見出し画像

<三国志>諸葛亮「出師表」から感じる劉禅のヤバさと…

 三国志が好きな人であれば、絶対に一度は見たことがあるであろう、蜀の丞相・諸葛亮の「出師表(すいしのひょう)」。劉備亡き後、魏の討伐を決意した諸葛亮が、主君の劉禅(劉備の息子)に書いた文です(小難しく言えば「上奏文」)。

「臣亮申す。先帝、創業いまだなかばならずして…」で始まり、劉備から受けた恩義、魏の討伐への並々ならぬ決意を述べています。シンプルで短く、かつ読んだときのテンポの良さもあって、名文の一つとして知られます。マニアックな三国志ファンはそらんじられる人もいるでしょう。

 これを初めて知ったのは、横山光輝センセイのマンガ「三国志」でして、小学生時代は「小難しい!意味わかんね」と思っていましたが、大学生になると「何これ、すご!」と感想が変わるのは内緒なのです。が、同時に思ったのが、劉禅のヤバさをひしひしと感じることなのですね。

<現代風にした超意訳です。正しいものは原文ググってください>

言っておくけど、アンタ(劉禅)のパパは念願の王朝再興ならず死に、天下は三つに割れ、ウチは大ピンチなの! 家臣は頑張ってるけれど、それはパパの人望だから勘違いしないこと。家臣のいうことを聞いて、パパを手本に努力するよう。でも、アンタは言い訳が多いし、揚げ足取りをして言うことを聞かないよね。手柄には褒美を、失敗には罰を与えるのは当たり前だし、迷ったら相談ぐらいしなさい。私情に流されたり、変な考えをしないこと。(終)

何がヤバいかといえば、劉禅への忠告ばかりで、全体の8割がそんな感じ。残り2割が劉備への感謝と家臣の忠義を褒めているぐらい。しかも、この短い文の中に重ねていうシーンがあることで、よほど強調したいのでしょう。後世に向けた、公開説教ですね(そういう意味では、劉禅は気の毒)。

駆け出しの状況説明ですが「蜀はピンチなの!大変なの!」と言わないと、劉禅がピンときてないのでしょう。また家来の忠義は「お父さんの力。あんたの力じゃない」と言い切っています。おそらくここもいまいち理解してないからでしょう。

諸葛亮の「お小言」から考えると、劉禅の性格が見えます。

・上奏文を理解する知識はある(文字が読めないとかではない)。
・家臣の忠義の厚さを当たり前と思い、家臣の意見に耳を傾けない。
・「父さんには及ばない」と卑下する。
・自らの非に対して言い訳をする(知恵はある)
・自分のお気に入りの人の悪事を罰したりできない。法の執行が不明瞭。
・判断に迷ってもしかるべき人と相談しない(取り巻きとかで決める)
・私情に流され、偏った考えになる。

特に水師表の後半です。劉禅の判断力がおかしく、賞罰が公正にできないようなのですね。蜀は法治国家なのですが、その法の運用が甘いのは一大事です。国家の根幹を揺るがしかねない大問題です。

 残念ながら、この水師表から40年足らず、忠告は生かされませんでした。劉禅は取り巻きを重用し、国を疲弊させて、蜀は滅びます。

劉禅は相応の知識はありますが、統治者としての判断力のなさが致命的なのです。事実、蜀の滅亡の時も、それがいかんなく発揮されました。情報の感度も低く、限られたことから下す判断は悪手ばかりです。周囲の問題もありますが、それも自分が招いたタネです。性格的にも統治者に不向きだったのでしょう。他の資料でも、遊び好きの面もみせています。諸葛亮の苦労を感じるのが寂しいですね。

ただ、統治者でなく、人として考えると、いいやつなのかもしれません。酒好きで、かつての敵の質問にもさらりと答えて、笑いを取ったりします。魏で「蜀が恋しくない?」と聞かれて「全然。こっちが楽しい」と即答。側近から怒られて、次に同じ質問をされると「蜀が恋しい」と答えて、「側近の言ったことと同じ」と突っ込まれて素直に「そうなんです」と答えてしまうやつですね。だから酒を飲む「飲み仲間」としてはいいやつなのかもしれません。要は「皇帝になっちゃいけない、性格的に不向きな人」だっただけなのではと思うのです。

北宋の第8代皇帝の徽宗がそうですね。絵画や書道の腕前はすさまじく、彼の作品は国宝として歴史に残っており、当時どころか中国史きっての天才芸術家です。ただし統治者としては、最初こそやる気は出したものの、家臣の対立に嫌気がさして、趣味の芸術に逃避。金は腐るほどあるから(当時の北宋の経済力は世界屈指)湯水のごとく金を使い、国は一度滅んでしまいます。自らも敵国にさらわれてしまい、皇族の女性は相手の国の娼婦にさせられたというから、目も当てられません。

話は元に戻りますが、劉備が亡くなるとき諸葛亮に「息子がバカなら皇帝になっていい」という、簒奪(家来が皇帝の位を乗っ取ること)の公認をしてしまうわけです(でも諸葛亮は拒否)。劉備もトップが愚かだったときの悲劇を知っているからこそなのでしょう。

まあ、滅びゆく国を名臣が支えるという構図は「滅びの美学」的なものがあるのは確かです。だからこそ「三国志」の物語は、中国の話でありながら、長年にわたって日本で親しまれているのかもしれません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?