても自然なふるまい方に見える。


一方、われわれ人間を見てみよう。
ラクすることは悪で、苦労こそが素晴らしいとかなんとか言っている。

一度ぶち当たったまま越えられそうもない壁を前に、それでも避けるでもなく、玉砕覚悟なのか格闘し続けている。

水のくせに、ちっともラクに流れようとしていない
水としては不自然なふるまい方に見える。
これじゃあ太宰治風に言うなら、「水失格」である。
「恥の多い水として流れてきました…」


ところで僕は
「神様は乗り越えられる人にしか、試練を与えない」
みたいな話を聞くと、うるせえポエムだな、と思ってしまう。
それは与えられた試練を、運良く乗り越えられた側の人たちの、言葉でしかないから。

一方その陰で、試練を乗り越えられずに散った命が数限りなくあるのだ。
そして死人に口無し、彼らの言葉は届かない。
そこに盲目になることはできない。

「神様は乗り越えられる人にしか、試練を与えない」
まことに、うるせぇポエムだな、と思う。 

繰り返しになるけど、僕たちは水だ。
苦しくてずっと辛いまま淀んでいては、腐ってしまう。死んでしまう。

自分の行く手に立ちはだかる試練や壁、一度ぶち当たってみてどうにも突破が難しそうなら、それを避けたっていいじゃないか。

ラクに流れる方へと向かおう。
それが水である僕たち人間の、自然なふるまいじゃないだろうか。

ラクして何が悪い。

Philosophy

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