インプット沼

創作において、インプットというのは絶対に必要であり、例え需要のあるものが作り出せる能力があろうと、インプットがない場合は箱庭の工場となります。

もちろんインプットしない状態が功を奏す場合もありますが、大抵の場合とてつもない才能によって、存在だけで憧れられ続ける人間のみの特権です。


僕は音楽を作る人間ですが、音楽のインプットについて考えてみます。

もちろん音楽を作っているので、好きな音楽以外でも、現代の音楽を聴くようにしています。

ただ、時々音楽作る人が、特定の音楽を音楽理論を引用しながら説明してるの見ても、ハイパーくだらないのが殆どですよね。単純に面白くもないというか。あれ面白いんですか?


長谷川白紙さん、羊文学、ラブリーサマーちゃん、colormalさんのような、圧倒的なセンスと音のルーツとこだわりがあるパターン。

キングヌー、米津さん、川谷絵音さんのようにコードワークと流行と新しいものを徹底的に研究した上で、唯一無二の自分のものとして自在に操るパターン。

結局それはそれとしてしか捉える必要はないと思ってしまうので、それを言語化して自分のものにしたいというよりかは、その在り方に憧れるというところであります。

なので、こんな曲作りたいなあーどうなってんだろう、耳コピしてみよう、とかは勿論ありますが、僕の場合直接のインプットには繋がってない気がします。

実際曲のアウトプットに繋がるルーツはそりゃ色んな音楽やそれを踏まえた哲学で構成されていますが、ここでは割愛します。


ということで、最近「実際美術館に行くこと」にハマっています、という話です。

厨二病なのかな?という話題ですが、これが最近とても楽しくて。

元々「気になったのには行く」くらいのスタンスで、そもそも特に芸術文化に豊かな教養も持ち合わせていません。

好きなものを見に行く、という感覚でいたのですが、最近は見といた方が良さそうなものは現地に行くようにしています。

ずっと長いこと物作りをしてると、もちろん頭は頑固になってくし、音楽については手癖が増えたり、表現方法がルーティン化していくと思っています。手法技法で増える楽しさはありますが、もっと根本的なところでの固着というか。

その際に、自分がちゃんと触れたことのない分野において、下調べをして実際に物を見て感嘆することが、視野をとても広げることに繋がる気がしてるんですね。

そういう考え方があるのか、とか。これに至るまでにどんな過程があったんだろうか、とか。

そして単純に人間の人生を賭けた芸術の気迫とアイディアと美しさで自分を引き締められるということもあります。本当に生意気ですが、負けてたまるかとも。


もともと自分は室内カルチャーで育った人間です。

もの凄い量をやっている美少女ゲーム、自分の人生に寄り添ってくれたその他のゲームの世界、それを彩るBGMの魅力や圧倒的な演出効果はいつになっても僕の創作の原動力、憧れであり続けています。

名作と呼ばれる小説も、母の影響で随分乱読しました。いいとこ取りで申し訳なく思いますが、素晴らしい本を沢山読んだし、今でもそれについて話し始めるとだいぶ長くなってしまいます。

ただその辺のカルチャーは、触れるものを非常に甘やかせてくれる類のものだと思っていて。

エンターテイメントとして優れているものは、受け取る側がとても気持ち良くなるようにできていますものね。


なんで、今は実際に空間芸術、インスタレーションの類に触れることがインプットとして、単に娯楽としてとても楽しいってことです。

2年くらい前から学芸員の方とかなり話すことが多くなり、美術館やギャラリー、展示、イベントの裏側や、お勧めの企画を教えてもらえるようになったのも大きいですね。てか実際これが殆どかもしれない。この美術館は行った方がいいよー、こんな意味があるイベントだよーと教えてもらえるのは僕みたいな一市民には非常にありがたいです。

自粛でリラックスした頭にスッと入ってくる部分もあり、美術館ライフを引き続き飽きるまで楽しもうと思いました。

もしお勧めの催しがあれば誘ってくださいまし。


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